研究課題別事後評価結果

1.研究課題名
量子構造を用いた遠赤外光技術の開拓と量子物性の解明
2.研究代表者名及び主たる研究参加者名(研究機関名・職名は研究参加期間終了時点)
研究代表者小宮山 進東京大学大学院総合文化研究科 教授
主たる研究参加者名平川 一彦東京大学 生産技術研究所 教授
3.研究内容及び成果
 赤外光からサブミリ波にいたる電磁波領域は、1meV-100meV程度の光子エネルギーに対応し、分子の振動・回転準位、固体の格子振動、半導体の不純物準位、人工ナノ構造の量子準位、超伝導体のエネルギーギャップ等々、物質の極めて多くの重要なエネルギースケールに対応する。そのため、物質研究における最も魅力あるスペクトル領域である。その一方で、皮肉にも測定を実行する立場からは、最も難しい領域の一つであった。その理由は、従来の光学技術の波長限界よりずっと長波長側にあるために光として取り扱うことが困難であり、かといって現在のエレクトロニクス技術の高周波限界よりさらに高周波側(数百GHz以上)であり、電気信号として扱う事も困難だったからである。研究構想の第一は、このように光学とエレクトロニクスという現代の二大技術がいまだに克服できずにいる電磁波領域の計測技術に、ブレークスルー的展開をもたらすことであり、第二はそれに関連して基礎物性研究に新たな展望を拓くことであった。
主要な研究成果
(a)検出器の開発 本研究では、以下に記す3種類の全く新しい検出器を、それぞれ異なる波長領域で開発することに成功した。特に、最初の2種類の検出器は単一光子を検知することができ、従来の光子エネルギー限界(約1eV)を一挙に100倍以上破り、従来型検出器に比べれば1万倍以上大きな感度を達成した。
 THz光子検出器(磁場中)(小宮山グループ) 半導体量子ドットに強い磁場を印加して電子状態をランダウ準位に分裂させ、そこに遠赤外光子を入射させて電子・正孔対をサイクロトロン共鳴励起により生成すれば、量子ドットの閉じ込めポテンシャルの影響で電子と正孔が分離し、量子ドット内部に電気分極を生成すると予測した。さらにその際、量子ドットを単電子トランジスターとして動作させれば、光子吸収により誘起された分極が伝導度のスイッチングに結びつくことにより単一光子検出が可能になると予想した。GaAs/AlGaAsへテロ構造中に金属ゲート電極により平面型量子ドットを作成して実験を行うことにより、この予測を実証することができ、遠赤外単一光子(光子エネルギー6meV-7.5meV、波長0.17mm-0.2mm、周波数1.5THz-1.8THz)の検出に成功した。
 GHz光子検出器(磁場なし)(小宮山グループ) 磁場なしで作動する検出器を得ることが極めて望ましい、という応用上の観点から、さらに新たな励起機構を着想した。磁場による準位分裂の代わりにもともと2つの隣接する量子ドットを用意し、2つのうち一方の量子ドット(D2)に光子を入射させて励起電子を一つ追い出す。その結果生ずるD2のイオン化による静電ポテンシャル変化を他方の量子ドット(D1)に及ぼして、単電子トランジスターをスイッチングする、という構想である。GaAs/AlGaAsへテロ構造に平面型2重量子ドットからなる単電子トランジスターを作成し、実験によりこの予測を実証した。すなわち、ゼロ磁場での単一光子検出(光子エネルギー約2meV、波長約0.6mm、周波数約500GHz)に成功することができた。さらに、検出スペクトルは量子ドットのサイズ(直径0.5μm)と電子濃度(2.7x1015/m2)によって定まるプラズマ振動で決まることが明らかになった。この素子により、フォトン計数の技法が、100GHzオーダーという、エレクトロニクスとの境界領域まで拡張されたことを強調したい。
 中赤外検出器(磁場なし)(平川グループ) 上記2つの平面型量子ドットを用いる限り、ドットサイズの制約のために、より短波長の中赤外域を視野に入れることはできない。そこで、より小さな自己組織化 InAs 量子ドット(直径0.004μmオーダー)を用いることにより、中赤外光領域の高感度検出器(光子エネルギー62meV-250meV、波長0.005mm-0.02mm、周波数15THz-60THz)を実現した。開発した素子は、量子ドット中の束縛電子を量子井戸に励起する単純な機構を用いており、感度は単一光子レベルには達しないが、それでも従来の量子井戸検出器に比べて数十倍の感度を持つ。現在、単一光子検出を可能とする改良型素子構造の構想を持っており、実験の準備を始めている。
