研究課題別事後評価結果

1.研究課題名
神経細胞における増殖制御機構の解明
2.研究代表者名及び主たる研究参加者名(研究機関名・職名は研究参加期間終了時点)
研究代表者  中山 敬一  九州大学生体防御医学研究所 教授
主たる研究参加者  北川 雅敏  浜松医科大学医学部 教授
3.研究内容及び成果
 日本人の3大死因は、癌・心虚血性疾患・脳血管障害であるが、これらは全て細胞増殖の問題として捉えることができる。癌は細胞増殖が無制限に起こることがその原因であり、一方、心虚血性疾患と脳血管障害では欠損した組織再生が起こらないことが治療の道を閉ざしている。本研究プロジェクトのテーマは、「なぜ神経細胞は分裂しないか」という点にあるが、これは裏を返せば、「なぜ細胞は分裂するのか」というメカニズムを知ることであり、その本質的なメカニズムを理解することが本研究の目的である。特に細胞周期におけるG0期(静止期)からの脱出機構は、神経細胞等の非分裂性細胞で喪失している能力であるが、その分子メカニズムに関しては全く不明であり、本研究の最終目標はそのG0期からの脱出に関する分子メカニズムを明らかにすることである。

 細胞周期は非常に多くの制御分子によって調節が行われている複雑な系であるが、大きく分ければ細胞周期を回転させるためのアクセル分子と停止させるためのブレーキ分子が存在する。まずブレーキ分子の代表格であるp27Kip1とp57Kip2の時空間軸における発現パターンを詳細に解析したところ、脳の発生過程において、神経細胞の増殖時期・部位においては両分子は全く発現していないが、増殖が止まって分化が始まるときに両分子が発現してくることを明らかにした。p27Kip1とp57Kip2のノックアウトマウスを作製し、個体における両ブレーキ分子の役割を明らかにすると共に、トランスジェニックマウスも作製して、ブレーキの過剰発現が増殖だけでなく、分化にも影響することを明らかにした。p27Kip1とp57Kip2の両者を欠損させたマウスは、残念ながら胎盤形成が障害されて胎仔の成長が止まってしまい、詳細な神経細胞における解析が不可能であったため、現在コンディショナルノックアウト法によって成体マウスにおいて両ブレーキを不活化する実験を進めている。

 次に、p27Kip1の発現の調節の問題に取り組んだ。上述したようにp27Kip1は増殖期の細胞には発現しておらず、非増殖期の細胞には高発現している。非増殖期にある細胞が再び増殖を開始する際には、p27Kip1は急速に分解される。このブレーキ分子の分解による解除機構は、細胞がG0期からG1期に入るための必要条件であり、その機構を明らかにすべく、まずp27Kip1の分解機構の生化学的解析を行った。p27Kip1はユビキチン・プロテアソーム系によって破壊させることが知られていたので、まずユビキチン化によって破壊される分子でユビキチン化の一般原理を追求することを目指した。そのときに用いた分子はWnt系のシグナル伝達分子であるβカテニンとNF-kB系のシグナル伝達分子であるIkBαである。これらをユビキチン化するメカニズムは、p27Kip1のユビキチン化するメカニズムと非常によく似ている。これら一連の研究からユビキチン化に必要な酵素であるユビキチンリガーゼ(E3)の性質が明らかとなってきた。これらはユビキチンリガーゼの中でもSCF複合体と呼ばれる分子複合体であり、それはSkp1、Cul1、Rbx1、F-boxタンパク質の4者から構成されていた。驚くべきことにF-boxタンパク質は多数存在し、種々の基質に対するアダプター的な役割を果たすことが明らかとなった。

 p27Kip1のユビキチン化に必要なF-boxタンパク質であるSkp2の生理的作用を調べるためにSkp2ノックアウトマウスを作製して、その異常を検討したところ、Skp2ノックアウトマウスではp27Kip1の分解異常とそれによる蓄積の他に、サイクリンEの蓄積、染色体や中心体の過剰複製等の異常が認められた。これらの異常が本当にp27Kip1の分解障害によるものかどうかを調べるために、Skp2・p27ダブルノックアウトマウスを作製したところ、染色体や中心体の過剰複製は消失し、これらはp27Kip1の分解が正常に行われないために起こったことが遺伝学的に証明された。

