原子気体を極低温にまで冷やすレーザー冷却法により、近年、希薄原子気体においてBose-Einstein凝縮(BEC)が実現されました。この新しい物質相では原子の量子力学的な波動性が巨視的なスケールにまで拡大し、原子集団がコヒーレントな一つの波、“原子波”として振舞います(図1)。現在、BECの示すこのような巨視的波動性が注目され、原子レーザーや原子干渉計の開発、原子波動光学への応用などが活発に研究されていますが、一方、このBECの持つもう一つの大きな特徴として、原子間の相互作用に起因する原子波の非線形性が挙げられます。このBECの示す非線形性は、物質波ソリトンの発生や原子数スクイーズド状態の生成、量子トンネル効果における自己トラッピング現象など、新しい量子現象を可能とするもので、巨視的波動性と相俟って、原子集団のコヒーレントな運動操作に重要な役割を果たすことが期待されます。そこで本研究課題ではこのような非線形量子現象の一つである物質波ソリトンに特に着目し、新たに開発する“原子波回路”(図2)を利用して、ソリトンの運動特性や複数ソリトン間の衝突相互作用などを明らかにするとともに、その光学的な運動制御法の開発を行うことで、新たな非線形量子現象の開拓と原子波を利用した新規デバイスへの応用可能性を探求します。
BEC中に発生されるソリトンは、原子間相互作用が斥力であるためにダークソリトンと呼ばれる原子密度の窪みとして存在します。この物質波ソリトンは原子波の位相ステップとして特徴付けられるのですが、希薄原子気体のBECでは原子波の位相を光で直接操作できるため、物質波ソリトンを光学的に生成、観測、操作することが可能です。このソリトンは安定で独立な粒子として伝搬し、あたかも非線形物質場中の“信号”とみなすことができます。しかし、これまでの研究ではBECを保持するトラップポテンシャルやBECの形状のために、ソリトンの長時間の保持や運動制御が困難でした。そこで本研究課題では、始めに原子波回路ともいうべきリング状のBECを開発し、ソリトンの長時間保持・観測や複雑な多重操作が可能な“場”を実現します。この原子波回路上の信号としてのソリトンについて伝搬速度、方向などの運動を光学的、電磁的手法により制御できることを実証し(図3)、この信号を原子波位相差のインジケータとして利用する新方式の原子干渉計など、量子非線形現象に基づく新しい精密計測技術の開拓や新規デバイスへの展開を目指します。
図1. Bose 原子気体の BEC への相転移
図2.原子波回路上の物質波ソリトン
図3.レーザー光を用いた位相インプリント法による物質波ソリトンの運動操作の例
BECを利用したこれらの新しい研究課題に取り組むために2006年から新しい研究室をスタートし、これまでに超高真空システムやレーザー装置などの製作を終え、現在、Rb原子のBEC生成実験を進めています。
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