「マルチスケール・マルチフィジックス現象の統合シミュレーション」

平成24年度 研究終了にあたって

「マルチスケール・マルチフィジックス現象の統合シミュレーション」研究総括 矢川 元基

 本研究領域は、世界最先端レベルの超高速・大容量計算機環境と精緻なモデル化・統合化によって、複数の現象が相互に影響しあうようなマルチスケール・マルチフィジックス現象の高精度かつ高分解能の解を求めることを研究の対象としてH17年度に発足した。具体的には、地球環境変動、異常気象、およびそれに起因する災害予測、人工物の安全性・健全性の評価、複雑な工業製品の設計・試作、ナノレベルの材料挙動、生体内たんぱく質構造と生体内薬物動態など、支配因子が未知あるいは不確定性を含む現象やスケールが極度に異なる現象等のモデル化の研究、そのようなモデルの統合数値解析手法の研究、モデルや入力データの妥当性・結果の信頼性の評価方法の研究などが含まれる。

 平成19年度の研究課題公募に対しては45件にのぼる多数の応募があり、当該研究課題に近い専門分野の研究者によるピアレヴューも経て、研究総括ならびに12人の領域アドバイザーにより以下の課題を採択した。

(1)「大規模系への超高精度O(N)演算法とナノ・バイオ材料設計」(研究代表者:青木百合子)
(2)「高精度多体多階層物質シミュレーション」(研究代表者:今田正俊)
(3)「惑星間航行システム開発に向けたマルチスケール粒子シミュレーション」(研究代表者:臼井英之)
(4)「バイオ分子間相互作用形態の階層的モデリング」(研究代表者:北尾彰朗)
(5)「超精密予測と巨大分子設計を実現する革新的量子化学と計算科学基盤技術の構築」(研究代表者:中辻博)
(6)「原子力発電プラントの地震耐力予測シミュレーション」(研究代表者:吉村忍)

 各研究課題の成果の概要は以下のとおりである。

(1)「大規模系への超高精度O(N)演算法とナノ・バイオ材料設計」
 研究代表者らが発表したElongation 法(ELG法)はオーダーN法であるが、本研究当初ELG法の最大の難点として、蛋白質などの「三次元系への拡張」が指摘されていた。その問題を、いったんは凍結した部分を再解凍して計算しなおすことを可能としたことにより克服し、ELG法の「三次元系への拡張」を達成した。またOrbital shift法を考案し、非局在化した必要最低限の軌道を自動的に選択して対角化に含める手法をELG法プログラムに導入したことで、π電子非局在化系でも高精度で演算を可能とした。相互作用の領域が次元性(一次元⇒二次元⇒三次元)とともに広がるに従い、なかなか高いO(N)性が実現できなかったが、AO-cutoff法によって不要な積分計算を削除することにより、複雑三次元系に対してでも高いLinear scaling [O(N)]を達成できた。日本発の量子化学計算方法論としても、特筆に値する。

(2)「高精度多体多階層物質シミュレーション」
 第一段階は大局的な電子構造を密度汎関数法に基づいて求め、第二段階はダウンフォールディングと呼ばれ、大局構造から最局在ワニエ軌道の構成を行ったうえで、このワニエ基底に対する低エネルギー有効模型を導出し、最後に第三段階でこの有効模型を量子ゆらぎや強相関多体効果を十分に高精度で取り込んだ「低エネルギーソルバー」によって解く手法を開発し、固体物性分野で話題となっている高温超伝導に代表される強相関電子系の物性を統一的に解析する、汎用的な電子状態計算手法Multi-scale Ab initio scheme for Correlated Electrons (MACE) の開発・改良を行った。実際の場で本手法を適用し、特に、新たに発見された鉄超伝導体群で電子相関が重要な働きを果たしていることを第一原理から定量的に見出したことや、磁気秩序の大きさを第一原理模型によって世界で初めて定量的に再現させたことは素晴らしい。

