平成17年度 研究終了報告書 (平成12年度採択課題)
「分子複合系の構築と機能」研究領域
研究終了にあたって

 研究領域「分子複合系の構築と機能」は高機能が期待される新規化学物質の創出と、それらを基礎とした複合系の構築を戦略目標としています。そのため、有機、無機、高分子あるいは有機金属分子が行う様々な相互作用に着目し、分子レベルでの機能発現・解析を目指します。また、その結果としての新技術の創出や新産業への導入を期待しています。

 現代社会が化学と化学物質によって支えられているということは厳然たる事実であります。空中窒素固定によって人類は飢えから解放されました。高分子化学によって多彩な衣料を獲得し、ペニシリンのような分子の発見によって多くの伝染性疾患から解放され、人類の生活は一変したのです。有機合成化学や石油化学の驚異的な進歩などによって20世紀はまさに「化学の世紀」となったのです。そして21世紀では化学はそのベクトルを複合系の構築へと向けて発展しています。

 平成10年に発足した本研究領域の第三回目(平成12年)の公募では84件の応募がありました。そのなかから、アドバイザーの方々のご協力を得て12件の研究課題を第一次候補案件として採択し、さらにその中から面接によって5件を採択しました。各研究課題の、平成12年11月から平成18年3月までの5年間の研究成果がここに集大成されています。この間、海外の主要学術雑誌への論文掲載数は368報を、また特許出願数も87を数えました。いずれも独創性が高く、国際的にも高く評価されている成果です。なお、アドバイザーの先生にはその後も、シンポジウム、中間評価、最終評価を通じて有益なご意見をいただきました。今木直、岩村秀、木村茂行、国武豊喜、古賀憲司、長谷川正木、村井眞二の諸先生、また外部評価者としてご尽力頂いた、徳丸克己先生に感謝申し上げます。なお、古賀憲司先生は本研究期間中の平成16年7月25日にお亡くなりになりました。まだ66歳で、奈良先端科学技術大学から東京にお帰りになって、これからもご活躍頂けるものと信じていただけに誠に痛恨の極みであります。ここに謹んでご冥福を祈ります。

 香月 勗代表者の「次世代合成のための多機能集約型触媒の構築」では、新規触媒の導入によって1)合成反応の立体、化学、位置選択性の向上、2)酸素や過酸化水素などの小分子の利用による反応の原子効率の向上、3)触媒の耐久性改善に基づく触媒回転数の向上、4)反応条件の温和化による反応エネルギーの節減あるいはクリーンエネルギーである光エネルギーの利用、5)反応剤の活性化基に由来する副生成物のクリーン化を目標として研究が行われました。
 本研究は3グループに分かれて実施されましたので、ここでは代表的な成果を記します。分子触媒に複数の触媒機能を付与する試みは多様な触媒活性を示す各種遷移金属のサレン錯体の動的分子挙動とアピカル配位子効果を制御することによって行われ、小分子の酸素(大気)を用いるアルコールの酸化や過酸化水素を用いるスルホ酸化ならびにBaeyer-Villiger反応、さらにはアジド化合物を用いるアジリジン化反応などが室温にて高エナンチオ選択的に進行することなど重要な知見が見いだされました。なお、酸素酸化については、その速度論および反応における速度論的同位体効果の詳細な解析に基づいて、触媒サイクルが3つの素反応よりなることなど反応機構が明らかにされました。さらに配位子効果を利用して律速段階の制御が可能であることや、多機能集約型触媒の有用性が確認されました。特に、配位子の柔軟性とキラリティーを考慮して、自己組織化を伴う二核錯体の新規構築法が見いだされ、この新たな手法を用いて、サレンよりも柔軟なサラレン配位子を用いて二核のジ-μ-オキソチタン(サラレン)錯体を構築し、過酸化水素水を用いるエポキシ化で初めて高エナンチオ選択性と同時に高触媒回転数を達成することができました。本法は、工業的実用化が期待されています。

