水は、一部の化石水を除き、時間的・空間的に偏在かつ変動しながら絶えず循環しています。その循環の仕方は、自然現象として変動すると同時に、人間活動によって変化するのが重要な点です。特に20世紀後半から始まった人口の急激な増加と人間活動の拡大は、グローバルからリージョナル、ローカルにわたる様々なスケールで水循環系を変化させ、多様な水問題を提起してきました。具体的には、CO2等温暖化ガスの増加に伴う気候変動と水資源の季節的・地域的分布の地球規模での変化、森林伐採や農地ならびに都市の拡大による水域汚染と水災害の激化、安全な飲料水へのアクセスの不足、食糧生産のための水需要の増大と水不足、地下水の枯渇、水域生態系の保全・回復、などの問題です。「21世紀は、水危機の時代」という表現に象徴されるように、これらの問題は、今世紀中頃に向けてさらに深刻さが増すと懸念されています。
 こうした背景のもとに、国は、“世界的な広がりをもつ水問題は、国家間の紛争を引き起こす要因となる可能性を秘めており、上水の供給や食糧生産などのための安定した水資源の確保は、我が国を含め、世界の安定と福祉の向上に資する重要な課題である”という認識の上に、平成13年度に戦略目標「水の循環予測及び利用システムの構築」を設定し、これを受けて、この研究領域「水の循環系モデリングと利用システム」が科学技術振興機構の戦略的創造研究推進事業(CREST)として発足しました。
  「21世紀を水危機の時代にしない」、これが水に係わる研究者に求められている課題だと考えます。この研究領域では、深刻さを増す水問題に対する様々な懸念を科学的に解明する“水循環系に関するデータの集積・解析とモデリングによる予測の向上−現象解明型研究”とともに、問題解決に向けて水循環系と人間との好ましい関係を築く“持続可能な利用システムの構築−問題解決型研究”を応募の対象としました。
 平成13から15年の各年度に公募が行われ、多くの提案の中から特に創造的、意欲的で優れた研究課題合計17件が採択されました。それらを研究対象のスケールと目的に着目して、4つのカテゴリーに区分し、以下に示します。

T.グローバルな水循環系の把握と予測
・沖チーム:人間活動を考慮した世界水循環・水資源モデル(平成13年度採択)
・木本チーム:階層的モデリングによる広域水循環予測(平成13年度)
・中村チーム:湿潤・乾燥大気境界層の降水システムに与える影響(平成13年度)
・岡本チーム:衛星による高精度高分解能全球降水マップの作成(平成14年度)
・小池チーム:水循環系の物理的ダウンスケーリング手法の開発(平成15年度)

U. 特定地域における水・エネルギー循環系と生態系のモニタリングとモデリング
・杉田チーム:北東アジア植生遷移域の水循環と生物・大気圏の相互作用(平成13年度)
・太田チーム:北方林地帯における水循環特性と植物生理のパラメータ化(平成14年度)
・神田チーム:都市生態圏-大気圏-水圏における水・エネルギー交換過程の解明(平成14年度)
・鈴木チーム:熱帯モンスーンアジアにおける降水変動が熱帯林の水循環・生態系に与える影響
(平成15年度)
・恩田チーム:森林荒廃が洪水・河川環境に及ぼす影響の解明とモデル化(平成15年度)

V.新しい技術や手法の開発
・船水チーム:持続可能なサニテーションシステムの開発と水循環系への導入(平成14年度)
・古米チーム:リスク管理型都市水循環系の構造と機能の定量化(平成14年度)
・永田チーム:各種安定同位体比に基づく流域生態系の健全性/持続可能性指標の構築
(平成15年度)

W.アジアの河川流域における水循環−利用システムと水管理
・楠田チーム:黄河流域の水利用・管理の高持続化(平成13年度)
・寶チーム:社会変動と水循環の相互作用評価モデルの構築(平成13年度)
・丹治チーム:国際河川メコン川の水利用・管理システム(平成14年度)
・砂田チーム:人口急増地域の流域水シナリオ−モンスーンアジア地域等における地球規模水循環変動への対応戦略−(平成15年度)

 それぞれの研究チームが、日本あるいは世界、とりわけアジアが抱える水循環系の現状把握と予測に関する新たな科学技術的知見の獲得について、あるいは持続可能な水利用・管理システムの研究について、日本から世界に発信できるすばらしい成果を上げています。これらのうち平成14年度採択の6課題は平成19年度末をもって終了することになりました。終了報告書の出版に当たり、以下にそれらの研究内容と成果の概要を取りまとめて紹介いたします。

