転写は遺伝子発現制御を司る主要な過程であり、転写制御機構の解明は生命活動を理解する上で必須である。細胞内で起こる膨大な数の転写は、統合や同調、そして多様性や特異性を保ちつつ進められているが、その詳しい分子機構の多くはまだ不明のままである。研究代表者は基本転写機構の中で、とりわけ中心的な役割を果たす因子であるTBP(TATA結合蛋白質)に注目し、この因子と結合する因子や、それと複合体を成す因子の解析、さらにはTBP機能それ自身のポテンシャルを修飾する活性に焦点を当てて研究を進めた。始めにTBP結合因子群(TIP)を検索する新たなin
vitro実験系を確立し、複数のTIPを見い出した。TBPと結合する因子、あるいはそれを含む複合体という点に関し、タンパク質分解装置であるプロテアソームに含まれる複数のATPaseが、細胞内でTBPと複合体を形成する事実を明らかにした。この発見により、プロテアソームATPasに複数の存在形態があることが示された。興味あることに、ある種のプロテアソームATPaseは複数の基本転写因子や、後述するTIP120Aと複合体を形成しており、ATPaseが転写制御に直接関わる可能性を示唆した。これとは別に、スプライシング関連因子の一つであるhnRNP-FをTBPと複合体を形成する因子として同定し、転写とスプライシングの共役についても考察を加えた。耐熱性TIPとして、新規因子TIP120とそのファミリーを同定した。TIP120Aについてはin
vivo、in vitro転写実験により、基本転写反応を活性化する機能を持つ新しいタイプの転写活性化因子であることを明らかにした。TIP120Bは筋特異的なタンパク質であり、筋分化に伴って遺伝子が活性化されることから、筋分化因子の可能性がある。TIP120A自身も細胞分化に伴って発現誘導が起ることから、TIP120ファミリーは分化に関わる転写関連因子と見なすことができた。このほかのTIPとして、酵母からヒトにいたる生物の間で高度に保存されているTIP49を、世界に先駆けて同定した。TIP49は細胞増殖に必須な因子であるが、他の多くのグループの研究により、それがクロマチン再構成複合体やクロマチン修飾因子複合体の中に含まれること、あるいはいくつかの転写因子のコアクチベーターとして機能することがわかり、転写制御に広く関与するユニークな分子と見なされるに至った。TIP49は細胞質(膜)にも存在しており、細胞外シグナル受容体として機能することも示され、多機能因子であることが明らかとなった。
TBP解析の過程で、TBPに良く似た因子としてTLP(TBP-like protein)を発見した。TLPはTBPに類似する構造的特徴や他のグループによる遺伝子ノックアウトなどの解析から、転写因子と予想された。本研究ではまず、様々な生物種からTLPを同定してその構造の比較検討を行ない、TLPがTBP以上に進化的に保存されている因子であることを明らかにした。植物や酵母からはTLPは同定されず、後生動物特異的因子であることも示された。TLPはTBPと緩い相同性をもち、TBP様の活性が期待されたが、実際にはTATA-box結合能もTBPに代わるin
vitro転写活性化能も示さず、この意味で、TBPと同等の活性を示すショウジョウバエ特異的TRF1のオルソログではないと結論された。TLPの転写活性化能を細胞を用いて解析した。まずone-hybridアッセイにより、TLPに強い転写活性化能を認めた。さらに通常のトランスフェクションによっても有意な転写活性化能が検出され、TLPの転写活性化因子としての潜在能力が示された。後者の解析では、TATA-boxを持たないプロモーターが選択的に活性化され、TATAプロモーターはどちらかといえば転写が抑制される傾向が見られ、この事よりTLPがコアプロモーター選択に関与すると考えられた。ほ乳類のTLPは細胞内では大部分が細胞質に存在し、またTF
II Dのような巨大複合体の形をとらず、TF II Aとの単純な複合体として存在することを明らかにした。TLP-TF II
A複合体の安定性は、TF II Aの本来のパ−トナ−と考えられていたTBPとの安定性より数段高かった。トリDT40細胞を用いてTLPノックアウト細胞を樹立し、その細胞挙動を解析した結果、TLPが細胞増殖に負に働く事を明らかにした。ノックアウト細胞は種々の細胞傷害ストレスに対して抵抗性を示し、ストレスによるG2期アレストを回避するように働き、同時に、ストレスによって生ずるアポト−シス細胞数の減少も見られた。以上の結果より、TLPはG2チェックポイント因子として作用することが明らかとなった。これら研究の過程で、細胞質TLPがG2期やストレス負荷時、一過的に核移行するという現象が観察され、このことから、TLPは必要な時に核移行して転写因子として働くというモデルが提唱された。そこでストレスを与えた直後の細胞からRNAを調製し、いくつかの遺伝子についてその発現量を測定したところ、ストレス応答関連、あるいは細胞増殖に関連するいくつかの遺伝子で、正あるいは負の発現誘導が見られ、仮説が支持される結果となった。TLPは細胞の基本的活動を維持するための遺伝子発現制御を考える上だけでなく、基本転写機構を介した発現遺伝子の選択を考える上でも重要な因子と考えられた。
東京工業大学グループはpol II の転写反応阻害剤DRBの作用機構について研究を行ない、2つの転写伸長因子DSIFとNELFを世界に先駆けて同定した。研究の結果、DSIFは相互作用するパートナーにより、転写伸長反応を正にも負にも制御する因子であること、そしてNELFが転写抑制に働く実動分子であることを明らかにした。転写を行なうRNAポリメラーゼ
II (Pol II )は、少なくとも転写開始と伸長過程への移行期の2つの段階で活性化されて転写を完了する活性型になり、その際、基本転写因子TF
II Hが自身のリン酸化活性を用いてPol II を活性化すると考えられている。大阪大学グループでは、これら転写開始と伸長過程への移行期の2段階機構を、TF
II Hとこれを制御するTF II Eの解析を通して明らかにした。奈良先端科学技術大学院大学グループは、出芽酵母のTF II
Dの解析を通してTF II Dの中に転写阻害サブユニットを見出し、その作用機構を明らかにした。埼玉医科大学グループは、バキュロウイルスを用いたタンパク質発現系におけるTF
II Hの再構成に成功し、この系を用いてTF II Hの転写開始や転写伸長に及ぼすTF II DHの効果、とりわけリン酸化と転写制御能との関連性を明らかにした。 |