研究課題別事後評価結果

1.研究課題名
一方向性反応のプログラミング基盤
2.研究代表者名及び主たる研究参加者名(研究機関名・職名は研究参加期間終了時点)
研究代表者木下 一彦 岡崎国立共同研究機構統合バイオサイエンスセンター 教授
主たる研究参加者 石渡 信一 早稲田大学理工学部 教授 (H9.1以降)
吉田 賢右 東京工業大学資源化学研究所 教授 (H9.1以降)
3.研究内容及び成果
 当初の構想は以下のようなものであった。
 生命活動は、一方で精緻なプログラミング、他方「気まぐれ」、の2つの要素が相俟って織りなすのだとすると、その根元は分子レベルにまで遡ることができそうである。転写、蛋白合成をはじめポンプ、モ−タ−作用など、「一方向に進む分子反応」がプログラムの最小ユニットで、そのオン・オフが上位プログラムを構成する。多くの場合エネルギ−的に不利な反応を、一方向に進ませてくれる分子メカニズムこそが、プログラミング基盤といってよかろう。分子レベルでの気まぐれは熱運動・熱揺らぎであり、一方向性反応はこの揺らぎに抗して、というより揺らぎをうまく利用して、正しく進行する。この仕掛けを、蛋白質分子の構造とその変化に基づいて、解明したい。
 しかしながら、研究代表者は5年間で、蛋白質分子が反応を一方向に進める仕掛け(駆動源となるもう一つの反応との共役の仕掛け)が「分かった」と言えるようになるとは、全く思っていなかった。しかし今、もしかしたら分かりかけてきたのかもしれない、という期待が育ち始めている。少なくとも、5年前と比べて格段に理解が深まった。蛋白質分子1個の働きを光学顕微鏡の下で観察する「一分子生理学」のおかげである。
 分子機械は、上述のように熱揺らぎのおかげで気まぐれに働くので、複数の分子機械を同期させることが原理的にできない。複数の分子機械の出す力は足し算にならないし、働くタイミングもバラバラである。どうしても、1個1個を直接測定する必要がある。このために、目的の分子に大・中・あるいは小さな目印を結合させ、光学顕微鏡の下で個々の分子機械の振る舞いを観察する手法を開発してきた。大きな目印は、光ピンセットや磁気ピンセットにより操ることもでき、それに対する分子機械の応答を測ることもできる。手法および結果の両面で、分子1個に摂動を加えてその応答を観察する、「一分子生理学」の発展に寄与できたと思う。
 具体的な成果の筆頭に挙げるべきは、回転分子モーターであるF1-ATPaseの一方向への回転(駆動源はATPの加水分解により得られるエネルギ−)を詳細に解析したことである。このモーターは90度と30度のステップを交互に繰り返しながら回ることがわかり、しかも、90度ステップはATPの結合により、30度ステップは分解産物の解離により駆動されることが分かった。蛋白質上でのATPの分解反応そのものは、ほとんど仕事(エネルギ−の放出)にかかわらない。ATP分解の役目の第一は、分子機械を初期状態にリセットして反応を繰り返させることにある。大部分の仕事はATPの結合に伴って行われる、というこの結果は、他の蛋白質分子機械の仕掛けを考える上でも重要であろう。F1の場合、さらに、結合したヌクレオチドの状態に応じて、どのような回転ポテンシャル(回転力の基となるポテンシャルエネルギ−)がF1内に誘起されるかを推定することもできた。分子機械の化学状態と力(構造変化の駆動力)の対応がついたのは初めてであろう。これにより、F1を逆回しにすればATPが合成されることを説明することもできた。ATPの加水分解を利用して一方向に回る仕組み、外力による逆回転を利用して反応を合成方向に進める仕組み、の両方につき、重要な知見が得られたことになる。これらを説明できるF1モデルを作ることもできた。リニアーモーターであるキネシンに関しても、化学状態と力の関係が分かりつつある。
1)計測センターグループ
  一分子観察のための手法開発を行った。蛋白質分子よりはるかに大きな棒やビーズを結合させると、1個の分子機械に起きる構造変化を詳細に観察できる。小さな蛍光色素分子1個を任意の場所に結合させると、その特定部分の構造変化(向きの変化)を観察できる。色素を2個付けるとその間の距離とその変化を測れる。また、蛋白質分子の数倍程度の大きさの目印を使うと、超高速イメージングが可能となる。ビーズを結合させた分子機械は、光ピンセットにより位置を制御でき、また力を加えられる。磁気ピンセットを使うと、多くの分子機械を一斉に引っ張ったり回転させたりできる。
 以上を用いて、回転分子モーターF1-ATPaseの回転特性の詳細を明らかにした。エネルギー変換効率が100%近くに達し得ること(熱揺らぎをうまく利用)、回転角によらず一定のトルクを出すこと、などを見いだすとともに、上述のように回転機構に迫ることができた。RNA合成酵素およびミオシンがともに螺旋モーターであることを示し、とくにRNA合成酵素はDNAの右巻きらせんに忠実に沿って進むことを明らかにした。光ピンセットを用いてDNAおよび蛋白質分子の紐を結ぶことができた。曲率を制御する手段として、またミクロの手術糸として、利用可能である。巨大リポソームの作成法を開発し、内部に閉じこめたアクチンの重合により突起を形成させた。細胞変形のモデルとなる。
2)分子モーターグループ
  本グループは、1分子系から分子集合体を経て筋線維に至るまで、「生体分子モーターシステム」の全ての階層を研究し、しかも、蛋白質のもつ自己集合能や生理機能を利用して「A帯滑り運動系」など独自の生体分子モーター運動系を構築、そして温度パルス顕微鏡法や単一筋原線維操作・解析法などの新手法を開発・応用して独自の視点で分子モーターシステムの研究を行ってきた。