1)太田 岳史チーム:研究課題
 「北方林地帯における水循環特性と植物生理のパラメータ化」
 本研究は、北方林(緯度45°〜70°)における水・エネルギー・物質循環特性を明らかにするとともに、北方林が気候変動に与える影響を予測することを目的として、高緯度森林帯(北方林−シベリア・ヤクーツク)から中緯度森林帯(北方林南限−北海道・母子里、温帯林−愛知・瀬戸)の3地域に5つの観測サイトを設定し、次の3つ、すなわち@水・エネルギー循環の観測を通して、北方林地帯における水・エネルギー循環の陸面過程とこれに対する森林生態生理学的影響を個葉スケールから群落スケールにおいて明らかにすること、Aその成果を陸面過程−分布型流出モデルへ反映させ、北方林における森林の環境応答特性、蒸発散、河川流出量、水収支の空間分布を明らかにし、水循環特性の空間分布の現況を把握すること、およびB環境変動シナリオを陸面過程−分布型流出モデルに与え、環境変動による北方林の環境応答特性の変動と水循環に与える影響を予測すること、を主な研究目標として進められた。
  北方林の水・エネルギー循環に対する植物生態生理学的影響について、これだけ系統的な観測研究を展開して新たな成果を出した研究は、国内外に比肩するものはない、すなわち世界をリードする研究といえる。特に、本研究で提示された“潜在的応答特性”、 「森林あるいは樹木の環境応答特性は、気候帯、森林タイプ、樹種を超えてある1つの応答特性に収束する」という概念は、森林生態生理学上の新たな仮説というだけではなく、気候モデルの中の陸面モデルにおいて従来植生ごとに決められてきた気孔応答特性パラメータを共通の概念に基づいて決定できる点で、気候モデルに対しても有用かつインパクトのある仮説であり、今後更なる仮説の検証が期待される。また、北方林地帯の水・エネルギー循環の素過程や特性について多くの知見を得ており、この分野の今後の発展にイニシアティブをもって貢献することが期待される。

2)岡本 謙一チーム:研究課題
  「衛星による高精度高分解能全球降水マップの作成」
  本研究は、高時間・高空間分解能の全球降水マップの作成を目標として、次の4つのサブグループの有機的な連携・協働のもとに進められた: A)地上レーダ観測グループ、B)降水物理モデル開発グループ、C)降水強度推定アルゴリズム開発グループ、およびD)全球降水マップ作成グループ。Aグループは、高機能・高精度な地上降雨レーダ群を用いた定常観測と集中観測により降雨の三次元構造を詳細に観測し、降雨情報のデータベースを作成して、Bグループの利用に供した。また、地上観測によって作成された降水マップは、Dグループが衛星搭載マイクロ波放射計データから作成したローカルな降水マップの検証用としても利用された。Bグループは、降水を特徴づける物理量である、降水タイプ分類、降水の鉛直プロファイル、雨滴粒径分布、融解層の構造、対流性降雨と層状性降雨の分類などについて、放射伝達方程式に利用可能な降水物理モデルを作成した。Cグループでは、NASA/GPROFの確率論的アプローチではなく、降水物理モデルに基づく決定論的アプローチによって、マイクロ波放射計アルゴリズムの開発を進めた。Dグループは、開発したアルゴリズムを用いて種々の衛星データから降水強度を算出し、それらを合成して全球の降水マップを作成・評価した。また、マイクロ波放射計データから作られた全球降水マップを静止気象衛星の赤外放射計データを用いて計算した雲移動ベクトルなどを用いて補間するアルゴリズムを開発し、それを用いて高時間・高空間分解能のマップを作成した。作成された全球降水マップは、DVDあるいは、インターネット経由で全世界のユーザに発信された。
 高時間・高空間分解能の全球降水分布は、グローバルな気候変動や水循環変動に関する現象解明や予測に対して不可欠な情報であるとともに、特に、降水観測が乏しい途上国において洪水や水利用や農業生産等の水に係わる問題の実態把握や予測をする上で、極めて有用な基本的情報である。本研究では、NASA/GPROFとは異なるアプローチで我が国独自のアルゴリズムを開発し、世界の他の全球降水マップを凌駕する高時間・高空間分解能の全球降水マップ、“GSMaP”の作成に成功した。 GSMaPは、すでに一部で利用が始まっているが、グローバルからリージョナルにわたる環境問題などの解明や予測に関する研究と同時に、開発途上国の水災害の予測などローカルな水問題にも広く活用が期待される。また、本研究の成果は、2013年からの運用が予定されている全球降水観測GPMの降水アルゴリズムの開発研究に対する基盤、言い換えれば、この分野における我が国が優位性をもった国際貢献の維持と発展の基礎となるものである。

