研究課題別事後評価結果

1.研究課題名
ゲノム全遺伝子の発現ヒエラルキー決定機構の解明
2.研究代表者名及び主たる研究参加者名(研究機関名・職名は研究参加期間終了時点)
研究代表者 石浜 明 国立遺伝学研究所分子遺伝研究系分子遺伝研究部門 副所長・系長・教授 
3.研究内容及び成果
 ゲノムプロジェクトによって、各種生物の代表種で、ゲノム全塩基配列の決定が進み、やがては、それら生物のもつ遺伝子の全体像が明らかとなることが、本研究開始前には予想できていた。ポストゲノムシークエンスの最も重要な研究課題の一つが、ゲノム全遺伝子の中から、どれをどの程度に発現し利用するかを決定する機構の解明であると考えて、本研究を開始した。
 細菌の遺伝子転写装置の分子的実体についての研究結果から、転写酸素RNAポリメラーゼが、ゲノム全遺伝子から発現遺伝子を選択し、またそれぞれの発現水準を決め、遺伝子間の発現水準の順位を決定していると考えた理論を提唱していた。その理論の実証を最終目標として、(1)ゲノム全遺伝子のなかで発現されている遺伝子の同定と、(2)発現遺伝子が決定される機構の解明を目指した研究を実施した。研究対象としては、モデル原核生物「大腸菌」(Escherichia coli)と、真核生物の代表として「分裂酵母」(Schizosaccharomyces pombe)を利用した。また、RNAポリメラーゼの機能特異性変化の典型として、転写・複製のいずれにも関与する、稀な多機能酵素ウイルスRNAポリメラーゼについても解析した。
1)大腸菌研究グループ
  大腸菌ゲノムの解析から、遺伝子は約4000と推定された。発現遺伝子を同定する目的で、プロテオーム分析を行った。また、大腸菌DNAチップを利用したトランスクリプトーム分析も並行して実施した。新規に開発した、分離精度が高い二次元電気泳動によるプロテオーム解析により、約350の蛋白を同定し、従来のデータと統合すると、大腸菌菌体を構成する約500種類の蛋白質が同定できた。定常期の大腸菌を分析し、対数増殖期からの移行時期特異的に出現する、定常期蛋白を約100種類同定した。発現に時間差があることから、定常期適応過程は、一定の遺伝的プログラムで制御されていることが示唆された。定常期移行に伴う、遺伝子発現ヒエラルキー変動プログラムを解析する目的で、分化時期の異なる大腸菌細胞を物理的に分画する方法を開発した。パーコール密度勾配遠心法で、浮遊密度の小さい対数増殖期の細胞から、密度が増加した定常期細胞までが、約20の集団に分画された。各細胞集団が、独立のバンドを形成することから、大腸菌形質分化が非連続であることが示唆された。
   大腸菌遺伝子発現ヒエラルキー決定の分子的基盤は、転写装置の遺伝子間分配の制御であるとの仮説を実証する研究を展開した。RNAポリメラーゼコア酵素約2,000分子は、先ず7種類シグマ因子のどれかと会合してホロ酵素になり、さらに約100-150種類の転写因子との相互作用で転写装置となる、2段階機能分化の実体を解明する目的で、7種類シグマ因子と約65種類の転写因子について、細胞内濃度を測定し、またシグマ因子については、コア酵素結合強度を測定した。主要シグマ因子2成分(増殖期シグマDと定常期シグマS)について、新たに活性抑制因子アンチシグマを同定した。活性シグマ量を推定する目的で、7種類シグマ因子それぞれのアンチシグマ因子の濃度測定も実施した。これらの全ての測定結果を統合して、細胞内のホロ酵素量の具体的推定に初めて成功した。7種類のシグマ因子のうち、定常期発現遺伝子群の転写に関わるのは、シグマSであることを示した。定常期移行期や高浸透圧ストレス応答時に高まるグルタミン酸濃度を感知するセンサーが、シグマS蛋白自体のC端領域にあることを発見した。
