研究課題別事後評価結果

1.研究課題名
局所高電界場における極限物理現象の可視化観測と制御
2.研究代表者名及び主たる研究参加者名(研究機関名・職名は研究参加期間終了時点)
研究代表者  藤田 博之  東京大学生産技術研究所 教授
主たる研究参加者  年吉 洋  東京大学生産技術研究所 助教授
 和田 恭雄  早稲田大学ナノテクノロジー研究所 教授
 遠藤 潤二  科学技術振興事業団 CREST研究員
 渡邉 聡  東京大学大学院工学系研究科 助教授
 渡辺 一之  東京理科大学大学院理学研究科 教授
 橋口 原  香川大学工学部知能システム工学科 助教授 (平成10年5月1日〜)
 陳 軍  東京工芸大学工学部光工学科 助教授 (平成10年4月1日〜)
 中村 美道  科学技術振興事業団 CREST研究員 (平成11年7月15日〜)
 佐々木 成朗  成蹊大学工学部物理情報工学科 講師 (平成12年4月1日〜)
3.研究内容及び成果
 本研究では、数nmから数百nm級のナノ構造や空間に電圧を加え極高電界を生じさせ、その空間で、分子、原子、電子などがどう振る舞うかを電子顕微鏡で可視化するという手法を中心に観測することを目的とする。具体的には、(1)マイクロマシン技術で作るナノ領域探査ツール、(2)電子波の位相差検出による超高分解能顕微法、(3)第一原理に基づく局所高電界場の理論計算、の三つの柱で研究を行った。
 
マイクロマシングループ
 本研究の特徴は、マイクロマシンの技術を用いて、ナノ構造の形状を精密に作り、局所的な高電界を生ずる場を正確に決定する点にある。特に、超高分解能電子顕微鏡の狭い試料室内に収まる数mm角のチップ中に、ナノ構造とその動きをnmの精度で自在に制御するアクチュエータ、外部への接続端子などを全て集積化したデバイスを新たに創り出す必要があった。このため、シリコンチップの微細加工技術を拡張して、単結晶シリコンの結晶異方性エッチングと局部酸化法を組み合わせた新しいナノマシーニング技術を開発した。真空トンネル電流を制御するチップ、太さわずか50〜100nmで先端曲率が5〜10nm程度の2本のプローブをハシのように開閉できるチップ、電界放出観測用のナノ電子銃などを作製した。

 電界電子放出とは、鋭い針先端に集中する高電界によって、電子が真空中に放出される現象である。チップ上に、2つの鋭い針(先端曲率5nm程度)を100nm程度のギャップを隔てて対向させたナノ冷陰極電子銃を作り、電子顕微鏡中で観察しながら電子放出実験を行なった。シリコン針先に金を薄く付加したデバイスに100Vを印加すると、金の原子層がナノ粒子となって針上を移動する現象が観察できた。その後に針先は突然破壊したが、これは強い電界と電子衝突によって温度が上昇したためと思われる。エレクトロマイグレーションによる電子銃針端の破壊現象をリアルタイムで観測した初めての例である。

 真空トンネル現象観測用デバイスについては、まず針先を先鋭化し、先端曲率を5〜10nm程度にした。これを用いることで、市販のプラチナ製の針に比べ、より鮮明なグラファイト原子像を得ることが出来た。また、アクチュエータのバネ剛性を数百N/mと強化することで、試料表面との間に働く原子間力に打ち勝って、安定な動作を確保してトンネル電流を制御した。本デバイスは、電子顕微鏡での観測を目的として2つの先鋭な針が対向する構造となっているが、シリコン薄膜中のわずかな残留応力等のため、針先の位置が必ずしも一直線上に並ばないという困難な問題が生じた。これを解決するために、針の高さを上下して軸合わせを行う垂直駆動方のマイクロアクチュエータを新たに開発した。

 マイクロマシーニング技術の利点を最大限に発揮できるのは、複数のプローブを100nm以下の近傍に集め、同時に複数点で測定を可能にするマルチナノプローブである。各々のプローブはマイクロアクチュエータで独立に動かせる。二本のプローブが直角に向き合い、その間隔をnm単位で制御できるデバイスを作って、電子顕微鏡中でその良好な動作を確認した。また、互いに向かい合ったナノ探針も製作し、そのギャップ間にナノ物体を捕獲して操作したり、評価したりするデバイスを製作した。徳島大・馬場教授のCRESTプロジェクトと共同で、水中に溶けたDNA分子をナノ探針に加えた交流電界で捕獲する実験を企画し、分子の束を捕獲することに成功した。また、針先からカーボンナノチューブを成長させ、その評価を行なった。