3)神田 学チーム:研究課題
  「都市生態圏―大気圏―水圏における水・エネルギー交換過程の解明」
  本研究では、都市域の水・エネルギー循環系を1つのフローとして捉え直すこと、言い換えれば、都市生態圏が大気圏・水圏へ及ぼす強制力(フォーシング)すなわち水・エネルギーフラックスを物理的に解明することを目標として、首都圏を主な研究対象地域とし、次の4つのサブグループと分担課題、すなわちA.大気グループ: 観測・スケール実験による大気圏への水・エネルギーフォーシングの解明、都市生態圏から大気圏へのフォーシングモデルの構築、都市生態圏強制力モデルと気象モデルをリンクしたシミュレーション研究、B.沿岸海洋グループ: 観測による都市が沿岸域に与えるフォーシングの実態解明、都市生態圏強制力モデルと海洋モデルをリンクしたシミュレーション研究、C.水文グループ: 資料解析による都市の成長が沿岸海域の生態系環境に及ぼす影響評価、観測・スケール実験における水文量計測とその解析、都市生態圏から水圏へのフォーシングモデルの構築、およびD.建築微気象グループ: 観測による建物スケールの微気候が都市スケールに付与する熱的フォーシング効果の解明、スケール実験による都市キャノピー伝熱、流力機構のモデル化及び検証、メソスケールモデルへのリンクを前提とした都市キャノピーモデルの開発とシミュレーション研究、によって進められた。
  本研究プロジェクトの提案では、首都圏を事例研究対象として水循環系とエネルギー循環系を一体化的に捉えようという研究計画と方法論の双方が、極めて斬新かつチャレンジングであった。この方向に沿って、市街地等と東京湾とその周辺水域において様々な計測手法を駆使した系統的な観測ならびにユニークな発想に基づく都市の準実スケールモデル実験が実施された。これらのデータセットは、ドイツ・バーゼルの都市フラックス観測データの他に類例がなく、世界的な意味でこの分野の発展に資する貴重なデータ基盤として評価されている。このデータ基盤を用いて、都市気象・気候分野においては国際的にも高いレベルのパイオニアー的成果を上げている。今後、当初の目標の達成に向け、水圏における研究をさらに深化・発展させて整合性の取れた統合化がなされることを期待する。

4)丹治 肇チーム:研究課題
  「国際河川メコン川の水利用・管理システム」
 本研究は、メコン川下流4カ国の水利用の実態を明らかにするとともに、メコン川の水利用に係わる自然科学的モデルと社会科学的モデルとを作成し、自然科学と社会科学の両面からのアプローチを通して、今後のメコン川の水利用と管理に関する望ましい政策の提言に資する成果を上げることを目的としている。研究は、次の4つのサブグループ、すなわちA.水利用の実態把握とモデル化を行う水利用グループ、B.農林水産業の人間活動と経済・水利用の実態の把握と開発提案を行う人間活動グループ、C.経済発展の方向をモデルで検討する経済発展グループ、およびD.望ましい開発の方向と方策を提案するシステムグループ、に分けて進められた。
 国際河川として世界的な注目を浴びているメコン川流域については、これまでに様々な立場から多くの研究がなされてきた。それらの中で本研究は、自然科学的研究と社会科学的研究を融合して政策シナリオの提示を行おうとしたところに、ユニークさと挑戦的意義があった。データの制約などにより、研究の完成度という点では十分とはいえないが、水循環に係わる実態把握やモデル化を経済モデル分析と結び付ける方向での成果をかなり得た点で目標の半ばは達成されたと考えられる。特に、国際一般均衡モデルの構築と適用による経済分析は、メコン川流域では初めての試みであり、メコン川委員会など流域関連機関にインパクトを与えるとともに、この分野の今後の発展に資する成果といえる。また、メコン川流域研究において、日本の存在感を示す成果ともいえる。