 大腸菌転写因子の多種類について、試験管内転写反応で作用機構を解析した。その結果、転写因子は、アクチベーター、レプレッサーを問わず、RNAポリメラーゼと直接接触して機能制御に関わり、さらに、転写因子は一般に、DNA結合部位に応じて、転写促進と転写抑制のいずれにも作用することを明らかにし、従来の転写因子二分類の概念の再考を迫った。転写因子のRNAポリメラーゼ上の接点、DNA結合部位を迅速に同定する目的で、接点依存的に接触相手を切断する人工プロテアーゼ・ヌクレアーゼFeBABEを開発し利用した。多くの転写因子の作用機構と、RNAポリメラーゼ接点を比較して、転写因子が転写に与える影響は、RNAポリメラーゼ上の接点に相関することを発見した。αサブユニットと接触して作用するクラスI転写因子は、プロモーター上流域DNAに結合し、RNAポリメラーゼがプロモーターに安定に結合するのを支援し、σサブユニットに接点のあるクラスII転写因子はプロモーター近傍DNAに結合し、転写開始複合体によるプロモーターDNAの局所的開鎖を助けるが、クラスIII/IVの転写因子は、ββ′に結合し、転写開始から終結に至るRNA合成過程のどこかを制御しているものが多い。従って、最近では、転写因子を純化し、RNAポリメラーゼとの接点を先ず同定する研究戦略を採用することとした。
 転写因子の作用機構解析の一環として、転写開始機構を詳細に解析した。プロモーター開鎖複合体(closed complex)は、往々にして、オリゴヌクレオチド合成を繰り返し(abortive initiation)、そのまま反応を停止し、転写過程に移行しないmoribund複合体を形成することを発見した。クラスIII/IV転写因子GreA/GreBは、moribund複合体を、転写複合体に転換する活性を示した。
2)分裂酵母研究グループ
  分裂酵母のゲノム解析からは、約6,000の遺伝子の存在が示唆されている。転写装置は、本研究で、RNAポリメラーゼI及びIIのサブユニット分子構成を同定し、各サブユニット遺伝子を単離し、一次構造を決定した。真核生物の遺伝子発現包括制御の原理が、原核生物と異なるかどうかを知る目的で、細胞内のRNAポリメラーゼ量の測定を行った。この目的の為に、各サブユニットを大量発現・純化し、特異抗体を調製し、細胞粗抽出液をイムノブロット法で分析した。その結果、RNAポリメラーゼIIの量は、細胞当り約10,000分子、ハプロイドゲノム当り5,000分子と推定された。大腸菌同様、転写基幹装置の数量は、ゲノム全遺伝子よりは多くはない。サブユニット蛋白量の測定からは、RNAポリメラーゼIIの12種のサブユニットは、必ずしも、当量同調して合成されているのではないことが示唆された。mRNA量もサブユニット間で不均等であった。しかし、蛋白及びmRNAのサブユニット間の合成比に差があるので、サブユニット遺伝子間での翻訳効率の差が示唆された。なお、5種類のサブユニットは、3種RNAポリメラーゼ間で共有している。RNAポリメラーゼI特有のサブユニット濃度の測定を基礎にRNAポリメラーゼIの量を推定できた結果、共通サブユニットの利用の割合が推定できた。
 RNAポリメラーゼ量測定の結果、分裂酵母遺伝子発現ヒエラルキー決定の分子的基盤は、再び、転写装置の遺伝子間分配の制御であるとの仮説を支持した。そこで、大腸菌で成功したように、RNAポリメラーゼの機能制御に作用する転写因子の探索とその作用機作の解明に絞った研究を展開した。RNAポリメラーゼIIについては、先ず、12種類のサブユニット間の相互作用ネットワークと集合機構を同定した。大腸菌αサブユニット相同のRpb3-Rpb11ヘテロダイマーを中核として、β相同のRpb2,β′相同のRpb1の順に集合する様相は、基本的には、大腸菌と同じ機構であることが判明した。