 

可視化グループ

電子干渉計測法は、通常の電子顕微鏡とは異なる観察方法で、試料を透過した電子の位相を計測することによって、試料の電気的・磁気的性質を同時に可視化することができる。物体の原子・分子的な組織や構造と、電磁気的な性質とを同時に観察・計測できる極限的な計測の可能性を有している。そこで、可視化グループは、マイクロマシン法で作製したマイクロプローブの中での原子・分子の振る舞いや構造、電気的・磁気的な性質を電子干渉計測により原子直視レベルの分解能で観察・計測する、という構想でスタートした。

 本グループでは、まずこの計測法のための基本的な装置の開発と、レーザ干渉計を用いた原理実験、解析・制御ソフトウェアの開発に着手した。最も重要な装置は位相解析が可能な高干渉電子顕微鏡で、試料の原子的な構造の観察が可能となるように試料環境を超高真空にした。また、マイクロマシン試料の構造・動作を観察するには、試料に電圧を与えたり、電流を読み出したりすることが必要であることから、9接点を有する特殊な試料ホルダを開発した。2接点程度の試料ホルダはこれまでにもあったが、9点もの接点を有する試料ホルダは世界レベルで見ても過去に例がない。また、通常の電子干渉法よりも飛躍的に計測精度の向上が見込まれる位相シフト干渉法を可能にするために、電子線軸の周りに回転可能でかつ電子線軸に直交する方向に0.1μmオーダーで微動出来るような電子線干渉計を開発した。この位相シフト方式と装置も当グループのオリジナルなアイデアである。これらの装置は、マイクロマシンの構造・動作の観測や電界放出現象の観察・計測に使用されて一連の成果を得るに至った。特に、ナノ冷電子銃の電界電子放出についてはシリコン針を用いた実験を行い、電流対電圧特性の時間変化と針先形状の変化とを同時に観測した。電子放出を1時間程度継続すると初期に比べ電流値が増加するが、秒単位の電流の変動が見られた。このような時間的不安定性は電子銃先端の原子レベルでの形状変化が関与していると考えられる。現在得られている顕微鏡像ではそのような形状変化まで観察できていないが、今後更に分解能を向上することによって可視化観測結果との対応を取り、また電子干渉計測についても実験を進めて行く方針である。

 一方、電子干渉光学系の原理実験として行なっていたレーザ干渉実験では、この干渉光学系がレーザ光学分野で新規な系であることと、2光束干渉法を1系統の拡大光学系で実現できたことから、機械的振動にも極めて強いという特長を持つことが分かった。更にはサブμm領域の微小な屈折率分布を高精度に可視化定量計測できるという、従来の顕微鏡にない機能が実現できることから、光デバイス内部の屈折率計測に応用すると共に、その内容を論文にて発表した。この装置は科学技術振興事業団の独創的研究成果共同育成事業に採択されて平成14年8月に製品化された。

