研究課題別事後評価結果

1.研究課題名
超好熱性古細菌転写因子ネットワークの構造生物学的解析
2.研究代表者名及び主たる研究参加者名(研究機関名・職名は研究参加期間終了時点)
研究代表者 鈴木 理 産業技術総合研究所 DNA情報科学研究グループ グループリーダー
3.研究内容及び成果
 本研究では古細菌ゲノムの全塩基配列と転写関連蛋白質の立体構造の決定と解析をもとに、古細菌の転写ネットワークを解明する事を第一の目標とした。遺伝子の発現(転写)は、遺伝子上流のプロモーターDNA配列への転写因子蛋白質の選択的な結合によって制御される。「100の遺伝子を制御するために100の転写因子が必要で、100の転写因子遺伝子を制御するために別の100の転写因子が必要で…」という連鎖が続けば、ゲノムは発散してしまう。これを解消する機構の解明を、独立した生物としては最小数の遺伝子しか持たない古細菌の利点を活用して(2百万塩基程度のゲノムに約2000の遺伝子を記録する)試みる構想であった。
 これら古細菌が高温へと適応する機構の解明は、生命工学的な新技術の開発につながるだけではなく、極限環境下に機能する蛋白質を知る事により、翻って蛋白質の一般的な基本特性を解明する上で重要である。さらに、本研究により得られる知見を総合して、古細菌の進化上の位置づけ、生命の起源と進化に関する情報を得る事を目標とした。
 5年間の研究の結果、好熱性古細菌 Thermoplasma volcanium (生育温度60度)のゲノム全DNA配列(1,584,804塩基)を決定するとともに(大阪大学等との共同研究)、Pyrococcus(超好熱性)Thermoplasma, Sulfolobus(好熱性)、由来の転写関連蛋白質(TBP、TFIIS、FFRP、NusA、NusG、OT1665487等)の立体構造をX線結晶解析あるいはNMR分光法により決定する事ができた。これらを決定する過程で、また決定された配列、構造の解析をもとにして、得られた知見が以下である。
(1)古細菌の転写ネットワーク
  T. volcanium は、好気性、嫌気性両方の環境下に生育可能な珍しい古細菌で、環境変化に対応するための転写制御機構を持つと予想されていた。これがこの種をゲノム配列決定の対象とした理由の一つである。配列を解析する第一歩は、遺伝子の同定である。転写(TATAボックス)や翻訳(SD)のシグナル配列をゲノム配列中に同定する技術を開発し、また、遺伝子部における4塩基の組み合わせ方が非遺伝子部位とは異なる事を発見した。これらをもとに正確な遺伝子同定を可能にした。
 この結果、遺伝子上流部分として、完全なセット、約千のプロモーターDNA配列が同定されるとともに(制御されるDNAからのアプローチ)、同定された遺伝子の配列をもとに転写因子候補を検索する(制御する蛋白質からのアプローチ)事が可能になった。T. volcanium のゲノムには、異なる環境下で機能する2セットの電子伝達系蛋白質の遺伝子群が記録されていた。また、高濃度酸素への暴露により、SOD等の活性酸素除去蛋白質の遺伝子群が活性化される事を見出した。各遺伝子群のプロモーター配列の共通性と差異を解析し、また約千のプロモーターDNA配列を直接、比較する事により、類似するプロモーター群を同定した。意外な事に、各群に共通な特徴は、百塩基ほどにわたる「ぼんやりとした」類似で、数塩基程度の正確な保存ではなかった。
 他生物由来の転写因子との類似から同定された転写因子候補の総数はPyrococcus属で20〜21、Thermoplasma属で8〜9となり、予想される転写因子の全数とそれほど異なるものではなかった。その大部分は代謝の制御に関与する蛋白質群で、全て古細菌種に存在する(Feast-Famine Regulatory Protein、FFRPと命名)。