 サブユニット集合機構の知見の基盤の上で、各サブユニットに直接作用する転写因子を遺伝学的・生化学的方法を駆使して実施した。RNAポリメラーゼIIに関しては、直接接触する多数の転写因子を同定し、さらに接点に関しても、CTD脱リン酸化酵素(Fcp1)がRpb4と、転写伸長因子TFIISがRpb6と、mRNA3′端形成に関与する転写因子Nrd1がRpb7と相互作用をするなど、新知見が出た。一方、RNAポリメラーゼIに関しては、rRNA合成転写因子RRN3が、Rpa21(出芽酵母RPB43ホモログ)に作用することを同定し、加えて、同サブユニットに作用する、新規の転写因子Ker1p(Lys/Glu-rich転写因子)を発見した。
 真核生物RNAポリメラーゼIIに特有の機能制御として、Rpb1サブユニットC端のTyr-Ser-Pro-Thr-Ser-Pro-Ser配列の繰り返しがある。分裂酵母では、29回の繰り返し構造のうち、Tyr,Ser,Thrは、いずれもリン酸化のターゲットで、多数のリン酸化酵素候補が提案されている。生体内でのリン酸化状態を知る目的で、リン酸化アミノ酸に対する抗体を用いて解析した。その結果、Serリン酸化が、転写装置を転写過程に稼働させる引き金になっていることを示唆した。分裂酵母では、リン酸化状態の制御でも、限られたRNAポリメラーゼの利用制御が為されている。
4.事後評価結果
4−1.外部発表(論文、口頭発表等)、特許、研究を通じての新たな知見の取得等の研究成果の状況
欧文誌論文 178報
1999年 Impact Factor Ranking の Original Journal 35位、Review Journal 30位までの雑誌に掲載された論文
Nature1報
EMBO J.3報
Current Opin. Genet. Dev.1報
Proc. Natl. Acad. Sci. USA6報
Mol.Cell.Biol.3報
 この年度のグループの中でも最もproductiveであった。原著が1年に平均30報以上であり、滅多に見られない量である。しかも多くがかなりの高レベルの国際誌であり、科学者の執念を感じさせる研究となった。特に新規に開発した人工ヌクレアーゼFeBABEを共有結合した、大腸菌RNAポリメラーゼαサブユニットを利用してDNAとの接点同定を行ない、2種の転写因子がαサブユニットと独立に相互作用できることを証明した論文(PNAS,1997)やσ(シグマ)因子を抑制する因子Rsdを見出したこと(PNAS,1998)は、大腸菌の転写研究に新しい局面を開いた。
 特許出願は国内、海外合せて5件ある。
4−2.得られた研究成果の科学技術への貢献
 代表者は、大腸菌のRNAポリメラーゼとそれによる転写機構を若い時から研究し続けて来た碩学である。近年、ゲノムの全配列が決定されるにおよび、その中から、どのような遺伝子が、どのように選ばれて転写されるのか、即ち遺伝子発現の量的ヒエラルキーが、どう決るのかに興味を持ち、その理論を検証すべく本研究は出発した。このような見方がどれ程の意味を持つかに関しては異論もあろうが、この目標の下に行なわれた諸実験によって判った事は極めて多い。それは、大腸菌と分裂酵母のRNAポリメラーゼとその転写因子の作用メカニズムを詳細に明らかにし、又、転写因子に関する新しい見方も提唱した。これらはなお未完であるが、ともすればもう終ったと思われがちな大腸菌の転写に新しい流れを注入した事は間違いない。これは有力な国際誌への発表によっても裏付けられる。
4−3.その他の特記事項
 人工プロテアーゼ、ヌクレアーゼなど、実験上の新しい技術も2つ開発した。特許出願は5件ある。
<<生命活動トップ


This page updated on April 1, 2003
Copyright(C)2003 Japan Science and Technology Corporation