研究課題別事後評価結果

1.研究課題名
Caチャネル遺伝子の変異と神経疾患
2.研究代表者名及び主たる研究参加者名(研究機関名・職名は研究参加期間終了時点)
研究代表者  田邊 勉  東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科 教授
主たる研究参加者  村越 隆之  東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科 助教授
 水澤 英洋  東京医科歯科大学医学部脳神経機能病態学 教授
3.研究内容及び成果
 脳組織においては多種多様な神経細胞がそれぞれ連絡し複雑で絶妙なネットワークを形成しているが、個々の神経細胞の種類によって、発現しているCaチャネルのタイプ、発現量は著しく異なる。神経組織に特異的に発現するCaチャネルα1サブユニットとしてこれまでにα1A, α1B, α1Eの3種類の遺伝子が明らかにされている。これらのサブユニットはそれぞれP/Q型、N型、R型Caチャネルをコードしている。Caチャネルは神経細胞間の情報伝達そして、神経細胞と標的器官(筋肉、感覚器等)との情報伝達に必須の要素として機能している。一方、電位依存性Caチャネルを通って流入するCaは個体発生に伴って構築される神経ネットワークの形成にも関与しているが、ある特定のCaチャネルが特異的にこの機能を担っているのかどうかは不明である。本研究は
  (T)個々のCaチャネルの生理機能とその特性を明らかにし、複数種のチャネルが一つの神経細胞に共存していることの生理的意義を明らかにする
  ( II )遺伝子変異と疾患との関係を、変異α1Aチャネルの発現制御、電流特性、活性制御などの側面から明らかにする
  ( III )以上の解析結果から得られた情報を基盤にして疾患モデルマウスを作製する
  の項目からなり、これらを有機的に繋げることによりα1Aチャネル遺伝子疾患の治療法を模索しようとするものである。本研究成果は’イオンチャネル疾患’全般の原因究明と治療法開発に格好のモデルを提供することになると期待される。
 
実施・研究成果
T. 遺伝子ノックアウトマウスを用いたCaチャネルの生理機能とその特性の解明(1.遺伝子変異マウス解析グループ、2.変異導入チャネル解析グループ)。
 これまで、クローン化した脳Caチャネルの構造機能連関の研究は、変異導入遺伝子をそれが本来発現している環境において発現させ構造機能連関の解析を行うことが必須である。種々の脳Caチャネル遺伝子をノックアウトしたマウスはこれまで不明瞭であった種々の神経機能に及ぼす個々のチャネルの関与の特異性及び貢献度の解明さらにはチャネル変異に基づく病態の解明と治療法の開発に役立つことが期待される。種々の神経特異的Caチャネル遺伝子変異マウスの解析から、外部からの侵害性刺激や体内の病変に対する生体防御機構として働き、生命維持に重要な警告反応である急性の生理的な侵害受容性疼痛にはP/Q型チャネルが、そして病的な疼痛であり、治療を必要とする慢性の侵害受容性疼痛にはN型およびR型チャネルが、さらに神経因性疼痛にはN型チャネルが重要な働きをしていることが明らかになり種々難治性疼痛に対する特異的治療薬の開発に繋がる成果が得られた。このように痛覚伝達一つをとっても個々のCaチャネルは、ある種の痛み伝達においては特異的に、別の種類の痛み伝達においては共同的に働いていることが明らかになり、これらチャネルの機能的差違をうまく利用することにより神経細胞のCaホメオスタシスを正常状態に維持できる可能性が示唆された。一方N型チャネルとR型チャネルノックアウトマウスは情動に関与する行動学的解析においてまったく反対の性質(恐怖心欠落傾向VS怖がり傾向)を示した。両チャネルの脳内における分布は非常にオーバーラップしており、今後これらチャネル欠損による情動異常の分子的基盤の解明に興味が持たれる。
 
II . P/Q型チャネル遺伝子変異と脊髄小脳失調症6型(SCA6)の病態との関係の解析(1.遺伝子変異マウス解析グループ、2.変異導入チャネル解析グループ、3.疾患遺伝子解析グループ)。
1. 我が国における常染色体性優性遺伝性の純粋小脳失調症の家系を対象として連鎖解析を行い、それらが遺伝的に異質な複数の疾患より成ること、その約半数が第19番染色体13.1に遺伝子座を有することを明らかにした。
2. SCA6の原因遺伝子産物であるP/Q型チャネルにはスプライシングの差によってポリグルタミン(ポリQ)領域を持つものと持たないものの2グループが存在するが、ポリQ領域を持つP型チャネルが、SCA6において特異的に変性脱落する小脳プルキンエ細胞において、高濃度に発現していることを明らかにした。
3. SCA6の患者プルキンエ細胞の細胞質内にP型チャネルのaggregateを見出した。これらの封入体はユビキチン化されておらず、他の多くのCAGリピート病において見出されている封入体とは性質を異にするものであることが明らかとなった。一方、長い異常ポリQ鎖のみを認識する抗体1C2を用いて解析すると、多くのプルキンエ細胞の細胞質内に顆粒状の小封入体の多発が見いだされた。核内にも存在する可能性があり、原因遺伝子産物からなる封入体が細胞質のみに認められるのと異なった分布を示した。これにより組織切片のみでもSCA6の確定診断が可能になった。
4. 患者由来P型およびQ型スプライスバリアントチャネルを作製しその電気生理学的特性を解析したところ、ポリQ伸長に伴いP型チャネルが不活性化しやすくなるのに対しQ型は不活性化しにくくなることが明らかとなった。臨床的にSCA6は純粋小脳失調を特徴とし、病理学的にはP型チャネルが主に発現しているプルキンエ細胞が大きく消失するのに対し、P型、Q型チャネルが共に発現している小脳顆粒細胞が比較的保たれている特徴がある。したがってこれらチャネルを通って細胞内に流入するCa量の変動がSCA6の疾患症状の原因であることが示唆された。
5. SCA6変異を導入したP型チャネルをstableに発現させた培養細胞系を作製した。正常な培養環境では導入細胞は異常を示さないものの、ストレス下においては正常な遺伝子を入れた対照に比べアポトーシスによる細胞死(カスパーゼ依存性)をきたしやすくなることを見出した。
6. SCA6患者の臨床症候の分析にて他の脊髄小脳失調症にはあまりない特徴として、めまいや動揺視を伴う垂直性眼振が多いことや反復発作性の症候が多いことを明らかにした。さらに、遺伝子解析と神経病理学的解析によりSCA6のCAGリピートはきわめて安定で somatic mosaicism はないこと、CAG数20は明瞭に疾患レンジであることを明らかにした。
 
