研究課題別事後評価結果

1.研究課題名
環境発がん物質の低濃度発がんリスクの解明
2.研究代表者名及び主たる研究参加者名(研究機関名・職名は研究参加期間終了時点)
研究代表者福島 昭治大阪市立大学大学院医学研究科 教授
主たる研究参加者大谷 周造大阪市立大学大学院医学研究科 教授
 小西 陽一奈良県立医科大学 名誉教授
 白井 智之名古屋市立大学医学部 教授
 立松 正衞愛知県がんセンター 部長
 津田 洋幸国立がんセンター研究所 部長
3.研究内容及び成果
 環境中に存在する発がん物質のリスク評価に際しては、単に発がん物質の存在を明らかにするだけでなく、それがどの程度ヒトのがん発生に影響しているかを検討することが重要である。現在、評価にあたって実際には発がん物質の高用量域での反応の用量相関曲線を低用量域に延ばすことにより低用量域での発がん性のヒトへの外挿が行われ、発がん物質、特に遺伝毒性発がん物質には閾値がないとされている。このことが正しいかどうかを科学的に証明することが極めて重要な課題である。本研究は、がんの一次予防を最終目標として、環境発がん物質のヒトが実際に曝露される低用量域における環境発がん物質の発がん性を検討し、さらにそれと曝露レベルとの相関を明らかにすること、化学物質の発がん性を容易に検出できる新しい発がん検索法を開発すること、これらの成果を基盤にしてヒト発がんリスク評価のための信頼に応えうる基礎的データを作ること、本研究領域では“weights of evidence”が要求されるため出来る限り多くの発がん物質について検討することで共同研究を行い、以下の成果を挙げた。
1)環境発がん物質の低用量発がん性
 (1)遺伝毒性発がん物質2-amino-3,8-dimethylimidazo[4,5-f]quinoxaline(MeIQx)は焼け焦げ中に存在するヘテロサイクリックアミンの一種で、ラットに肝がんを発生させる。21日齢の雄性ラットを用いてMeIQxの低用量を16あるいは32週間経口投与した。肝前がん病変の指標であるglutathione S-transferase placental form(GST-P)陽性細胞巣の発生は0.001〜1ppmでは全く増加せず、10ppm以上で増加傾向を、100ppmで増加を示した(平坦―立ち上がり曲線)。また、H-ras遺伝子の変異率は10ppm以上のMeIQx投与で増加した。さらにMeIQx-DNA付加体は極めて低用量の曝露で形成され、8-hydroxydeoxyguanosine(8-OHdG)の形成レベルは0.1ppm以上で増加した(共同研究)。CCl4による肝障害やアルコール肝においてはGST-P陽性細胞巣は10ppm以上で増加したものの、反応曲線は全く同様であった。さらにMeIQxの低用量を2年間投与しても1ppm以下ではGST-P陽性細胞巣は増加しなかった。また、lacI遺伝子を導入したトランスジェニックラット、すなわちBig BlueラットにMeIQxを投与すると、10ppm以上でlacI遺伝子変異頻度の増加を、100ppmでGST-P陽性細胞巣の増加を認めた(福島)。N-ニトロソ化合物であるdiethylnitrosamine (DEN)とdimethymitrosamine (DMN)、およびヘテロサイクリックアミンの2-amino-3-methylimidazo[4,5-f]quinoline (IQ)においても低用量域では肝GST-P陽性巣の発生増加はみられなかった(共同研究)。ヘテロサイクリックアミンである2-amino-1-methyl-6-phenylimidazo[5,6-b]pyridine (PhIP)の低用量大腸発がん性をラットにて検討するため、種々の用量のPhIP含有飼料を16週間連続投与した。大腸における前がん病変の指標であるaberrant crypt fociの発生は10ppmまでは増加せず、50〜400ppmにかけて有意な増加を示した(平坦−立ち上がり曲線)。PhIP-DNA付加体形成は0.01ppm以上で有意な増加を示し、8-OHdG形成レベルも低用量域では上昇しなかった(共同研究)。