研究課題別事後評価結果

1.研究課題名
磁気力を利用した仮想的可変重力場におけるタンパク質の結晶成長
2.研究代表者名及び主たる研究参加者名(研究機関名・職名は研究参加期間終了時点)
研究代表者  安宅 光雄  産業技術総合研究所 人間系特別研究体 グループ長
主たる研究参加者  若山 信子  産業技術総合研究所 環境調和技術研究部門 主任研究員
 和田 仁  物質・材料研究機構 強磁場研究グループ、主幹研究員
 木吉 司  物質・材料研究機構 強磁場研究グループ サブグループリーダー
3.研究内容及び成果
物質・材料研究機構サブグループ
 試料に均一な磁気力を発生できるマグネット(則ち試料に一定の大きさの磁気力を一方向に印加できるマグネット)が有れば、タンパク質等の反磁性物質に働く均一磁気力を重力に重ね合わせることによって仮想的な可変重力場の実現が可能になる。その様な顕著な大きさの磁気力の発生には超伝導マグネットの利用が不可欠になるが、それが実現すればスペースシャトル等で宇宙に行かずに対流の抑制や制御、浮遊の実験が可能となるばかりでなく、重力値を仮想的に変化させること等が可能となる。磁気が物質や物体に及ぼす作用についても、磁場(H)の効果と磁気力(磁場と磁場勾配の積 H・∂ H/∂ z に比例、zは軸方向の座標)の場の効果を分けて考える必要があり、均一磁気力を発生できるマグネットを用いて初めて、双方の効果を定量的に分離して論じ得る。
 従来、‘均一磁気力を発生させるマグネット’という概念や要請は特に無くて、それを作製するには如何にすれば良いかは手探り状態であったが、マグネット製作を専門とする本サブグループがその様なマグネットの設計方法を開発した。すなわち内側、外側の複数のコイルを組み合わせることによって1cm立方程度の空間に軸方向の均一磁気力が発生できることを計算上示した。その知見を基に実際に磁気力均一マグネットを製作して設計通りの性能が実現することを確かめた。このことは我が国独自の新しい概念・着想から出発して、その実現性を証明し工学として成立することを示した意義深い成果であると考えられる。その直接的な波及効果として、米国およびフランスのマグネット設計の専門家達が即座に反応し、従来のマグネット設計の限界や磁気力均一化の方法について発表し始めたことが挙げられる。
 さらに当初の計画にはなかった進展として、「磁気力ブースター」の発明が挙げられる。これは、強磁性体を用いてマグネット内の磁気力をさらに増強する工夫で、特定の形状を有する強磁性体を2個以上配置することによって強力・均一の磁気力が鉛直方向に発生することを助ける。上述の均一磁気力マグネットに「磁気力ブースター」を適用して発生させた強い磁気力は、水などの磁気浮上に必要な磁気力を容易に凌駕させることができる。このブースターを市販の超伝導マグネットと組み合わせても、均一性は劣るが強い磁気力が発生する。
 
産総研環境調和技術研究部門サブグループ
 磁場および均一磁気力場の下における流体の挙動を詳細に解析することは、結晶化溶液内の対流や成長する結晶の周囲の環境を知る上で必須である。本サブグループの役割は、流体力学の基礎方程式を用い、コンピュータ・シミュレーションと実験とで磁場および均一磁気力場下における流体の挙動を調べることにある。それにより、磁場および磁気力場の作用の定量的な把握が確実に進んだ。それに加えて、研究スタート時には予測しなかった次のような成果が得られた。
 (1)汎用の対流抑制法として上向き磁気力が使えることが分かった。従来、磁場による対流抑制法としては、ローレンツ力(流体速度 V と磁場 H のベクトル積に比例)を利用する方法が知られていた。しかし、この方法は電気良導体の流体にしか使えず、溶融金属や溶融シリコンのみに用いられていた。これに対して、電気伝導性の良否に依らず全ての反磁性体および常磁性体の流体に上向きの磁気力を印加した場合に対流が抑制されることが分かった。上向き磁気力が重力と同じ大きさであれば対流の完全な抑制ができるが、たとえ磁気力の大きさがそこまで達していなくとも、対流を減少させることが明らかとなった。
この新たに見出だされた汎用の対流抑制法乃至は軽減法は種々の製造プロセスに使用できるのみならず、物質・材料研究機構が開発した磁気力均一マグネットの用途拡大にも役立つものと考えている。
 (2)結晶化を起こさせるためのタンパク質過飽和溶液中では、磁場中で粘度上昇が起きていることが発見された。このような準安定状態の溶液の物理・化学的性質は未だ良く分かっていない。磁場中の粘度上昇は過飽和溶液の重要な性質の一端を覗かせたと考えている。溶液の粘度上昇は対流抑制の観点から良質の結晶成長にとってプラスの効果である。また今回の発見は‘磁場下における過飽和溶液中の物理・化学的現象’と云う未開拓の研究分野を示したと言える。
 