III . モデルマウスの作製(1.遺伝子変異マウス解析グループ、4.遺伝子変異マウス作製グループ)
 SCA6においては、原因遺伝子がCaチャネルであるということから、P/Q型チャネル遺伝子座のnativeプロモーターの下流にヒト疾患Caチャネル遺伝子をシングルコピー導入できるターゲットベクターを構築した。そしてこれをES細胞に導入し相同遺伝子組換えがおきた変異ES細胞クローンの単離に成功した。続いて疾患P型チャネル遺伝子を含む組み換え用ベクターを構築し、これを上記ES細胞に導入しSCA6変異を有するヒト型P型チャネルを有する変異ES細胞クローンの単離に成功した。そしてこのES細胞からジャームライントランスミッションしたマウス(ノックインマウス)の取得に成功した。一方、本チャネル遺伝子の他の変異が、SCA6同様難治性疾患であるEA2およびFHMの原因遺伝子としても同定されている。単一イオンチャネル遺伝子内部の種々の変異がこのように多彩な神経疾患とそれぞれ独立にリンクしているということは驚きであるとともに大きなチャンスでもある。すなわちこれら疾患を包括的に考えることにより、個々の疾患症状の原因究明、治療法開発が加速度的に早まることが期待される。同様の手法でEA2モデルマウス、FHMモデルマウスの作製を試み両方ともに完成した。ヒトにおいてEA2は比較的若年から、FHMはそれに遅れてそして、SCA6はかなり高齢になってから発症するというような時間経過を経るが個々の患者によって非常にばらつきが大きく、何かほかに発症を誘引するような因子の存在を強く示唆させる。モデル動物においては発症前段階から老齢に至るまで詳しく解析が可能であり、モデル動物にさまざまな“負荷”をかけることにより、発症誘引因子を同定することが可能であり、疾患遺伝子変異を有するヒトにおいてはこれらを避けるような予防法の開発につながるも知れない。
4.事後評価結果
4−1.外部発表(論文、口頭発表等)、特許、研究を通じての新たな知見の取得等の研究成果の状況
 論文発表は海外に44件、国内50件掲載された。口頭発表は国内78件、海外25件であった。当初の目的通りCaチャネルとしての機能が明かなポリグルタミン病の一種であるSCA6を中心としてCaチャネル異常と疾患、症状との関連を明らかにする方向で研究が進んでおり、α1ACaチャネル遺伝子との関連はかなり明らかになった。特にポリQ領域を持つP型チャネルが、SCA6において特異的に変性脱落する小脳プルキンエ細胞において、高濃度に発現していることを明らかにし、そこが細胞死の場であることを示したことは大きな成果である。Caチャネルの種々のタイプが痛みや情動異常に働いていることの発見は、予期しなかった臨床的に重要な新知見であるが、メカニズムの解明は今後の問題である。鎮痛薬の開発手法を提供する特許を2件出願した。当初の目的に沿ってノックアウトマウス、モデルマウスの作製に取り組み予定通り完成したが、解析の時間が十分に取れなかったのが残念である。従って、Caチャネルの変異で、何故SCA6,EA2,FHMの多彩な表現型を示すのか?SCA6で何故プルキンエ細胞が特異的に細胞死をおこすのか?等多くの疑問が解明されずに残ることになった。今後の研究に期待したい。
4−2.成果の戦略目標・科学技術への貢献
 本来の目標に沿ってCaチャネルの生理的機構の多くを解析し、遺伝子変異と疾患との関連を示唆する幾つかの知見が得られたが、全体像が解明され治療法に結びつくまでには至らなかった。ノックアウトマウスやモデルマウスも予定通り作製することが出来、大きな成果と言えるが、研究期間内には十分解析するまで至らなかった。一方Caチャネルが疼痛に係わっていることを発見し、鎮痛薬の開発に大きな示唆が得られたのは予期しなかった成果であり、実用化の面では期待出来るであろう。
4−3.その他の特記事項(受賞歴など)
 なし
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