5)船水 尚行チーム:研究課題
  「持続可能なサニテーションシステムの開発と水循環系への導入に関する研究」
 本研究は、「混ぜない」・「集めない」サニテーションシステムの開発と実証、ならびにこの新システムの導入戦略を提案することを目的として、次の7つのサブグループ、すなわちA.バイオトイレグループ(し尿を同時に処理するコンポスト型トイレの設計手法の開発)、B.バイオ・エコユニットグループ(雑排水を処理する傾斜土槽法設計/維持管理手法の開発)、C.コンポスト利用技術グループ(コンポストの農地へ施用ならびに生物分解性資材の製造法の開発)、D.リスク評価グループ(病原リスクの評価と安全対策)、E.流域グループ(流域スケール水・物質循環の観点からの新システム導入効果の評価)、F.国内実証研究グループ、G.海外実証研究グループ、を構成して進められた。A〜Eの要素技術研究とF、Gの実証研究との間では、研究段階に応じて相互にフィードバックが働くように密な連携が取られた。
 オンサイト分散型・資源循環型サニテーションシステムは、先進国においては将来の持続可能な自然共生型生活排水処理法として、途上国においては直面している安全な水へのアクセスと水域汚染問題を改善する有効な手段として、それぞれ社会的意義が極めて大きい研究課題である。特に、途上国での衛生施設の普及は、2002年にヨハネスブルクで開かれた「持続可能な開発のための世界サミット」において、数値目標が掲げられ、国際的協力によって解決されるべき重点課題とされている。本研究は、要素技術の基礎的研究から実用化に向けて国内・海外の実証実験まで広範な課題を設定して展開され、コンポスト型トイレの設計法や維持管理法およびコンポストの利用についての技術的課題をほぼ解決している。世界的な要請の中で、アジア発の有用なサニテーションシステムの技術開発として、科学技術的視点からの貢献は極めて大きいといえる。今後は、本研究の成果を基礎として、実用化へ向けての実践的研究が継続・強化され、社会貢献へと発展することが期待される。

6)古米 弘明:研究課題
  「リスク管理型都市水循環系の構造と機能の定量化」
 本研究は、持続可能な水資源確保や健全な水循環系の構築に向けて、都市域の自己水源である雨水、地下水そして都市排水の再生水を用途に応じて効果的に利用することを目標とし、特にそれらの水質の実態把握とリスク評価に重点を置いて展開された。次の5つのサブテーマに対応する担当グループ、すなわちA.都市ノンポイント汚染物質の動態評価・モデル解析、B.地下水圏の浄化能を考慮した地下水の適正利用手法の開発、C.都市域水循環・再利用から見た都市排水の水溶性微量汚染の評価、D.都市水循環システム構築のための水質リスクの多面的評価、およびE.都市内自己水源の都市域再利用に特化した水量収支モデル・水質指標の構築、が設定され、グループ間で実験データや収集データを共有するなど、蜜に連携した協力体制のもとに進められた。
 都市域自己水源の活用は、持続可能な水資源確保や健全な水循環系の構築の観点から、今後の水資源・水環境分野における重要な研究課題である。本研究は、都市域自己水源の利用に向けた基礎研究から応用にわたるわが国初の体系的研究である。特に、都市域水源の多種多様な水溶性物質による汚染の程度の実態把握、地下浸透過程での各種汚染物質の除去に関する実験的知見、水質リスク評価法の開発などは、今後この分野の発展の基礎となる先駆的研究成果である。いっぽう、我が国では従来、水資源の計画・管理が主に水量に注目して行われてきたが、水需給の量的バランスがほぼ達成された現在、量と質を一体化した水資源マネジメントが今後の政策の重要課題として検討され始めている。本研究の成果は、こうした方向の研究にも大きなインパクトを与え、取り入れられて深化・拡大されることが期待される。

 以下のページに、上に概要を紹介した平成14年度採択の6研究課題の研究終了報告書を掲載いたします。ご一読いただきまして、水循環分野の最先端の研究について皆様のご理解を賜れれば幸いです。

 なお、水循環研究領域は、次のアドバイザーの方々の協力のもとに運営されています。

領域アドバイザー

 
 
池淵
石井
大賀



眞柄
安成
米本
和田
周一
弓夫
圭治
明正


泰基
哲三
昌平
英太郎
(財)河川環境管理財団 研究顧問
(株)建設技術研究所 代表取締役会長
日本大学生物資源科学部食品経済学科 教授
東京大学サステイナビリティ学連携研究機構
地球持続戦略研究イニシアティブ 統括ディレクター
兼 東京大学気候システム研究センター 教授
北海道大学創成科学研究機構 特任教授
名古屋大学地球水循環研究センター 教授
東京大学先端科学技術研究センター 特任教授
(独)海洋研究開発機構地球環境フロンティア研究センター プログラムディレクター