 しかしながら、Skp2ノックアウトマウスの解析は全く予想しなかった問題を提起した。Skp2ノックアウトマウスにおいてもG0期からG1期に移行する際にはp27Kip1はユビキチン化によって分解されてしまうのである。つまり、G0-G1移行期には別のユビキチンリガーゼが作用してp27Kip1を分解してしまうことが想定された。その未知のユビキチンリガーゼを、βカテニンやIkBαの解析を通じて培ってきたin vitroユビキチン化技術を用いて、生化学的に精製することに成功し、その遺伝子を単離した。この新規分子をKPC(Kip1-ubiquitylation Promoting Complex)と名付けた。KPCはKPC1とKPC2からなるヘテロ二量体であった。KPCの発現をコントロールすることによってp27Kip1の分解は変化し、最終的にG0-G1移行期のp27Kip1の分解に関わっている責任分子はKPCであることを証明した。これによって、細胞周期におけるブレーキ分子p27Kip1の発現制御機構の全貌がほぼ解明された。

 北川グループは、p27Kip1の分解に従来から重要だと考えられてきたユビキチン依存性の機構の他にタンパク質の切断によるものがあるということを発見し、それを詳細に生化学的解析を行った。このタンパク質切断によってp27Kip1はN末端から30番目付近で切り離され、この分子はブレーキ分子としての活性を喪失することが明らかとなった。これは従来のユビキチン・プロテアソーム系の機構とは全く異なる機構で行われていることが明らかとなった。

4.事後評価結果
4−1.外部発表(論文、口頭発表等)、特許、研究を通じての新たな知見の取得等の研究成果の状況
 活発な論文発表を行い、海外で90報掲載された。また口頭発表は国内47件、海外で15件であった。
 当初目的とした、神経細胞の増殖を阻害しているp27とp57の2つの遺伝子を阻害すれば、増殖を開始するのではないかとの期待は生存そのものが出来ないことが判明したため頓挫した。しかしこのチームは方針をむしろアクセルを刺激することに切り替え、細胞周期という困難な課題に取り組むことになった。その中で多くの重要な発見がなされた。注目される発表の一つは信号伝達物質のPKC-δが細胞増殖の抑制に働き、この機能が不全になると自己免疫疾患を発症することを2002年に nature に掲載されたことである。また、免疫抑制剤に関連したたんぱく質 FKBP38 が抗アポトーシス分子である Bcl-2 を制御し、抗癌剤や放射線照射でも死ななかったがん細胞にアポトーシスを引き起こさせることを Nature cell biology に掲載された。その他細胞周期をコントロールする数々の因子を発見しており、さらにポリグルタミン病病因遺伝子産物 MJD1 の分解機構の解明から VCP を介して結合する E4/UFD2a を発見したことも興味深い。これらの新規発見に対応して4件の国内出願を行った。これだけの成果を出せたのも多くの若手研究者のエネルギーを結集し、ノックアウトマウス作製等のスキルが優れていたためと考えられる。
4−2.成果の戦略目標・科学技術への貢献
 アルツハイマー病を始め、多くの精神・神経疾患は神経細胞が異常に死滅するために起こる疾患であり、神経細胞を増殖させることが出来れば、根本的な治療法になりうる。従来成人での神経細胞は増殖しないとされていたが、神経細胞の増殖を抑えているブレーキを外せば神経細胞を増殖させることが出来るのではないかとの構想のもとに研究を開始した。しかし、ブレーキを外しても神経細胞を増殖させることは出来ず、研究チームはむしろ細胞周期を動かすアクセルを刺激するという困難な方向に研究を転換した。この方針転換の善し悪しは議論の分かれるところではあるが、結果としてはより多くの成果を残すことになったのは間違いないであろう。特にG0期からの始動に関係する新しいユビキチンリガーゼKPC発見のインパクトは大きい。細胞周期のメカニズムの解明を進めても直ちに細胞増殖への応用は考えにくいが、研究を進める過程で自己免疫への応用、アポトーシスの促進によるがん治療への応用、Machado-Joseph病におけるMJD1ユビキチン化酵素 E4(UFD2a) を単離同定して遺伝子治療への手がかりを得たこと等、派生的な成果を十分に拾い上げていることはこのチームの有能さを示していると思われる。
4−3.その他の特記事項(受賞歴など)
 CRESTの成果等により北川雅敏助教授が浜松医科大学の教授に就任した。
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