 FFRPは大腸菌の転写因子(Lrp、AsnC)に類似する。ゲノム配列の解析により、全長を持つFFRP(DNAに結合するNドメインと、会合に関与するCドメインから構成される)以外にデミFFRP(全長FFRPの半分の長さしかなく、会合に関与するCドメインのみを持ち、DNAに結合しない)がある事が明らかになった(P. OT3の場合、3種)。P.OT3のデミFFRP、全長FFRPを結晶化し、デミFFRPの構造を決定した。
 FFRPは二量体を形成し、さらにその4ヶが会合して8両体を形成する。デミFFRP8量体は円盤状の会合体で、その外周に8ヶのDNA結合ドメインが並んで全長FFRP8量体となる。そのまわりには約100塩基のDNAが一周すると予想される。会合部中央に十字形の溝があり、多様な代謝産物(リンゴ酸、αケトグルタル酸、各種アミノ酸等)が作用して、会合を正負に制御する。したがってFFRP-DNA複合体はリガンドによる転写制御機構を備えたヌクレオソームとでも呼ぶべき画期的な構造を持つ。
 本研究の第一目標であった、転写制御システムを自己完結させる原理は少数の蛋白質の組み合わせによる多様な特性の系統的な創出と選択であると結論された。
(2)高温へと適応する機構
  T. Volcaniumのゲノム配列を決定した第2の理由は、この古細菌が、すでにゲノム配列が決定されている超好熱性細菌と常温性生物との中間に生じた「空白の生育温度」を持つためである。T. Volcanium の配列の決定により、生育温度と相関する古細菌のゲノムDNA配列の様々な特徴が同定された。
 同定された要素の中に、ゲノムDNA分子の「硬さ」が含まれていた。DNA分子を温めると運動性が上昇して柔らかくなる。各生育温度でDNAが適切な柔軟性を持つためには、より高温で生育する古細菌のゲノムDNA分子ほど硬くなる必要がある。DNAの物性や立体構造上の特性は、化学構造が大きく異なる2種類の塩基、プリン(A、G)とピリミジン(T、C)の組み合わせ方で規定される。生育温度の上昇につれて、柔軟な配列(ピリミジン−プリン配列、TA、CG、CA、TG)が避けられ、固い配列(AA、 AG、TT、TC等同種塩基の連続)が増加する事が明らかになった。
 超好熱性のPyrococcus属の細胞内ではK(600mM〜1M)やMg(50〜100mM)の濃度が極めて高い事が明らかになり、これがDNA二重らせんが解離しない原因と考える。細胞システムとして環境変化に対応する機構がゲノム配列の比較から明らかになった。
 一方では、蛋白質の立体構造から蛋白質の耐熱化の過程をより直接的に解析した。3つの温度帯に由来するTATA結合蛋白質(TBP)の立体構造を、アミノ酸位置を一対一に対応させながら比較する事が可能になった。この結果、蛋白質立体構造を安定化する主要因が、ドメイン内部の疎水性相互作用である事が結論された。結晶構造をもとにTBPのアミノ酸配列を解析し、生育温度の上昇とともにドメイン内部の疎水性が上昇し、表面の疎水性が減少する事が結論された。立体構造の詳細な解析から、生育温度の上昇につれて、大きさが中程度で疎水性がきわめて高い3種のアミノ酸(バリン、ロイシン、イソロイシン)の含量がドメイン内部で増えるとともに、これらのアミノ酸どうしの疎水性ネットワークが形成されていく状況が明らかになった。100度を越えてTBPをさらに耐熱化するためには、この3種のアミノ酸をさらに導入して内部の疎水性を高める必要がある。超高熱性古細菌由来のTBPのドメイン内部のほとんどの位置が3種アミノ酸に占められていて、残された数ヶ所が人工改変の標的と結論された。
(3)古細菌の進化
  生命の起源と進化を考える上で興味深い対象である事が、Thermoplasmaを研究対象とした第3の理由である。