産業技術総合研究所人間系特別研究体サブグループ
 磁気力場を印加する場合は同時に磁場も印加される。双方の場がタンパク質の結晶成長に及ぼす効果を調べ、それらが良質単結晶の成長に如何に役立つかを評価するとともに、それで得た結晶を用いてタンパク質の構造解析に結びつけることが本サブグループの使命である。
 以前には磁場或いは磁気力場でタンパク質結晶の品質が向上することを明確に示す例は無かったが、本研究により医学的・薬学的に重要な3つのタンパク質について品質向上の例を見つけることができた。アデノシン・デアミナーゼは磁場を印加しない場合に結晶成長には1ヶ月掛かり、しかもその多くの結晶はX線回折パターンが明瞭でなくて構造解析に使用できる結晶は20回試行したバッチ中に1つしか無かった。それに対して10Tの磁場を印加した場合は2週間で成長させることができ、且つほぼ全数の結晶が明瞭なX線回折パターンを示した。すなわち、結晶内の分子配置の秩序が飛躍的に向上した。17βヒドロキシステロイド脱水素酵素の場合も10Tの磁場印加下の結晶成長させることによって高分解能の側に亘る明瞭なX線回折パターンが得られ、精密な構造解析ができた。これらの2例では試料の量的制約等の理由で磁場と磁気力場の効果を分離して評価するに至らなかったが、フルクトース・ビスホスファターゼでは多くの試料を用いて実験を繰り返し、異なる大きさの上向き或いは下向きの磁気力場を印加した場合、均一磁場を印可した場合、双方とも無い場合を比較した。結晶の品質が次第に向上した条件を順に並べると、下向き磁気力を印加した(過重力相当)<無磁場(コントロール)<均一磁場のみを印加<上向き磁気力場を印加(低重力相当)の順で結晶の品質は向上した。すなわち均一磁場でも或る程度の品質向上は起きたが、さらに上向きの磁気力場を掛けることによって品質の高い結晶を得ることができた。
 以上の3例は実際の医薬品開発に与って構造決定を行っているグループとの共同研究で、それらのグループのみが有する、容易に入手できないタンパク質試料を用いて行なった実験であり、それに得られた高品質結晶は直ちに精密構造解析の目的で使用された。
 磁場あるいは磁気力場が効果を示した理由を考察する上では、産業技術総合研究所環境調和技術研究部門サブグループの研究成果が活用できた。すなわち(1)磁場配向、(2)粘度上昇、(3)上向き磁気力による対流や沈降の抑制、のそれぞれが結晶品質向上に効果を発揮したと考えられ、総合的結論としてマグネットの使用がタンパク質結晶の品質向上に果たす効果は大きいと判断される。
4.事後評価結果
4−1.外部発表(論文、口頭発表等)、特許、研究を通じての新たな知見の取得等の研究成果の状況
 本研究チームによる特許出願「均一磁気力発生磁石」は均一磁気力場を発生させる磁石の製作を可能にするコイルの配置を示したものである。そのコイルの配置を権利化するための特許出願であり、均一磁気力場発生磁石の設計に必要な基本特許である。本研究課題の眼目の均一磁気力場発生という、磁場設計の専門家にとって新しい課題に取り組んで見事に実現したことに伴う出願であり、云わば使命と義務の遂行の証である。
 特許出願「強磁気力場発生装置」は特定形状の強磁性体複数個から成るブースターを用いることにより磁気力場の均一性を損わずにその強度を高めることを可能にする発明で、上記の均一磁気力発生磁石或いは市販の超伝導磁石にブースターを組み合わせることで、例えば水を浮上させるほどの磁気力を容易に発生できる。電磁石のみで水などを浮上させるには大型のハイブリッド磁石を必要とするが、ブースターを用いれば左程大型でない均一磁気力発生磁石や市販の超伝導磁石でも可能となる。大型磁石を必要としない点では‘アルキメデス効果法’と同じであるが、アルキメデス効果法では酸素ガス供給等の付加的設備を必要とする。ブースターの発明は当初の予測を越えて得られた成果であり、その実用化は企業によって進められていて特許料収入が将来見込まれる。