 
理論解析グループ
 局所高電界場中の物理現象を理論解析する上でまず留意すべき点は、この場の中で起こる現象の多くは非平衡量子現象である為に、バンド計算に代表される通常の手法の適用が難しい、という点である。そこで理論グループでは、まず新しい方法論や計算プログラムの開発から取り組んだ。その結果、ミクロなレベルでの原子・電子の振舞いを信頼性高く予測できる「密度汎関数法」という方法論の枠組みの中で、(1)電極内部−表面間の電子移動を考慮しながら定常電流下での電子の状態を自己無撞着に計算する「半無限電極法」、および(2)複数個の物体からなり、物体間の電流が無視できる系の電子状態を計算する「空間分割法」という、2つの新しい方法論の開発に成功した。さらに、電子状態や電流の過渡的な時間変化を追跡する「時間依存法」についても、既に提案されていた方法論に独自のアルゴリズムを織り込んだ計算プログラムを開発した。
 これらの方法論・計算プログラムを用いた物理現象の理論解析においては、マイクロマシングループ及び可視化グループとの連携を念頭に置き電界電子放出現象を中心として研究を進めた。その結果、(1)先端が単原子で終端されている鋭い突起を持つアルミニウム表面からの電界放出電子のエネルギー分布においては、突起サイズが大きい場合に二つのピークが現れるのに対し、小さい場合にはピークが一つしか現れないという、顕著な突起サイズ効果が生じる、(2)グラファイトシート(グラフェン)端からの電界電子放出では、グラフェン端への水素吸着で仕事関数が減少するにもかかわらず放出電流も大きく減少する、(3)ダイヤモンド表面からの電界電子放出では、弱電場に対して有効と思われていた従来理論が不充分で、むしろ弱電界ほど計算結果からはずれる、等の従来の常識を覆す知見を得た。さらに、実験との対応を取る為に、電界計算と電子放出理論を組み合わせ、放出された電子の空間電荷による電界の変化を自己整合的に取り入れた解析法を考案し、針先だけでなくギャップ全体を包含する電界電子放出場の解析を行った。この結果、針先の曲率半径が数nm以下の領域で大きな電界放出が起きること、その針先の電界は放出電子の空間電荷による緩和効果が大きく影響することなどが明らかになった。また、電界電子放出以外にも電界蒸発現象、電極間原子鎖の電流−電圧特性、ミクロなスケールでの静電容量、走査トンネル顕微鏡による局所トンネル障壁高さ測定などの現象について解析を行い、多くの興味深い知見を得た。
4.事後評価結果
4−1.外部発表(論文、口頭発表等)、特許、研究を通じての新たな知見の取得等の研究成果の状況

 得られた主な研究成果は学術誌への発表論文84編、口頭発表112件、特許14件によって発表し、さらに論文数編の投稿を準備している。前項の記述と重複するが改めて本研究で得られた知見を以下に要約する。

マイクロマシングループ
(1) シリコンチップの微細加工技術を拡張して、単結晶シリコンの結晶異方性エッチングと局部酸化法を組み合わせた新しいナノマシーニング技術を開発した。これを用いて数mm角のチップ中にナノ構造とその動きをnmの精度で自在に制御するアクチュエータ、外部への接続端子などを全て集積化したデバイスを世界に先駆けて製作した。
(2) ナノ冷陰極電子銃の電子放出実験を電子顕微鏡で観察しながら行なった。金のナノ粒子が針上を移動する現象を観測した。その直後に針先が破壊したが、これはエレクトロマイグレーションによる電子銃針端の破壊と見られる現象で、破壊の実時間観測として初めての例である。
(3) マイクロアクチュエータで独立に駆動できるマルチナノプローブは現在本研究グループのみが製作できる。特記すべきこととして、水中に溶けたDNA分子をナノ探針に加えた交流電界で捕獲し大気中に取り出した実験は他に類例が無い。
(4) 真空トンネル現象観測用デバイスについては、先端曲率が5〜10nm程度までに針先を先鋭化し、またアクチュエータのバネ剛性を数百N/mと強化することによって、トンネル電流を安定に制御するデバイスを実現した。マイクロマシンを使ってトンネル電流を制御することに成功しているのは世界でも数箇所のみである。
 
可視化グループ
(1) 本研究グループが製作した超高真空位相検出型透過電子顕微鏡は単原子レベルの分解能をもっているだけでなく、マイクロマシン試料の構造・動作を観察する為の9接点を有する特殊な試料ホルダや位相シフト干渉法を可能にする0.1μmの微動が可能な電子線干渉計など、当グループのオリジナルなアイデアを満載した唯一無二の装置である。
(2) 位相検出顕微法の原理をレーザ光学顕微鏡に利用して、従来のものより飛躍的に優れた性能の透過型光干渉顕微鏡を開発し、製品として世に出した。
 
理論解析グループ
(1) 電子や原子の輸送を含む局所高電界場の非平衡量子現象について「密度汎関数法」という第一原理に基づく方法論の枠組みの中で、(a)電極内と表面間の電子移動を考慮しつつ定常電流下での電子の状態を自己無撞着に計算する「半無限電極法」と、(b)物体間の電流が無視できる系の電子状態を計算する「空間分割法」という、2つの新しい方法論の開発に成功した。
(2) 電界電子放出現象に関して、Al表面からの電界放出電子エネルギー分布に顕著な突起サイズ効果があること、グラファイトシート端への水素吸着で仕事関数が減少するにも係らず放出電流も大きく減少すること、ダイヤモンド表面からの電界電子放出では、弱電場で有効と思われる従来理論がむしろ弱電界ほど不正確なこと、等の従来の常識を覆す知見を得た。
(3) 電界電子放出以外にも、電界蒸発現象、電極間原子鎖の電流−電圧特性、ミクロなスケールでの静電容量、走査トンネル顕微鏡による局所トンネル障壁高さ測定などの現象について解析を行い、多くの興味深い知見を得ることができた。
4−2.成果の戦略目標・科学技術への貢献