(b)検出器高速動作のための増幅系の開拓(小宮山グループ)
 単電子トランジスターは、インピーダンスが200kΩ程度と高く、かつ動作電圧が数10μVと極めて小さいため、高速動作が容易ではない。常套的な駆動・増幅回路を用いた場合、時定数は1ms程度が限界であった。そこで、高速の光子検出を可能にするために、(a)項の単電子トランジスター検出器を30MHzのLC共振器(タンク回路)に組み込んで50Ωにインピーダンス変換し、さらに、低周波からマイクロ波領域にいたる雑音を徹底的に除去する(4.2Kの熱雑音が問題となる)ことによって、THz単一光子を時定数10μsで検出することに成功した。従来に比べて100倍の改良を得たこの実験では、従来と同様の常温動作の低雑音増幅器を用いている。しかし、ヘリウム温度動作の(より低音の)増幅器を用いれば、時定数をさらに10倍以上短縮できると期待される。
(c)走査型顕微鏡の開拓とその応用(小宮山グループ)
 本研究の光子検出器群のもっとも魅力的な応用分野は、半導体ナノ構造や少数分子といった、極微領域から放出される極微弱な電磁波を光子レベルで捉えてイメージングを可能にする事である。 その方向への第一歩として、単結晶シリコンの超半球レンズをソリッドイマージョン型の対物レンズとし、試料をXY-ステージで挿引する走査型顕微鏡を開拓した。試料として量子ホール効果素子の2次元電子系を用い、検出器として高感度の量子ホール検出器を用いることにより、1pW以下の微弱な遠赤外光(波長150μm)のイメージング画像を、空間分解能60μmで得ることができた。従来、遠赤外レーザーやフェムト秒パルスによる強力な光源を用いて同程度の空間分解能が達成されていたが、極微弱光のイメージングは本研究が初めてであった。この研究で得られた非平衡電子の空間分布の直接画像により、量子ホール電子系のダイナミクス理解が大いに進んだ。さらに、常温試料に対して適応可能な遠赤外顕微鏡を上記と似た光学系を用いて開発し、50μm程度の空間分解能を達成した。予備的実験により300Kの水分子の電場による変調信号を検出した。 将来的には、これら光学系をベースに、微細加工したスロットアンテナまたはSTM・AFM技術による短針アンテナを対物レンズに付与し、かつ単一光子検出器と組み合わせることにより、サブミクロン空間分解能と単一光子レベルの感度を持つ走査型顕微鏡に発展させる展望が開けた。
(d)基礎物性研究: 新たな量子ビット素子の可能性(小宮山グループ)
 量子ホール電子系の研究を通して、予想外の重要な副産物が得られた。つまり、固体量子ビット素子を量子ホール系の端状態を用いて実現する可能性を開いたのである。
 具体的には、分数量子ホール電子系の端状態間遷移によるスピン・フリップ散乱が、超微細構造相互作用を通して核スピン(GaとAs)を分極する事を見出した。誘起された核スピン分極が、電子スピンに対する有効ゼーマンエネルギーを大きく変化させるために、核スピン分極により伝導度が大きく変化する。 微細加工した金属電極によってRF磁場を端状態近傍のみに印加して核磁気共鳴(NMR)を起こし、その信号を伝導度変化により検知することに成功した。
 この成果は、分数量子ホール電子系端状態のスピン状態を調べる極めて高感度の探針が初めて得られたということを意味するが、さらに重要な点は、核スピン分極の「初期化」「演算」「読み出し」を行い得る”量子ホール固体素子”の実現可能性を示した事である。今後、1ビット操作さらには多ビットの演算に向け挑戦する。
共同研究グループの成果と協力関係
平川一彦グループ(東京大学生産技術研究所)
  中赤外帯検出器の開拓(3(a)):自己組織化InAs量子ドット中電子の光励起により、光担体の高移動度性と長寿命性により高感度を得た。遠赤外検出器として、量子ホール効果素子検出器の諸特性(雑音指数や平面型双極子アンテナの併用による効果等)を明らかにした。
 平川グループ以外に、高柳英明(NTT基礎研究所)・白木靖寛(東京大学先端科学技術センター)・深津晋(東京大学総合文化研究科)の各グループから、MBE結晶成長技術・電子線リソグラフィーによる微細加工技術・RF-SETの高周波・低雑音測定技術等に関して、人的交流を含めて援助・協力を得た。
4.事後評価結果
4−1.外部発表(論文、口頭発表等)、特許、研究を通じての新たな知見の取得等の研究成果の状況