同属の古細菌のゲノム配列の比較からは、ゲノムの動的な性格が明らかになった。近縁の古細菌どうしでも、それぞれの約20%の遺伝子が相手のゲノムには見つからない。この20%がゲノム中で集合し、「原住」の遺伝子とはA/T含量が異なる傾向を持つ事から、その多くは「外来」と判断された。外来遺伝子は短時間に大量に導入されていて、その大部分は捨てられ、システムに取り込まれたものはごく少数と考えられる。「未知の遺伝子プール」が古細菌が生育する様々な環境下に存在すると考えざるを得ない。ドメイン間シャッフルの例はほとんど見つからず、原始ミオグロビンがヘモグロビン各鎖へと高度化したように、遺伝子重複と変異の集積により機能分化しつつある蛋白質が含まれる。ゲノムDNA分子自身は、1億年に約2回の割合で、DNA複製の開始点を中心として、環状のゲノム中の左右対称の位置で、右から左へ、左から右へとつなぎ代わる事が明らかになった。この再構成を生む機構として、「環状ゲノム分子を互いに反対方向に進行する2つの複製フォークが実際には単一の複合体を形成していて、この中の等価な2つのサブユニットがDNA分子を付けたまま交換する」とするモデルを提案した。
 古細菌の基本転写系を構成するTBPやRNAポリメラーゼ等の蛋白質が全て真核生物型であることが知られているが、FFRP等、今回同定した転写因子は全て真正細菌型であった。このように、古細菌のゲノムは異質な2つの蛋白質集団から構成されている。他生物由来の遺伝子と類似性を持つ古細菌遺伝子集団の約4分の1が真核生物型、約4分の3が真正細菌型である。真核生物型遺伝子はゲノム上特定の場所に局在する傾向を持ち、この傾向は、特に、P.OT3で顕著である。真核生物型遺伝子群と真正細菌型遺伝子群の境界は、転写、翻訳といった大まかな機能分類とは一致せず、たとえばリボゾームを構成する蛋白質は明らかに真核生物型であるのに対し、RNAはいずれも真正細菌型である。これらの知見は古細菌ゲノムが、起源の異なる2つのゲノムの融合によって、あるいは真核生物型遺伝子集団による真正細菌型ゲノムの「乗っ取り」により誕生した可能性を示唆するものと考える。
4.事後評価結果
4−1.外部発表(論文、口頭発表等)、特許、研究を通じての新たな知見の取得等の研究成果の状況
欧文誌論文 27報
1999年 Impact Factor Ranking の Original Journal 35位、Review Journal 30位までの雑誌に掲載された論文
Science1報
EMBO J.1報
Proc. Natl. Acad. Sci. USA1報
 当初は成果を国内誌に発表する事が多く、統括、アドバイザーから注意されたが、これは後に改善され、上記に示す如く、一流の国際誌も狙らえるようになったのは大きな進歩である。特に古細菌のDNA配列比較から、推論した進化上の学説の一つがScienceに載った事は面目をほどこしたものと云えよう。
 特許の出願1件あり。
4−2.得られた研究成果の科学技術への貢献
 本グループは「超好熱性古細菌の転写因子ネットワーク」を研究する筈であったが、実際にはそれは果たせず、中等度好熱性古細菌であるThermoplasma volcaniumの全ゲノムDNA配列を決定し、その中から転写プロモーターや転写因子を抽出してその性状を決定した。世界で同様の仕事が多くなされているとは云え、進化的に極めて重要な位置にある古細菌の一つの全構造を決めた事は、ゲノム計画全体の中で日本の一つの代表と考えられ、本事業の中で意義はあったものと認められる。この古細菌の約1000個のプロモーターの配列からそれをいくつかの群(クラス)に分け、更に他の古細菌と比較して、進化の途上での他の生物種(真核生物を含む)とのゲノムの混合が行なわれた事を推定するなど、興味深い進展も見られた。又、一方でこれら転写因子のX線回析による構造生物学的アプローチも試みて興味深い結果を報告し、好熱菌のDNAやタンパク質が熱安定性を持つ機序に関しても独自のデータを提出しておりCREST規模の研究としてもまずまずのものとなった。
4−3.その他の特記事項
 特になし。
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