研究課題別事後評価結果

1.研究課題名
構造生物学に基づくシグナル伝達系の解明とその制御
2.研究代表者名及び主たる研究参加者名(研究機関名・職名は研究参加期間終了時点)
研究代表者  稲垣 冬彦  北海道大学大学院薬学研究科 教授
主たる研究参加者  竹繩 忠臣  東京大学医科学研究所 教授(平成13年3まで)
 山本 雅  東京大学医科学研究所 教授
 住本 英樹  九州大学大学院医学研究院 教授(平成11年4月以降)
3.研究内容及び成果
 シグナル伝達タンパク質の機能ドメインの標的認識機構について、その特異性を明らかにするとともに多機能ドメインより構成されるシグナル伝達タンパク質の特徴を構造生物学に基づいて明らかにすることを目的として研究を行った。
 
SH2、SH3の標的認識の特異性
 SH2、SH3はシグナル伝達タンパク質に含まれる機能ドメインの代表であり、それぞれリン酸化チロシンを含む配列やプロリンに富む配列を認識する構造ドメインである。SH2、SH3のみよりなるアダプタ−タンパク質Grb2(SH3-SH2-SH3)を取り上げ構造と標的認識を明らかにした。
・Grb2SH2の新規な標的認識:Grb2 SH2の立体構造解析の結果、コア配列であるpYVNVはSH2上でターン構造を取っていた。このターン構造はSH2側のTrp残基による立体障害とペプチド側のAsn側鎖とSH2主鎖との間の水素結合により安定化されていた。Grb2 SH2は他のSH2と比較して特異な認識を行っていることを明らかにした。
・Grb2SH3の正則な標的認識:Grb2のN端側およびC端側のSH3ドメインと標的配列との複合体の構造について検討した。プロリンに富む標的は(+)と(−)の二つの配向をとってSH3に結合する事が報告されているが、Grb2の二つのSH3はそれぞれ(+)、(−)の異なる配向で標的配列を認識していた。ペプチドの配向は、ペプチドに含まれる塩基性残基とSH3のRT-ループ上の酸性残基との相互作用並びにΦPXΦPのコンセンサス配列に含まれる疎水性残基ΦとSH3との相互作用により規定されている。ポリプロリンタイプ II ヘリックス構造形成という構造的な制約下で標的ペプチドは双方向で結合することにより結合ペプチドのレパートリーを増している事がわかる。
・SH3ドメイン相互の新規な分子認識:VavのN端SH3(VavnSH3)とGrb2のC端SH3(Grb2cSH3)相互の分子認識について検討した。Vavは血球細胞にのみ発現しており、血球細胞の増殖や分化に重要な役割を果たしている。Grb2cSH3とVavnSH3との結合はラフトに局在したLATとGrb2SH2の結合を介してVavをラフトに繋ぎとめ、ZAP-70によるVavのリン酸化を可能とするためである。Vavはリン酸化によりRacに対するGEF活性を亢進させる事により、細胞増殖や分化のスイッチの役割を果たす。VavとGrb2の結合は、VavnSH3およびGrb2CSH3ドメイン全体の構造を必要とする新規な結合様式であることを明らかにした。
 
Grb2の柔軟な構造と生理的意義
 Grb2の機能を理解するため、NMRの緩和解析とX線小角散乱の測定を行ない、溶液における構造を解明した。NMRの結果によれば各ドメインは切り出されたドメインと同程度に溶媒に露出していること、リンカー部分はフレキシブルな構造を取ることがわかった。二つのSH3がリンカー周りに柔軟な構造を取り、二つのSH3相互の相対配置を変えうるというモデルを立て、このモデルより求めた距離分布はX線小角散乱より実験的に求めた距離分布とよく対応した。Grb2はリンカー周りに柔軟な構造を取り、標的認識を行っている。このようなGrb2の動的な挙動はアダプター分子として多様な標的分子を繋ぎとめるために有利と考えられる。
 
新規機能ドメインPB1ドメインとPCモチ−フの構造と機能
 PB1ドメインとPCモチ−フを含む領域について構造決定を行った結果、ユビキチン様の構造を取ることがわかり、二つのドメインをまとめてPB1ドメインと総称した。PCモチ−フに含まれる酸性残基を含む領域とPB1ドメイン上の塩基性残基が相互作用していることを明らかにした。他のユビキチンファミリーでは見られなかった新しい相互作用様式であった。
 
好中球活性酸素発生系の構造生物学
 好中球NADPHオキシダ−ゼは膜タンパク質Cyt b558(gp91phoxとp22phox複合体)と細胞質因子であるp47phox 、p67phox 、p40phoxから構成される。細菌貪食に従い、細胞質因子は膜へ移行し、Cyt b558を活性化し、活性酸素を発生し殺菌する。活性化の過程を構造生物学的に明らかにすることを目的とした。休止状態では、p47phoxはタンデムSH3がマスクされた状態にいるが、活性化に伴い、アンマスク状態になりp22phoxのプロリンに富む領域に結合する。これを契機としてCyt b558が活性化される。p47phoxのマスク状態のモデルとしてタンデムSH3を含む151-340、アンマスク状態のモデルとして151-286の領域とp22phoxのPRR領域の複合体の構造を解析した。この二つの状態で大きな構造変化が起きることを実証するとともに、アンマスク状態の構造を明らかにした。
 
