研究課題別事後評価結果

1.研究課題名
安定同位体利用NMR法の高度化と構造生物学への応用
2.研究代表者名及び主たる研究参加者名(研究機関名・職名は研究参加期間終了時点)
研究代表者甲斐荘 正恒 東京都立大学大学院理学研究科 教授
主たる研究参加者 西山 幸三郎 東海大学開発工学部 教授
山崎 俊夫  大阪大学蛋白質研究所 助教授
3.研究内容及び成果
 高分子量蛋白質・核酸、及びそれらの複合体の溶液内立体構造を、迅速に、効率良く、しかも精密に決定するための新しい安定同位体利用NMR技術を開発することを目的として、高度選択的安定同位体標識アミノ酸・モノヌクレオシドの合成法を開発し、さらにそれらを利用して蛋白質や核酸を効率良く調製する技術を確立する。このようにして得られた標識生体高分子を利用して、従来は得ることのできなかった精密な立体構造情報を入手する新たな手法を確立する。
 蛋白質・核酸、及びそれらの複合体の立体構造は、NMR法で測定可能な水素原子核間の核オーバーハウザー効果(NOE)を距離制限として決定することができる。X線解析法は蛋白質が結晶として規則的に並ぶ、いわば人工的な環境が必要であるが、NMRによる立体構造決定技術は、蛋白質が実際に機能を果たす場、即ち溶液や生体膜、において自由に動きまわる状況下で適用可能である点に最大の特徴がある。つまり、NMR技術は単に蛋白質等の生体高分子の静止画像的な立体構造情報の蓄積に寄与するに止まらず、それらの生物機能を果たす現場における立体構造の動きを解明できる唯一の方法である。NMR技術は測定・解析・試料調製の3主要技術を総合して初めて成立する複合技術であり、その全ての要素技術が厳しい開発競争にさらされている。「安定同位体標識技術」は試料調製技術の中核を成すものである。本課題の意図するところは、構造生物学への応用を念頭に置き、各研究グループ間、及び内外の関連研究者との共同研究を通じて従来の方法論的限界を越えた独創的な手法の開発を行うことにある。
 NMRによる立体構造決定技術は、従来は分子量2万以下程度の比較的低分子量の蛋白質や核酸を対象として開発・利用されてきた。本プロジェクトにおける最終目標は、NMR法の弱点として最たるものである分子量上限を、構造決定の精密化を犠牲にすることなく、4-5万程度迄拡張することにある。このためには、安定同位体で標識した蛋白質・核酸試料の調製技術の開発が最大の難関となるが、同時にそれらを利用した様な先端的なNMR技術の開発を進行させることも不可欠である。本プロジェクトで開発を図った新たな安定同位体利用NMR技術においては、位置・立体選択的に多重同位体標識したアミノ酸・モノヌクレオシド類の調製、それらを蛋白質や核酸オリゴマーに組み込む効率的技術の確立が重要な二つの要素技術である。過去5ヶ年間の研究成果により、これらの点においては大きな成果を上げることができた。特に、安定同位体標識核酸の調製技術の高度化に関しては、競合していた欧米の研究室に先駆けて多大な成果を収めた。さらに、同位体標識した核酸を利用した様々なNMR研究は、国内研究室のみならず欧米の一線級のNMR研究室との共同研究を積極的に実施した。この結果、DNAの Watson-Crick 水素結合を介するスピン結合の観測、弱い配向溶媒を用いて測定できる残余双極子相互作用の構造決定への応用など、大きなインパクトを持つ成果を数多く生み出した。一方、アミノ酸の位置・立体選択的多重標識体の合成とNMR利用技術は、アミノ酸の微生物発酵生産技術、不斉有機合成技術の利用などを基礎として長足の進歩を遂げた。このような蓄積の結果、タンパク質立体構造決定に関する全く新しい概念の安定同位体利用NMR技術の発想に結びついた。以下、未完成ではあるが、次世代の標準技術と期待される本技術に関して簡単に説明する。
 NMRによる蛋白質・核酸、或いはそれらの複合体の立体構造決定は分子量の増大とともに急速に困難となる。従来の常識では、“分子量制限の緩和”と“立体構造精度”は両立できないと考えられてきた。もしこのような“常識”を覆す手法が開発できなければ、NMR技術の構造生物学への応用は限定されたものになるであろう。本プロジェクトの結果明らかにした最大の成果は、今後はむしろタンパク質のNMR構造解析に用いる試料を調製する段階において、不要な重複した構造情報を徹底的に取り除き、必要最小限の構造情報を持つように絞り込むことが、高分子量タンパク質の高精度、迅速構造解析法の開発につながることを示した点にある。
 従来の高分子量タンパク質のNMR立体構造解析は、非選択的にプロトン密度を低下させる“random fractional deuteration”(統計的重水素化)を利用するか、或いは特定の基(例えばメチル基と芳香環)のみを残し、全てを重水素化するなどの方法が採られて来た。何れも決定的な方法ではなく、得られる構造精度を犠牲にすることにより、高分子量タンパク質の構造決定を行う、いわば“便法”である。しかしながら、もし統計的重水素化で生じる膨大な数のisotopomer 中で、特定の一種類の同位体異性体(isotopomer)のみを集め、NMR測定試料に供することが可能ならば、構造決定に必要且つ十分な構造情報が、感度を全く犠牲にすることなく得ることができる。この考えが実は本プロジェクトの結果得られた基本的アイディアである。このような、いわば“夢の同位体異性体”は、プロキラルグループ(メチレン、gem-メチル)においては全て一方が立体選択的に重水素化されており、メチル基や芳香環などの等価なプロトンは最小限必要なプロトン(各炭素あたり1個)を残して全て重水素化されている。無論、必要な位置の炭素、窒素は全て13C, 15Nに置換されている。このような、NMR解析用に設計された試料の調製は容易ではない。しかし、過去5ヶ年間で必要な要素技術の開発は概ね終了している。以下、このために各グループが果した寄与を述べる。