 清水 敏美代表者の「一次元孤立微小空間構造の組織化と機能発現」では、内径がナノメートルサイズ(10〜100nm)の中空シリンダー状形態をもつ一次元孤立微小空間構造(脂質ナノチューブおよびその誘導構造体)を、的確に分子設計した自己集積性分子を用いて非共有結合的に合成することから始まりました。すなわちナノチューブ構造に自己集合する各種両親媒性物質、特に合成糖脂質、ペプチド脂質、核酸塩基脂質などの設計と合成、さらにはナノチューブの量産化を目指して、ナノチューブを100%収率で得るための分子構造因子の解明や分子構築単位の構造最適化を推進しました。さらに、得られた脂質ナノチューブ1本の機械的物性評価や脂質ナノチューブを用いたマニピュレーション、基板上での高次配列化、中空シリンダー部に束縛された水相ナノ空間の特性解明もあわせて実施しました。
 現在、このようなナノチューブ組織としては、カーボンナノチューブに興味が集中していますが、設計・合成・構造の多様性を持つ脂質ナノチューブを基本プラットホームとする系統的な大規模研究プロジェクトは国内外で当プロジェクトが唯一のものであり、その独創的で革新的な研究成果は国内外から大きな注目を集め初めています。当プロジェクトで得た新規な知見や独創的な技術手法は基本特許として、これまで多くの国内や外国出願を行ってきました。これらの研究開発成果が、例えば、国家的な規模で実施されている健康医療分野でのナノチップや極微小分析システム開発、情報通信分野での金属ナノ配線や単一電子トランジスタの開発、環境エネルギー分野では革新的な触媒担持材料やガス吸蔵材料研究などにとって重要な知見や手法を与え、近い将来、民間産業分野で技術展開されることが大いに期待されます。これは、研究代表者の強力なリーダーシップのもと、異分野の研究グループとの共同研究プロジェクトを効果的にとり進めた結果と言え、まさにCREST型研究の成果であると言えます。

 田中 晃二代表者の「エネルギー変換素子の開発」では化学エネルギーと電気エネルギーの相互変換を目指して、穏和な条件下での有機物(メタノール)の電気化学的酸化反応と電気化学的二酸化炭素の多電子還元反応を触媒しうる金属錯体の探索研究を実施しました。有機化合物に内在する化学エネルギーを酸化反応を通して電気エネルギーに変換するために、対をなす酸素還元を考慮して、電気化学的な有機化合物の酸化反応を検討しました。そのため、少なくとも+300 mV(vs.SCE)より負側の電位で、酸化反応活性種を形成する反応系の構築を目指しました。また、各種の置換基を有する一連のRu-ジオキソレン?アセタト錯体を合成し、酸化反応活性種の創造に適する錯体の創製を目指しました。
 水の4電子酸化による酸素発生(酸素?酸素結合生成)が、2核オキシルラジカル錯体を用いると、オキシルラジカルのカップリングにより酸素―酸素結合がスムーズに形成されて反応が進行することを明らかにしました。
最初に意図したオキシルラジカル錯体によるアルコール酸化反応に対しては、具体的な成果は得られなかったものの、同様の酸塩基平衡で作成したアンミン錯体由来のアミノラジカル錯体(証明は未だ不十分)はアルコール酸化に極めて活性でありました。(到達度80%)ただし、アンミン配位子がアルコール酸化反応中にアルコールに置換されて活性を失うため、現在、アミノ配位子の脱離の抑制を検討中であります。
 「温和な条件下でのメタノールの電気化学的酸化反応と電気エネルギーから化学エネルギーへの変換を目的とする二酸化炭素の多電子還元反応の構築」という極めて難度の高い目標を掲げて、錯体設計による基礎的研究を精力的に実施しました。最終目標には残念ながら到達してはいませんが、水を過酸化水素まで、メタノールをホルムアルデヒドまで酸化する光電極反応の触媒となるルテニウム触媒の開発に成功しており、また、アルコールの酸化、アンミン配位子の問題等が解明されつつあり、将来、燃料電池への展開の可能性も期待される成果を挙げたと言えます。
 戸部 義人代表者の「混合混成型巨大炭素パイ電子系の創出」の研究は、sp2混成炭素とsp混成炭素が混合した新奇な巨大炭素パイ電子系を創出し、新しい機能を開発することを目的として行われました。1次元共役系であるポリフェニレンエチニレン(PPE)は高いケイ光発光特性を有する共役ポリマーであり、被検体との錯形成に伴う消光現象を利用したセンサーにおいては錯形成の情報が共役鎖を通じて増幅されるため、低分子センサーに比べて高い感度で被検体を検出することができます。このシグナル増幅機構は「分子ワイヤー法」とよばれていますが、戸部グループですでに開発していた光学活性アミンに対して高い不斉認識能を有するキラルクラウンエーテルをPPEと共役したかたちで結合させることにより、キラルアミンに対する感度だけでなく不斉選択性をも増幅できることを見出しました。また、消光過程の詳細な解析に基づき、分子ワイヤーとしての機能が不斉選択性増幅の原因であることを証明しました。
 さらに、複数のデヒドロベンゾ[12]アヌレン([12]DBA)骨格から構成される巨大パイ電子系化合物の合成と物性について、ベンゼン環とアセチレンユニットにより構成される大環状化合物の中でも、平面構造を持ち、しかもナノメーターサイズの大きな空洞を有するメタシクロファン系について研究を行いました。種々の新奇な巨大パイ電子系の合成は、本研究代表者のグループでこそ達成できた成果といえ、またその特有の超分子会合体形成や固液界面でのパターン形成など、予想外の方向に展開しつつある成果であると言えます。今後は、材料・物性科学との接点を広げた研究を推進することにより、機能性材料創出への発展を期待したいと考えます。