以上、遺伝毒性発がん物質には実際上、無作用量の存在することが明らかとなった。さらにMeIQxとDENの複合投与によるラット肝発がん性を検討したところ、低用量域ではGST-P陽性細胞巣の増加は見られず、複合投与においても実際上無作用量の存在することが判明した。(2)非遺伝毒性発がん物質:phenobarbital(PB)は変異原性陰性の肝発がん物質、あるいは発がんプロモーターである。6週齢の雄性ラットを用いて、ラット肝中期発がん性検索法(伊東法)にて低用量発がん性を検討した。PBは60〜500ppmではGST-P陽性細胞巣の発生を用量に相関して増加させたが、1〜7.5ppmの低用量域では対照群のそれより減少し(U字型曲線)、PBの発がんには無作用量が存在することが明らかになった。さらに、DEN→ PBのラット長期二段階発がん実験において、2ppm PB群では肝がんの発生がDEN単独群に比し有意に抑制された。PBの低用量域では肝におけるCYP3A2の発現低下、8-OHdGの減少、ならびにOGG1の増加が認められた。このようなGST-P陽性細胞巣発生に対する反応曲線は他の非遺伝毒性発がん物質であるp,p'-DDTやα-BHCにおいても認められた。しかし、dieldrinやsafroleの発がん曲線はこれと異なり、無作用量を有する通常のS字状曲線であった。以上、非遺伝毒性発がん物質には無作用量が存在することが証明された(福島)。低用量の環境発がん物質に対する生体の反応は高用量とは明らかに異なる。遺伝毒性発がん物質の場合、種々のマーカーの反応曲線から発がん物質には実際上、無作用量が存在することが判明した。また非遺伝毒性発がん物質の低用量では発がんが逆に抑制されるというホルミシス現象の存在が示され、無作用量が明らかに存在することが判明した。
2)中期発がん検索法の確立
 新規化学物質の長期発がん性試験の代替法がICHを中心として国際的に検討されている。我々は主として肝以外の臓器における中期発がん検索法の確立を目的として、遺伝子改変動物の高発がん感受性に着目し、我々が作製したトランスジェニックラットの発がん検索法としての有用性を検討した。(1)ヒト正常型c-Ha-ras遺伝子トランスジェニックラットを作製し、その発がん感受性を検討した。その結果、乳線を標的とする発がん物質を 50日齢時に1回投与すると、8〜12週後に全例に乳腺がんが多発した。さらに乳腺を標的としない発がん物質の胃内投与でも乳腺腫瘍が多発し?臓器標的性を問わない発がん物質の高感度検索モデルとして有用であることが示された(津田)。また、probasinの遺伝子プロモーターとSV40T抗原を用いて、前立腺に100%腺がんが発生するトランスジェニックラットを作製した。このモデルを利用することにより、がんの顕在化と転移に影響を及ぼす環境化学物質を早期に検索できることを見出した(白井)。以上、乳腺と前立腺を対象とする低用量発がん性の検討、ならびに環境要因、特に社会的問題となっている内分泌攪乱物質の乳腺と前立腺への発がん影響を容易に検出できることが可能となった。(2)個体レベルでの細胞間連絡能と発がん感受性に着目し、アルブミンプロモーター制御下にドミナントネガティブ変異コネクション32遺伝子を連結したものを導入した、肝の細胞間連絡能が低下したトランスジェニックラットを作製した。このトランスジェニックラットはDEN肝発がんに極めて高感受性を示し、肝発がん物質をより早期に検出できるモデル動物として有用であることが強く示唆された(白井)。(3)既存のp53ノックアウトマウスの発がん感受性は膀胱、食道では極めて高く、特にホモ接合体で顕著であった。一方、胃、大腸および肝ではヘテロ、ホモ接合体とも感受性がなく、長期発がん性試験の代替法としては一定の限界があることが判明した。しかし、発がん物質と標的臓器を十分考慮すれば、マウスにおける低用量発がん性リスク検索に有用である(福島、立松)。(4)5週間で化学物質の肝におけるイニシエーション活性が検索可能な中期イニシエーション活性検索法を確立した。この方法では変異原物質である肝発がん物質のみならず、肝を標的としない物質でもイニシエーション活性が検出された。しかも、非変異原物質では陰性であった。したがって、プロモーション活性と組み合わせることにより、新規化学物質の発がん性が、臓器標的性に関わらず、短期間に評価できることが明らかになった(立松)。
