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認知ミラーリング:認知過程の自己理解と社会的共有による発達障害者支援

  • 認知発達ロボティクス
  • 認知機能の定量化
  • 発達障害者支援

長井 志江

(情報通信研究機構 脳情報通信融合研究センター 主任研究員)

長井さんがチームリーダーを務めるCREST研究では、ロボットの認知機能から人の認知機能を理解する研究と、発達障害者の知覚をVRで再現するシミュレータ開発が並行して進められている。「これまでに類のない発達障害者の視点で認知機能を理解し、定型発達者との間にある溝を埋めていきたい」と長井さんは語る。

人の認知過程を鏡のように映し出す
情報技術を駆使し発達障害者を支援

認知ミラーリング。聞き慣れない言葉がCRESTのテーマになった。研究代表者の長井志江(ゆきえ)さんの造語で、「人間の認知機能を鏡のように映し出し観測可能にする知的情報処理技術、またはその過程」と定義する。人の認知過程は長年、神経科学者がミクロな脳活動を探ったり、心理学者がマクロな行動を調べたりして研究されてきた。認知発達ロボティクス研究者の長井さんは、全く異なるアプローチで発達障害者支援の道を示す。「ロボットや人工知能(AI)の技術を使ってミクロからマクロまでを一つにつなげれば、人間の理解を深めることができます」と基本戦略を語る。

最近のロボットは人との相互作用を通して、人の機能を鏡のように映して学習できるまでになっている。「人間の赤ちゃんが、母親や父親をまねて学習していくのと似ています。だから逆にロボットの認知機能を研究することで、人の認知機能を理解することができるわけです」と長井さん。2つのシナリオでそれに取り組む。1つは実験室で、人の認知機能を学習・推定するロボットと対面して、人の持っている認知機能をロボットの中に鏡のように映し出して観測できるかを探る。2つ目は発達障害の「自閉スペクトラム症(ASD)」当事者たちの過敏な知覚世界を再現する、世界初のASD視覚体験シミュレータを開発し、当事者への配慮や自己理解の支援に生かす。ロボットを人間の鏡とする一方、ASDの方たちの知覚世界を見える化して共有できるようにする。

このCRESTプロジェクトは、長井さんが障害の当事者研究を行っている、東京大学先端科学技術研究センターの准教授で小児科医の熊谷(くまがや)晋一郎さん、同特任研究員の綾屋紗月(あやや さつき)さんと出会って誕生した。長井さんは「それまで私も発達障害はコミュニケーションの問題と捉えていました。ところが、対人社会性より前に知覚や運動の難しさがあることを当事者の綾屋さんから教えられました。それを見える化しようと、ASD視覚体験シミュレータをつくりました」と話す。

この研究は、4本の柱からなっている。1本目が長井さんの認知ミラーリング研究。共同研究者の熊谷さんと綾屋さんが障害者の視点から認知原理を提案する当事者研究が2本目の柱となる。3本目は国立精神・神経医療研究センターの精神科医、山下祐一さんが取り組む、多様な認知過程を検証する神経回路モデルの開発だ。互いに知覚や行動のデータ、仮説を交換しながら、認知ミラーリング技術の確立を目指す。最後の柱は社会実装である。研究成果を普及させ、発達障害の人たちが過ごしやすい社会にしようという目標を掲げている。障害者支援のベンチャー企業LITALICO(リタリコ)と共同で発達障害児の親や支援者を招き、月2回計約20回、ワークショップを各地で開いてきた。長井さんは講演の後に、開発したシミュレータを参加者に使ってもらってASDへの理解を広めている。この企画は好評で、参加者は延べ約2500人に達した。「ASDの方は外に出るのを怖がると親御さんはよく言います。その原因に視覚や聴覚の過敏性があることが分かれば、対策を練ることができます」と長井さんは指摘する。

長井さんは発達障害者支援の在り方の転換を提言する。「ASDは世界的に急増しており、110人に1人いるという研究が2011年の英科学誌Natureに掲載されています。何らかの学習障害の子どもはもっと多いという文部科学省研究班の報告もあります。ただ、私たちは治療法の開発をしているわけではありません。今までの支援や治療は、発達障害の方をいかに定型発達に近づけるかでした。それに対し、私たちの考え方は全く逆で、定型発達の人が発達障害の人に近づいていって理解するのです。両者の間にある溝を埋めていくのが目標の1つです」。ASD視覚体験シミュレータはそのために欠かせないツールになっている。

もともとの研究の動機は「人間を理解すること」という長井さん。「認知ミラーリングを達成できれば、すごい技術になります。認知過程での困難さを定量化することによって、それが当事者の自己理解につながり、周囲も合理的な配慮ができます。学校教育に『障害を理解する時間』を設けていただき、このシミュレータを使って授業をしてもらえればと思います。2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて、障害も人の個性として受け入れる社会をつくっていきたい」と情熱を傾ける。

※ASD視覚体験シミュレータ
自閉スペクトラム症(ASD)の人がどのようにモノを見て、どう感じているかをヘッドマウントディスプレイで再現。ASDの22人から視覚の過敏や鈍麻の様子を聞いて、長井さんらが2015年に製作した。画像が真っ白になったり砂嵐状の点々が現れたりする、ASD当事者の見え方を体験できる。使いやすいスマートフォン型の装置もあるほか、聴覚についても同様のシミュレータを製作中だ。

*取材した研究者の所属・役職の表記は取材当時のものです。

研究者インタビュー

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より深く知りたい方へ

研究について

この研究は、CREST研究領域「人間と調和した創造的協働を実現する知的情報処理システムの構築(萩田紀博 研究総括)」の一環として進められています。また、CREST制度の詳細はこちらをご参照ください。

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