 中西 八郎代表者の「有機ナノ結晶の作製・物性評価と多元ナノ構造への展開」では、金属・半導体ナノ粒子に比べて、最も研究が遅れている有機・高分子系のナノ結晶科学を速やかに進展させることが急務と考えられることからすでに萌芽的な研究が行われていましたが、本研究でも先ず、有機ナノ結晶の作製法の探索研究に着手しました。その結果、有機ナノ結晶の作製手法として、純化学的な方法である「再沈法」が汎用性に優れた有力な手法であることを確認すると共に、有機ナノ結晶固有の興味深い現象・物性の一端を把握し報告しました。既に先導的展開を始めていた研究代表者らは、このような背景を踏まえて、有機ナノ結晶の基礎科学分野のさらなる進展と、金属・半導体のような異種物質・材料とのナノ複合化・多元ナノ構造の創製および新たな応用展開を探る研究を実施しました。
 その結果、有機ナノ結晶の作製では、「再沈法」を発展・拡充させ広汎な有機・高分子化合物のナノ結晶化に有用な汎用的手法として確立することができました。また、個性の解明では、サイズ、形状に依存したナノ結晶に特有の光学特性および化学特性の存在とそれらの原因を明らかにしました。加えて、多元ナノ構造化では、異種材料である金属とのナノ複合化により加成性を超えた電子状態が発現することを見出しました。さらに応用展開では、対象化合物の機能に応じた種々の材料化が可能なことを示し、特に、従来技術とは全く異なる再沈法で難溶性色素・顔料の高品質化に道筋を開いたことは、関連工業分野への波及効果はきわめて大きい成果と言えます。
 以上の成果は、368報の論文に発表され、またそのいくつかは、87件の特許として出願されています。成果のうち若干のものは企業化が進行しており、今後の発展が期待されるものもあります。

 本研究領域は本年度をもって終了します。個々のグループそれぞれに固有の問題があったにせよ、研究総括としては、もう少しインパクトのある成果が得られても良かったのではないかと若干の不満も残ります。しかし、全体として優れた研究成果が得られたと思います。詳細な研究内容につきましては個々の報告書をご参照いただきたく、皆様のご批判ご意見を賜れば幸甚に存じます。
「分子複合系の構築と機能」研究総括
櫻井 英樹

独立行政法人 科学技術振興機構 戦略的創造研究推進事業CRESTチーム型研究