3)発がん判定のための各種マーカーの検討
 発がんに関する各種マーカーが簡便な方法で計測できれば、それを応用することによりその発がん過程への関与と発がんリスクとの関連を明確にすることができる。(1)DNA塩基配列決定法の1つであるジデオキシ法を応用し、発がん物質により誘発された希少な遺伝子変異を検出する高感度遺伝子変異定量法Thermosequenase Cycle End Labeling法を確立した。本法ではラットH-ras 遺伝子およびp53遺伝子における変異の検出において、変異率10-2〜10-5の範囲で定量が可能であった(大谷)。(2)酸化性DNA傷害である8-OHdGの形成レベルは発がん物質1回投与72時間で高値を示し、8-OHdGを標的として、極めて短期間に発がん物質のリスク評価をし得ることが示唆された。また、無処置ラットにおける8-OHdG形成レベルとその局在は臓器ないしその構成細胞に特異的に増加、出現するが、必ずしも加齢に依存しない経年齢的変動を示すという基礎データを得た(小西、中江)。(3)発がん性ヘテロサイクリックアミンの1つであるPhIPのDNA付加体に対する抗体を作製し、PhIP-DNA付加体の臓器内分布を免疫組織化学的に検出することに成功し、付加体が環境中PhIP曝露の指標となりうることが明らかとなった(白井)。(4)ラット膀胱および前胃腫瘍では出現する遺伝子変化が遺伝毒性発がん物質と非遺伝毒性のそれとでは異なった。さらにcDNAアレイ解析は発がん物質を分類するのに有用な手段となりうることが判明した(福島)。
4.事後評価結果
4−1.外部発表(論文、口頭発表等)、特許、研究を通じての新たな知見の取得等の研究成果の状況
 上述の成果は、48編の英文原著論文として発表され、その主なものは、Cancer Research4報、Laboratory Investigation1報、Carcinogenesis8報、Japanese Journal of Cancer Research16報、International Journal of Cancer1報、Nutrition and Cancer1報、Mutation Research1報等、この研究分野ではインパクトの高い雑誌に掲載されており、研究構想に忠実に沿って信頼性の高い成果を挙げたと言える。低用量発がん性を種々のマーカーを用いて解析し、遺伝毒性発がん物質及び非遺伝毒性発がん物質の両者で無作用量のあることを示した。また、トランスジェニックラットを作製して、乳腺、前立腺などの発がん検索法を確立したことも評価できる。また、学会での発表は、国際23件、国内277件と多くなされている。特許は国内出願が4件あり、その中の3件は外国・国際出願された。
4−2.得られた研究成果の科学技術への貢献
 我々の周囲に存在する発癌物質の殆どは、低用量の環境汚染物質として存在するが、これが本当にヒトや動物に発癌性があるのか、と言う社会的に非常に意義の大きな問題を、真に科学的な実験の積み重ねで追求したことは高く評価できる。特に低用量での無作用量、ホルミシス現象の発見等、閾値の存在を明らかにした意義は大きい。トランスジェニック或いはノックアウト動物を使用する発癌性の高感度検出法や遺伝子変異高感度定量法は、さらなる発展の余地があり、医薬品、農薬の開発に有用であるばかりでなく、環境汚染物質のマネージメントの上でも不可欠なものとなるであろう。
4−3.その他の特記事項
 研究代表者は平成10年3月、「ラット多臓器発がん中期検索法によるヒ素化合物発がん性の証明」に関して、第12回望月喜多司記念賞 業績賞を受賞した。

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