 特許出願「対流抑制方法とその装置」は、電気伝導性を有しない又は大きくない反磁性乃至は常磁性の流体の対流を上向き磁気力場の印加により抑制する、という方法の発明である。対流の抑制は、良質単結晶の育成、多成分液の分離効率向上、それによる有用物質の取得や有害物質の回収、熱伝導の制御、純粋な物質の合成や製造など、多くの目的に好適に使用できる技術である。数多くの物質を含む、電気伝導性の良くない反磁性体・常磁性体を対象として対流抑制の手段が見付けたことの意義は大きい。プロジェクトの目的であった良質タンパク質単結晶育成という範囲を超えて、物の製造や反応一般に使用できる対流抑制の新しく且つ汎用の方法が見出だされたことは、各種工業プロセスにとっての朗報であり、これも当初の期待を上回る成果と言える。
 以上3つの特許出願は何れも基本的な原理に関するもので、それらは発見と同時に権利化することを一体としてタイムリーに進めている。論文(S.-X. Lin, M. Zhou, A. Azzi, N. I. Wakayama and M. Ataka: Biochem. Biophys. Res. Commun. (2000) 275, 274.)ではフルクトース・ビスホスファターゼを対象として、このタンパク質を磁気力場の効果と磁場の効果とが比較できる形で結晶化する実験を繰り返して行ない、得られた結晶をX線回折パターンの明瞭さから比較した結果を述べている。上向き磁気力の作用下で最も良質の結晶が得られること、およびその再現性の有ることを示しており、磁気力場の下でタンパク質結晶の高品質化を図るという本研究課題の目標達成を具体的に裏付けている。
 本課題研究遂行に於ける難点としては、タンパク質単結晶育成に及ぼす磁場および磁気力場の影響を明確に示す実験例が比較的少なかったことが挙げられる。均一磁気力場の効果を重視する姿勢からその発生装置の完成を待っていた事情は有るが、磁場の印加にも良質結晶育成の効果が有ることからすれば、均一磁気力場発生装置の完成を待つ間に種々の条件の磁場下における結晶成長の実験や、結晶化に最適の過飽和溶液の作製法探索など、‘良質タンパク単結晶の育成法を開発して生命科学研究の推進に寄与する’と云う本来の目的に沿う有用な実験を数多く行なえた筈で、この点が惜しまれる。
4−2.成果の戦略目標・科学技術への貢献
 物質や材料の合成・製造・反応に電磁石を利用する場合、期待される機能としては(1)磁気異方性のある材料を磁場の下に配向・整列させるという機能の他に(2)磁気力場を印加する機能とが考えられる。従来は前者のみが専ら研究の対象になり、後者の磁気力場を利用することの検討は殆ど無くて、試料空間内で磁気力が一定であるかどうかがマグネット設計の立場から意識されたり検討されたりすることはなかった。本研究チームでは均一磁気力場発生超伝導マグネットの開発を図り、初めて完成したことによって磁気力場の作用を解明する研究環境が整ったものと考えられる。

 磁場下におけるタンパク質等の溶液の粘性向上は溶液の物理化学的な新発見の現象であり、今後この方面での新研究分野開拓の可能性を示唆する。

4−3.その他の特記事項
 本研究チームが発明した「均一磁気力場発生マグネット」と「強力磁気力場発生装置(ブースター)」を組み合わせることによって、反磁性物質を浮上出来るようにしたことは注目に値する。スペースシャトル等での実験は高額の費用を要するが、同様の実験を地上で行なうことが出来るようになる。本方法に対しては、米仏の研究者も強い関心を払っている。
<<極限環境トップ


This page updated on September 12, 2003
Copyright(C)2003 Japan Science and Technology Corporation