(都立大学グループ)
標識アミノ酸合成:タンパク質の構成アミノ酸20種類全てに関して、高分子量タンパク質に組み込んだ際に最も有効にタンパク質の立体構造情報を簡便に、高感度にもたらすように同位体標識パターンを設計した。この設計に基づき、微生物発酵、酵素反応、有機合成、不斉触媒反応などを利用して合成するルートを開発した。この結果、一部芳香族アミノ酸の芳香環部分の最適標識パターンの実現を除き、殆ど全てのアミノ酸合成を終了した。量的には、無論僅かであり、合成ルートの最適化も今後の課題として残っているものの、タンパク質利用をテストケースとして行うには十分な量が確保できた。これらのアミノ酸の中にはプロリン、リジン、アルギニン、グルタミン、グルタミン酸、メチオニン、ロイシン、バリン、イソロイシン等の長鎖アルキル基を持つアミノ酸類も含まれ、これらのアミノ酸側鎖の精密な立体配座解析も可能となった。
標識タンパク質の無細胞タンパク質合成系による調製:標識アミノ酸を目的とするタンパク質へ組み入れる手法の開発にも着手した。このために必要な条件は3つある。第一に、標識アミノ酸に対して得られる標識タンパク質量が十分に高い、効率の良いタンパク合成系であること。第二に、代謝変換され易いアミノ酸を含めて、全てがそのままの標識パターンを保ったままで組み込むことが可能であること。第三に、多くのタンパク質が収量良く生産できる一般的な手法であること。研究者らは、大腸菌を用いた無細胞系タンパク質合成法がほぼこのような条件を満たすことを明らかにした。
標識タンパク質を利用したNMR測定・構造解析技術の開発:800MHz装置をはじめとする高磁場NMR装置を利用して、無細胞系で調製した標識タンパク質のNMR測定を行いそれらの利点を検討した。この点は、着手したばかりであり、本技術の完成における最後の難関であるが、見通しは明るい。現在、CREST新領域「たんぱく質の構造・機能と発現メカニズム」でのテーマとして技術の完成と普及に向けての研究として、引き継がれている。
(東海大グループ)
標識アミノ酸合成:特に重水素化手法の技術開発に多大な貢献を果たした。グルタミン酸の不斉重水素化反応、不斉重水素化グルタミン酸を出発原料とするアミノ酸合成等の基本的なルートの開発にも大きく寄与した。我々が最終的に採用したアミノ酸合成ルートの中で、本グループの開発したアイディアが幾つも利用されている。
(阪大グループ)
標識核酸の構造生物学への応用:阪大と多くの共同研究を実施、多大な成果をあげることができた。
タンパク質のセグメンタル標識技術:短特定のペプチド鎖のみを同位体標識する新たな技術として、ペプチド鎖のスプライシング反応の応用に取り組んだ。マルトース結合タンパク質をはじめ幾つかのモデルタンパク質に関して成功を収めた。無細胞タンパク質合成系との組み合わせは魅力ある標識タンパク質の調製技術であるが、今のところ成功していない。今後、より連絡を密にし共同開発すべき課題の一つである。
4.事後評価結果
4−1.外部発表(論文、口頭発表等)、特許、研究を通じての新たな知見の取得等の研究成果の状況
欧文誌論文 80報
1999年 Impact Factor Ranking の Original Journal 35位、Review Journal 30位までの雑誌に掲載された論文
Nature1報
Proc. Natl. Acad. Sci. USA3報
 欧文原著5年間に80報は十分にproduetiveと云えるであろう。雑誌の質も概して高い。独自に開発した15N標識ヌクレオシドにより固相法で合成した2重鎖DNAを用いてNMR解析を行ない、初めてDNA分子内の水素結合の存在を実証した論文(PNAS,1998)は歴史的意義を持つ。
 1998年に「第18回生体系磁気共鳴国際会議」を日本で主宰した。
 特許出願は国内、海外合せて3件ある。
4−2.得られた研究成果の科学技術への貢献
 NMRはタンパク質や核酸などの生体情報高分子の立体構造を解くのにX線結晶解析と並んで最も重要な技術であるが、これ迄は分子量2万位が限度で、それ以上の大きな分子は解析不能であった。多くの重要なタンパク質が4〜5万の分子量を持つので、NMRをそれらに用いるため、代表者らは位置・立体選択的に多重同位体標識したアミノ酸とヌクレオシド類の調製技術を確立し、それらを用いて、それぞれタンパク質と核酸を合成し、それをNMRにかけることによって、この問題を解決した。これは今後益々の発展が予想される構造生物学に重要な役割を果たすものであり、極めて大きな貢献をしたと認められる。又、この手法を実地に応用し、欧米のグループとも組んで、いくつかのタンパク質の構造を決定し、有用性を証明した。
4−3.その他の特記事項
 今回のCRESTの成果が認められ、平成13年度CRESTの新領域「たんぱく質の構造・機能と発現メカニズム」に採択されている。
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