(3)「惑星間航行システム開発に向けたマルチスケール粒子シミュレーション」
 惑星間宇宙航行システムとして宇宙航空研究開発機構(JAXA)で提案されている磁気プラズマセイル(MPS)では、衛星搭載コイル電流により人工ダイポール磁場を形成し、それをプラズマ噴射によって広範囲に展開させて太陽風プラズマを受け止めることにより推力を得る。本研究では、MPSにおける小型ダイポール磁場と太陽風の相互作用およびそれによって衛星が得る推力を定量的に評価するために、プラズマ粒子モデルシミュレーション解析を行うとともに、局所的に空間分解能を上げるために適合格子細分化法(AMR)を用いたマルチスケール粒子シミュレーション手法の新規開発を行った。学術的な側面においては、磁気モーメントと推力の関係を電子スケールからイオンスケール、さらにはMHDスケールまでを俯瞰する形で定量的に導き出したことが挙げられる。適合格子による粒子シミュレーションという手法についても、難しいと考えられていた大規模化・並列化に目途を付けることができた。

(4)「バイオ分子間相互作用形態の階層的モデリング」
 本研究は、タンパク質-タンパク質、あるいはタンパク質-低分子化合物の立体構造予測、さらに、それら相互の作用形態モデリングを高精度にかつ効率よく行うための一連の手法開発と、それの創薬への応用を目指すものであり、分子動力学のほぼ限界までつきつめた方法論をつくり上げた。一連の手法を一通り完成させ、がん抑制因子などをターゲットにして、相互作用の予測とモデルの精度検証および実験検証までも行った。プロジェクトに対して最も高く評価される点は、創薬の研究において創薬開発に直結する可能性がある具体的な成果(インフルエンザRNAポリメラーゼ、化学シャペロン、動的アロステリック等)を出していることである。このプロジェクトは、現実の社会が面しているガンやインフルエンザ等の基本的な病からの解放を目指しているという意味で、頼もしい研究である。

(5)「超精密予測と巨大分子設計を実現する革新的量子化学と計算科学基盤技術の構築」
 本研究で目指した量子科学を確立するための「予言学としての量子化学の確立」として、シュレーディンガー方程式を精度よく解くオリジナルな方法論を提案し、その正確な求解に関して、42電子系(ベンゼン)程度まで可能として、有機化学への展開について目途を立てるという、特色ある成果を確立した。また、「巨大分子系の量子化学」の解法であるSAC/SAC-CI法の改良・高度化を図り、巨大分子系への応用の可能性を開き、さらに、色覚の起源の解明、磁気CD解析等の応用を行った。シュレーディンガー方程式の厳密解を求めるという、我が国では数少ない貴重な哲学と信念を持った研究課題であり、その学術的価値は極めて高いものがある。

(6)「原子力発電プラントの地震耐力予測シミュレーション」
 直下型地震による地震発生から地殻を伝搬し、建屋に至るまでの地震動の波動解析、地震動による建屋・原子炉容器・炉内構造機器に至る地震応答解析、炉容器や冷却材の流体構造連成解析などの一連のマルチスケール・マルチフィジックス領域の大規模シミュレーションシステムを完成させた。これは世界的にも初めての試みである。本研究開始直前と実施中の2度にわたって、原子力発電所が大規模な地震に襲われ、本研究の重要性が十分認識された。本研究の場合は、成果が実際の場で使われなければ、成果は無かったに等しい。今後はさらなる改良・高度化を図るとともに、原子炉の耐性評価、福島原子力発電所の地震直後の機器解析等、実際の場で使われることを大いに期待したい。

 研究の終了にあたって、研究成果を研究終了報告書として取りまとめた。ご高覧いただき、今後の研究・実用化の進展に向けてアドバイスをいただければ幸いである。
 最後に、課題の選定評価にとどまらず、シンポジウム、サイトビジット、評価会等で適切なご助言、ご指導をいただいた領域アドバイザー、石谷久、戎崎俊一、遠藤守信、岡本祐幸、佐藤哲也、寺倉清之、土居範久、萩原一郎、久田俊明、平田文男、藤谷徳之助、渡辺貞の各先生方に深く感謝いたします。

一覧に戻る