 遠赤外領域での高感度検出器開発という未踏の領域に、単電子トランジスターの特性を使う物理的な考察に基づいたユニークな発想により、感度として極限の“単一光子検出”を達成する困難な目標に果敢に挑戦した。その結果、単一光子の検出に成功して、従来の検出器に比較して1万倍も高感度な検出器の開発に成功したことは、高く評価出来る成果である。しかも、当初は磁場を用いる検出器であったが、2個の量子ドットを用いることによって磁場を必要としない検出方式を実現したこと、さらに高速動作回路を開発するなど、本検出器の実用的展望を拓くために次々と新しいアイディアを発想し、それを実現してきたことは、物理的発想基盤が確実であると同時に、目標に向けて、ぶれのない研究遂行を示すものと、高く評価できる。いろいろな個別成果の寄せ集めでというのではなく、目標に対する一貫した姿勢が見られる。遠赤外単一光子検出器を用いた走査型遠赤外顕微鏡開発にも、検出器開発の成果を具体的に広く応用していくために、全く正しい目標設定である。その実現に向けて外堀を埋める作業を着実に進めており、将来の成功が大いに期待できる。また、平川グループが開発した、高感度中赤外検出器も、従来の検出器に比べて数十倍程度の感度を持つ検出器であることで、注目すべき成果である。 さらに、上記の中赤外検出器と遠赤外・サブミリ波の光子検出器開発で得た知見と組み合わせることにより、研究プロジェクトの所期の目標を大きく超えて、赤外−サブミリ波の全スペクトル領域での単一光子検出器開発が構想されている(特許出願済み)。このスペクトル領域の検出技術は、物理、生物、医学、天文学などに応用されると、学際的に波及効果が大きく、利用価値が極めて高い未踏の領域である。このことを考えると、本研究の成果は、科学技術に与えるインパクトは大きく、今後の発展が大いに期待できる。 さらに、副産物的成果ということではあるが、固体量子ビット素子を量子ホール系の端状態を用いて実現する可能性を開いたことも興味深い。微細加工した金属電極によってRF磁場を端状態近傍のみに印加して核磁気共鳴(NMR)を起こし、その信号を伝導度変化により検知することに成功して、核スピン分極の「初期化」、「演算」、「読み出し」を行い得る“量子ホール固体素子”の実現可能性を示したことは、量子ビット素子、量子コンピューターの実現へ向けての内外の研究に、ユニークな手法として、一石を投じるであろう。
 外部発表は226件、特許は4件となっている。特許件数は少ないが、「ミリ波・遠赤外光検出器」という名称で出願されている特許に、本研究で開発された遠赤外検出器の基本的なアイディアはすべて含まれており、アイディア先行型で知的所有権を確保してから、実際の研究でアイディアを具体的に実現してきており、その意味では件数は少ないが、理想的な出願をしている。これも、研究代表者の発想基盤が確実であったことを示すものである。ただし、付随した成果で、幾つか特許に出来るものもあったはずで、万全ではなかった。
4−2.得られた研究成果の科学技術への貢献
 遠赤外単一光子検出は、光電子増倍管の波長限界を数百倍破って単一光子検出を可能にし、対応する波長での従来型検出器に比べると1万倍程度の感度を持つもので、量子ドットの分光的な研究手段を初めて与えるなど、革新的な貢献である。今後、本研究成果を応用して、さまざまな研究が進むと考えられる。単電子トランジスターの顕著な応用例として、科学・技術的インパクトは絶大で、国内外を問わず類似の研究はない。 特に、narrow-band gap半導体のバンド間遷移を利用する商業的赤外線検出器が、将来的には本研究で着想した単一光子検出可能な量子井戸/SET複合検出器で置き換わる可能性が高い。 また、今後、赤外―ミリ波領域の光子検出器群+顕微鏡系の研究がさらに進展し、計測技術として確立すれば、電波天文学・固体物理学・分析化学・生体高分子分光等に広い応用が期待できるなど、新しい産業の創出に繋がる可能性は極めて高い。
4−3.その他の特記事項
 小グループによる「一点突破・全面展開」で、CRESTプロジェクトとして、極めて望ましい形で、研究が進められた。 本研究の遠赤外検出器の開発に関する成果は、「赤外―サブミリ波領域の光子検出器開発と走査型顕微鏡の開発」として、平成13年度の基礎的研究発展推進事業に採択され、科学技術振興事業団のプロジェクトとして、研究が継続発展することになった。
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