「生命システムの動作原理と基盤技術」

平成23年度 研究終了にあたって

研究総括 中西 重忠

 「生命とは何か」の謎に、近年、細胞の中の物理・化学反応と捉え、生物、化学系科学者は、その答えを種々の生物、細胞、生体分子を対象として、生命現象の普遍性を探り、他方、情報系科学者は、その答えをシステム工学から生命システムの共通原理を探求して来ました。本研究領域は、その答えの一助となる「生命システムの動作原理」の解明を目指して、理論と実験の融合を図り、新しい視点に立った解析基盤技術を創出し、生体の多様な機能分子の相互作用と作用機序を統合的に解析して、動的な生体情報の発現における基本原理の理解を目指す研究を取り上げてきました。
 近年の飛躍的に解析が進んだ遺伝情報や機能分子の集合体の理解をもとに、細胞内、細胞間、個体レベルの情報ネットワークの機能発現の機構解明、さらには、生体情報の発現の数理モデル化や新しい解析技術の開発などの基盤技術の創成など、生命システムの統合的な理解をはかる上で重要な研究を対象としております。
 平成18年度採択では、159件と、非常に多くの研究者からの応募があり、多くの研究者が本領域を次世代の重要な研究領域として注目している証であると考えています。その多くの優秀な提案の中から、5件の課題を採択致しました。簡単に各チームの成果の一部を紹介します。

  • 上村グループは、ショウジョウバエの翅(はね)表皮細胞の平面内の極性の生成機構に関して、Fz小胞の微小管に沿った輸送のダイナミクスを1分子イメージングにより解析して、顕著な成果を上げている。観察された結果は、単純な random walkではなく、場所に依存してバイアス度が異なるbiased random walk(バイアス度が細胞の左半分で高い)で説明出来ることを見いだした。さらに、微小管に沿った小胞輸送の定量的な解析について独自性の高い進展があり、当該分野で重要な貢献を果たした。
  • 影山チームは、分節時計の研究において数理モデルからHes7の合成のdelayおよびHes7の早い分解速度の二つが分子時計の発信に必須であることをモデルから予測する一方、このdelayの仕組みがintronのsplicing に依存することを予測しintronを除去する実験によってそのことを実証している。さらに、delayをコントロール出来るモデル動物を作成して、Hes7の振動が消失すると体節の癒合が起こることを見いだしており、時計の重要性を具体的に明らかにした。
  • 黒田チームは、既知情報に頼るのではなくシグナル応答系の時系列を自動的に大量に計測する手法QICを新たに開発し、非線形自己回帰モデル等の時系列解析に耐えうる精度の高いデータを取得することに成功している。また、多くのシグナル伝達経路の入出力関係が逐次一次反応で近似できることを見いだし、逐次一次反応が示すローパス特性や、信号のピーク強度の伝達効率、さらに、刺激感受性のパラメター依存性を明らかにした。また、インスリン作用の時系列解析においても、時間情報コーディンが働いていることを明らかにした。
  • 濱田チームは、マウス胚の頭尾の極性の決定において、もっとも早期に働く制御遺伝子Lefty1が胚盤胞中の約20個の細胞の内の1,2個に限定して発現することを見いだし、そのメカニズムを追跡し、これがNodal遺伝子によってコントロールされていること、および、細胞間でのシグナリングが関与していることを見いだした。これらの知見をもとに、数理モデルを構築し、NodalとLeftyより構成される制御ループが自律的に働くことにより、この発現パターンが再現されることを示すなど、発生初期の極性に関して極めて質の高い研究成果を挙げた。
  • 森チームは、線虫をモデル動物とし温度、記憶、学習行動に関して分子・遺伝子レベルから細胞・個体レベルに渡る多面的な解析を進め優れた成果を上げている。自ら開発した線虫行動の自動追尾システムや、イメージング、光遺伝学の技術を駆使し、温度走性に関わる分子の同定、温度受容細胞の強制的な活動制御によるネットワークへの影響の観察、といった重要な進展を示した。さらに、温度走行行動を定量的に解析し、その行動軌跡をbiased random walkモデルに基づいて解析し、興味ある成果を得ている。

 生命システムの動作原理の解明を目指した研究は、わが国の生命科学研究に新しい視点から取り組むもので、極めて緊急かつ重要な課題と認識しています。当然、産業面からも新しい基本原理や基盤技術を創薬開発やバイオエンジニアリングに繋げることが期待されています。この研究分野をさらに発展させた「生命動態の理解と制御のための基盤技術の創出」(研究総括 山本 雅)が平成23年度、発足したことは、上述した期待とともに、本領域の研究チームの研究成果が評価されていることが後押しとなったものと考えております。

 平成18年度採択課題の終了にあたり、適切な助言を頂いた領域アドバイザーの岡田 清孝、川人光男(~平成22年3月)、郷通子(~平成18年12月)、後藤 由季子、近藤 滋、榊佳之、桜田一洋、笹井芳樹、武藤誠、垣生園子、平野俊夫の諸先生、外部評価をお願いした重定南奈子先生、また、領域運営に助力頂いた「生命システム」領域事務所ならびにJST関係者の皆様に厚くお礼を申し上げます。

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