シグナル伝達の人為的制御を目的としたドメイン工学の検討
 ドメインはシグナル伝達の制御ドメインとして使われる。したがって適当な機能ドメインを組み合わせることにより新しい機能を持ったシグナル伝達タンパク質をデザインする事ができる。好中球活性酸素発生系に注目し、活性酸素発生能を持つタンパク質を設計した。活性酸素発生にはp67phoxのTPRドメインとタンデムSH3が不可欠である。これらのドメインをリンカ−の長さを変えて結合させた種々の融合蛋白質を作製し活性酸素発生能を検討した。さらに、TPRとタンデムSH3をGrb2の標的配列であるVPPペプチドを介してリンクさせ、活性酸素の発生がGrb2により抑えられることを明らかにした。この結果は、人為的にシグナルを制御できる可能性を示している。
 
X線結晶構造解析の導入とシグナル伝達タンパク質の構造解析
 シグナル伝達タンパク質の理解にはドメインを対象とする構造解析のみでは不十分であり、より大きな構造フレ−ムにおける構造研究が不可欠である。X線結晶構造解析法を導入するとともに、シグナル伝達に関与するタンパク質の構造解析をおこなった。
・IRF-3の制御ドメインの構造解析:IRF-3はインターフェロン産生のトリガーであり、抗ウイルス作用発現のために必須なタンパク質である。トリプシンによる限定分解に基づき制御ドメインを切り出し、制御ドメインのX線結晶構造解析を行った。IRF-3の制御ドメインはSMADのMH2ドメインと類似した構造を持っていた。リン酸化による二量体形成、二量体形成による広範な酸性ポケットの形成および酸性ポケットとCBP/p300との結合の可能性を明らかにした。IRF-3はSMADファミリーから分かれ、TOLRの下流のシグナルとしてインターフェロンシグナル系を発達させたと考えた。
・増殖抑制タンパク質Tobの立体構造とCaf1複合体の構造解析:BTGファミリーとしてTobをとりあげ、Caf1との複合体について結晶構造解析を行った。TobとCaf1の結合面にはTobで保存された残基が存在していること、さらにCaf1とTob複合体の構造は大腸菌由来のヌクレアーゼと類似した構造を取っていた。単鎖DNAを基質としてヌクレアーゼ活性を測定したところMn2+存在下でエキソヌクレアーゼ活性を示した。
 
N-WASPを介したシグナルによる細胞骨格制御(東京大学医科学研究所 竹縄忠臣グループ)
 細胞の遊走先端に局在し、長い糸状仮足形成にかかわるN-WASPや膜ラッフリングにかかわるWAVE(WAVE1-3)を発見した。WASPファミリー蛋白質の活性化機序を明らかにし、WASPファミリー蛋白質がいかにして外界から遊走シグナルを受けて、活性化され、遊走先端部でダイナミックなアクチン繊維の再構築を引き起こし、細胞を直接移動させるキイの蛋白質であることを明らかにした。
 
細胞増殖抑制因子Tobの構造解析(東京大学医科学研究所 山本雅グループ)
 Tobファミリ−を構成する個々の分子の生理機能は十分には明らかではないが、遺伝子欠損マウスの解析等から、Tobが癌抑制遺伝子として機能していることを示す結果を得てきた。更にその作用機構を探り、TobがErk1/2の良い基質になること、非リン酸化TobがG0/G1遷移を抑制すること、Erk1/2によるリン酸化がこの抑制を解除することを見出した。さらに、このG0/G1遷移抑制は、Tobがcyclin D1遺伝子の発現を負に制御するためであることを示した。
 
好中球活性酸素発生系の機能解析(九州大学大学院医学研究院 住本英樹グループ)
 好中球NADPH酸化酵素は細胞質因子である制御因子と膜タンパク質であるCyt b558よりなる複合酵素である。貪食シグナルにより細胞質因子は活性化され、Cyt b558と結合する事により活性酵素が発生する。細胞質因子はp47、p67、p40およびRacから構成される。p47、p67、p40はSH3を含むマルチな機能ドメインより構成され、機能ドメイン間の相互作用を通して活性制御を行っている。これらの機能ドメインが活性酸素発生に及ぼす効果を生化学的に明らかにした。
4.事後評価結果
4−1.外部発表(論文、口頭発表等)、特許、研究を通じての新たな知見の取得等の研究成果の状況
論発表のデ−タは以下の通りである。
欧文誌論文 50報
2001年 Impact Factor Ranking の Original Article 38位、Review Article 30位までの雑誌に掲載された論文
Cell 2報
Nature 1報
Genes Dev.1報
Trends Biochem. Sci.1報
J. Cell Biol. 1報
EMBO J. 7報
Proc. Natl. Acad. Sci. USA  1報
Nature Struct. Biol. 1報
国内特許1件を出願中である。
  発表論文の数は第一級のグループとしては多い方ではないが、第一級の国際雑誌に年2報の割合で出しているのは、CRESTレベルとしても満足すべきであろう。
4−2.成果の戦略目標・科学技術への貢献
 このグループは、細胞内情報伝達の主役をなすシグナル伝達タンパク質がいかにして互いに機能ドメインを認識するか、という重要なテ−マを、構造生物学的手法に基づいて解明する事を目標に出発した。途中、研究代表者の移動(都臨研より北大へ)があって、スピ−ドがやや落ちたのが残念であったが、何とか並以上の成績を残すことが出来たと思われる。その後、グループの再編、新研究棟の建設も終り、新しく当初のスピ−ドを回復するものと思われる。何れにせよ、科学技術への貢献は確実であり、戦略目標はほぼ達成したと云うことが出来よう。
4−3.その他の特記事項
 受賞歴はないが、代表者はこの期間に北海道大学NMR研究棟建設に中心的役割を果した。
<<生命活動トップ


This page updated on September 12, 2003
Copyright(C)2003 Japan Science and Technology Corporation