 主な研究成果として、1)光ピンセットによりアクチン・ミオシン分子モーターの硬直結合の破断力分布を1分子顕微計測し、単頭・双頭結合それぞれの結合寿命と負荷の関係を明らかにした。2)微小管・キネシン分子モーターの結合破断力測定から、各ヌクレオチド状態が単頭結合か、双頭結合かを決定し、キネシンの歩行メカニズムについて新しい証拠を提出した。3)温度パルス顕微鏡法を開発し、ミオシン、キネシン分子モーターの運動速度が50℃(変性温度以上)に至るまで同じ活性化エネルギーで上昇することや、発生力は温度に依存しないことを見出した。4)開発した「細いフィラメント再構築筋収縮系」を用いて、筋収縮系が示す「自発的振動収縮(SPOC)現象」の発現に制御蛋白質系は必要ないこと、収縮力のpH依存性はトロポミオシンによることなどを見出した。5)各種動物の心筋のSPOC振動周期が心拍周期と相関することを発見し、心拍機能にSPOC特性が重要な役割を演じているという新説を提出した。6)温度パルス顕微鏡法の原理を応用してDNAチップの開発を行った。
3)ATP合成酵素グループ
  F1-ATPaseが回転分子モーターであることを、好熱菌のα3β3γの系で一分子観察により実証したのに引き続き、葉緑体由来および大腸菌由来のF1-ATPaseでも回転を示し、一般性を確立した。固定子および回転子サブユニットの同定のため、εサブユニットの回転も観察した。以上より、α3β3γδ εよりなるF1-ATPaseは、α3β3δ に対してγεが回転することが分かった。
 Fo部分の回転に関しては、界面活性剤存在下での一分子観察の問題を指摘するとともに、架橋反応を利用してFoのcサブユニットからなるリングが回転することを実証した。そしてFoF1-ATP合成酵素の発現系作成に成功し、bサブユニットがFoとF1を結合するsecond stalkとして機能することを明らかにした。
 γの回転はβの構造変化に駆動されると考えられるので、クロスリンク形成や変異導入などによりβの構造変化を調べた。そして、本酵素に特徴的なADPMgによる特異的阻害と、非触媒ヌクレオチド結合部位との関係を、ATPの加水分解・合成の両面から追求し、一分子観察によってこの特異的阻害の実体を明らかにし、さらにこの阻害をきわめて受けにくい変異体の作成に成功した。
 一方、εが大きな構造変化をして本酵素のATPase活性を調節することが分かった。ATP合成条件では  働かないラチェット的な調節である。また、葉緑体由来のγと好熱菌由来のα・βを組合わせて、葉緑体F1-ATPaseに特徴的な酸化還元による調節を、一分子レベルで再現することに成功した。
4.事後評価結果
4−1.外部発表(論文、口頭発表等)、特許、研究を通じての新たな知見の取得等の研究成果の状況
欧文誌論文 66報
1999年 Impact Factor Ranking の Original Journal 35位、Review Journal 30位までの雑誌に掲載された論文
Cell 2報
Nature4報
Science1報
FASEB J.1報
Proc. Natl. Acad. Sci. USA7報
Circulation1報

 この5年間に発表された欧文原著数は66である。上記に見られる如く、この分野の最高とされるCellに2報、Natureに4報、Scienceに1報あることは、この研究のインパクトが如何に高かったかを物語る。その他にもPNAS7報、Circulation 1報は何れも一流誌であり、このグループのproductivityが極めて高かったことを示している。光ピンセットを用いてタンパク質の連なった紐や、一本のDNAで結び目を作る作業を顕微鏡下で行なうことに成功し(Nature、1999)、RNAポリメラーゼが転写の際にDNAのらせんの溝に忠実に沿ってねじのようにDNAを回しながら引込んで行くことを初めて観察した(Nature、2001)。その他分子モーターF1ATPaseの回転も可視化に成功した(Nature、2001)。
 特許出願は国内、海外合せて10件に上る。
4−2.得られた研究成果の科学技術への貢献
 生命現象の基礎にある「化学反応の一方向性」を単一分子を可視化し、その運動を計測する方法を確立して解明することを試み、本事業期間にその主要問題を解決するという大きな業績を挙げた。即ち、回転分子モーターであるF1-ATPaseの一方向への廻転を上記方法により詳細に解析し、そのATP分解とのカプリングのメカニズムを世界で初めて明らかにした。これは分子機械の化学状態と力の対応をつけた最初の出来事であり、世界的に高く評価されている。これは他の生物化学反応、例えばリニアーモータであるキネシンなどにも応用され、世界的な流れの端緒を開いた功績は大きい。この方法論は、今後もいろいろな化学反応の基盤的解析に広く応用され続けるであろう。
4−3.その他の特記事項
 代表者は、この業績の後半から、科学研究費補助金特別推進研究の予算を受け、現在も世界のトップを切っている。
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This page updated on April 1, 2003
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