 当初本研究は、真空トンネルギャップの局所高電界場中での原子や電子の輸送現象を、マイクロマシンの技術で作った走査トンネル顕微鏡デバイスを用いて、超高分解能位相検出型電子顕微鏡によって可視化観測すること目的としていた。しかし、他の研究グループが類似の研究成果を発表したことや、本研究チームの実験中に判明した問題から、当初の予定より格段に複雑なデバイスを実現することが必要となった。この新たな目標について多大の成果が得られたと言える。まず、局所高電界場に特有の量子現象である電界電子放出現象についてはナノ加工、顕微観測、理論解析の3方向から詳細な研究を行い、多くの新規な知見を得た。この過程でマイクロデバイスや電子顕微鏡に関わる実験研究者と第一原理計算にかかわる理論研究者とが緊密な共同研究を行ったことは、新たな研究の着想を助けるとともに若手研究者の育成に大きく役立った。

 また、マルチナノプローブデバイスは、世界に類例のないものである。水中に溶けたDNA分子をナノ探針に加えた交流電界で捕獲する実験に成功するなど、今後、ナノ領域を自由に探索するツールとして広く使われる可能性が高い。また、このようなデバイス作製を可能にするため、多くの新規なナノ加工技術を考案したが、この技術はいわゆるトップダウンのナノテクノロジーの基盤技術として大きな貢献が期待できる。

 電子干渉計測法は、通常の電子顕微鏡とは異なり、試料を透過した電子の位相を計測することによって、試料の電気的、磁気的性質を同時に可視化することができ、物体の原子・分子的な組織・構造と電磁気的な性質とを同時に観察・計測できる極限的な計測の可能性を有している。今回製作した超高真空位相検出型透過電子顕微鏡は、通常の透過電子顕微鏡と同等の原子分解能と電子干渉計測機能とを兼ね備えており、固体電子論、表面物理、触媒化学など材料の基礎物性に関する幅広い分野に極めて有望な計測・評価法となり、これらの分野に大きなインパクトを与えうる。また、この電子顕微鏡に実装された多くの新技術も、今後の顕微法の発展に資するものである。

 理論計算においては、これまで困難であった非平衡量子現象の解析について、「半無限電極密度汎関数法」、「空間分割法」という、2つの新しい方法論の開発に成功し、ミクロなレベルでの原子・電子の振舞いを信頼性高く予測できるようになった。これらの新解析法は、電子や原子の輸送を含む局所高電界場の物理現象について多くの新知見を与える武器となる。

 以上を極く要約すると、本研究は局所高電界場での物理現象について実験と理論の両面から多くの新知見を与えただけでなく、ナノ領域の物性解明に不可欠の計測・解析手段である、マイクロマシン法で作ったマルチナノプローブの「手」、位相検出型透過電子顕微鏡の「目」、第一原理計算手法の「頭」を開発したことになり、今後のナノテクノロジー発展に資するところ大と期待される。

4−3.その他の特記事項
 電子干渉計測法の精度向上や画像処理法などを原理的に検討することを目的に、ほぼ等価なレーザ干渉系を構成し実験を行なっていた中での副産物として、サブμm領域の微小な屈折率分布を高精度に可視化定量計測できる顕微干渉計が開発された。これは光ファイバーや光導波路など光デバイス分野、生体物質計測分野の研究者から注目されており、今後、その有用性が認知されるに従って、国際競争力の高い技術、製品に発展するものと期待される。既に一国立大学の教授から生体物質について計測の可能性の打診が有ってテストサンプルを計測した結果、これまでにない詳細な情報が得られているとの評価を得ている。
 この他、本研究チームでは分子素子デバイスや分子集積回路、マイクロアクチュエータなど広範囲の考案に関して特許を取得している。
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This page updated on September 12, 2003
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