研究課題別事後評価結果

1.研究課題名
微細構造におけるスピン量子物性の開拓
2.研究代表者名及び主たる研究参加者名(研究機関名・職名は研究参加期間終了時点)
研究代表者家 泰弘東京大学物性研究所 教授
主たる研究参加者名勝本 信吾東京大学物性研究所 助教授
 小森 文夫東京大学物性研究所 助教授
 八木 隆多広島大学低温センター 助教授
3.研究内容及び成果
 金属や半導体の表面界面に形成される微細構造において展開される量子現象、なかでも特に、スピン自由度や磁性が関連した量子輸送現象を探究する研究を展開した。本プロジェクトでは、特定の物質を研究対象とするのではなく、むしろ興味ある物理現象ごとにそれが最も明瞭な形で現れる系を選択して実験をデザインするというアプローチを採った。具体的には、[1] メゾスコピック構造半導体2次元電子系の量子輸送とスピン依存効果、[2] 希薄磁性半導体の磁性と伝導、[3] 表面ナノ構造磁性体の形成と磁性、[4] メゾスコピック磁性体におけるスピン依存伝導、[5] メゾスコピック超伝導体と磁性、の五つの大項目に整理できる。

主な研究成果の概要

[1]メゾスコピック構造半導体2次元電子系の量子輸送とスピン依存効果
 周期磁場変調下の2次元電子系の電気抵抗に現れる余剰抵抗がΔρ=AT2 +C の温度依存性を示すことを見出し、T2に比例する項が電子電子散乱効果に起因すること、定数項は残留抵抗をもたらす不純物散乱と変調磁場との複合効果であること、を明らかにした。
 ランダウ準位占有率がν=3/2近傍の複合フェルミオン領域における磁気抵抗の整合振動(幾何学共鳴効果)を観測し、その共鳴条件の解析からν=3/2複合フェルミオンが完全スピン偏極しているとの結論を得た。また、超短周期変調をもつ量子井戸の量子ホール状態においてν=奇数のスピンギャップが顕著に抑制される効果を見出した。
 高次ランダウ準位の半占有状態におけるストライプ相(電荷密度波相)が短周期変調ポテンシャルによってどのような影響を受けるかを調べ、ν=5/2から25/2の広い範囲にわたってストライプ相の出現を示唆する磁気抵抗ピークを観測した。サイクロトロン半径と変調周期との整合関係がストライプ相の安定性に反映される様子が捉えられた。
 制御用ゲート電極をもつアハラノフ・ボーム(AB)リングを作製し、通常の電極配置と、曲がり抵抗を測定するときのような非局所測定配置とによるふるまいの違いを調べた。(1)ゲート電圧を変えたとき前者ではAB振動の位相がロックされるのに対して、後者では連続的に変化させられること、(2)AB振動の相対的振幅は後者のほうが大きく、かつ、(3)温度を上げたときの減少(デコヒーレンス)も緩やかであること、を見出した。特に最後の点は、測定のプローブ配置によって電子のデコヒーレンスに違いが現れることを示す重要な結果である。
 ABリングの一方のアームが量子ドットをもつ構造を作製し、AB振動とクーロン振動の共存領域を調べた。この系のクーロン振動に、量子ドットの離散準位とリングの連続準位の共鳴によるファノ(共鳴)干渉パターンが現れることを見出した。クーロン振動の谷においてもAB振動が観測されたことは、ファノ干渉によって局在状態が解消したこと示している。ファノ効果はさまざまな物理過程において見出されているが、メゾスコピック構造での観測は初めてであり、しかもこの系は種々のパラメーターが制御できるという著しい特徴をもつ。
[2]希薄磁性半導体の磁性と伝導
 希薄磁性半導体(Ga,Mn)Asおよび(In,Mn)Asにおいて、分子線エピタキシー(MBE)成長後の低温熱処理によって膜質が大幅に向上し、かつ安定化することを見出した。高 Mn 濃度試料における膜質低下の原因が膜中に取り込まれた過剰AsとMnが形成する複合欠陥にあること、低温熱処理によって過剰Asが蒸発して欠陥が消失するというメカニズムが明らかとなった。さらに、この低温熱処理効果を積極的に利用して同一の試料において伝導度や強磁性転移温度を系統的に変化させつつ物性測定を行う手法を確立した。
 希薄磁性半導体における電子状態と強磁性発現機構を探るため赤外分光および軟X線吸収分光測定を行った。赤外スペクトルで200meV付近に見出された線幅の広い吸収ピークは半ば束縛されたMnのd軌道を起源とする正孔によるものと考えられ、金属的な伝導を起こしているキャリアーが局在傾向の強い性格を有していることがわかった。Mn2p領域の軟X線吸収スペクトルは、強磁性Mn2+(d5)と常磁性Mn2+(d5)の2つの成分からなり、低温熱処理によって過剰Asが減少するとともに強磁性Mn2+の割合が相対的に増加する。また、常磁性Mn2+スペクトルの強度変化は強磁性転移温度の変化と良く相関している。このことはAs正孔を介した運動交換相互作用がMn3dスピン間の強磁性相互作用をもたらしていることを示唆する。
 (Ga,Mn)As系では、Mn 濃度の増加とともに系が絶縁体から金属に転移し、さらに高濃度側で再び絶縁体に転移する特異な振る舞いが見られる。低温熱処理を利用して金属非金属転移直近に試料をチューニングし、磁場誘起非金属金属転移を、有限温度2パラメータ・スケーリング理論によって解析した。
[3]表面ナノ構造磁性体の形成と磁性
 窒素吸着銅(100)表面に自己形成される7nm間隔の正方格子状ナノ構造を利用して磁性ドット配列を作製する手法を開発し、Co,Fe系についてその構造と磁性を調べた。(1)Coドット配列の磁気転移温度および磁気異方性が一様薄膜と異なるふるまいを示すこと、(2)それが磁気ドット間の相互作用や窒素吸着面上でのCoの磁性に起因していること、(3)Coドット配列では面内磁化であるのに対して、Feの場合には面垂直磁化であること、などを明らかにした。このようなナノスケール磁性ドット配列を高密度磁気メモリーに応用する可能性について民間企業との共同研究を進めている。
 Pt(111)清浄表面上にマグネタイトの単結晶薄膜を作製し、フェルヴェイ転移温度の上下でスピン分解光電子分光を行った。 フェルヴェイ転移に伴うスピン分解電子状態密度の変化がフェルミ準位以下1eV程度の範囲でのみ観測され、理論の予想と一致する結果を得た。
[4]メゾスコピック磁性体におけるスピン依存伝導
 磁性金属(Fe)ナノワイヤーの量子化伝導を、極低温STMを用いることにより準静的に調べた。スピン縮退が解けていることを反映して、常磁性金属で観測される量子化コンダクタンスに比べて量子化単位が半分であることを見出した。 細線の伸び縮みに対してヒステリシスをもつ電気伝導の跳びが観測され、これと鉄の結晶格子間隔や構造の変化によって生じる磁性変化との関連について第一原理計算との比較が進んでいる。
[5]メゾスコピック超伝導体と磁性
 微小超伝導体に磁場をかけたときの磁束系の状態を単電子トランジスタおよび低温STMを用いて調べた。外部磁場の上げ下げに伴う磁束量子1本1本の出入りを単電子トランジスタを用いて検出し、超伝導体が単連結の場合とリング形状の場合の磁束系の挙動の違いを捕らえた。超伝導微小円板の磁束状態を低温STMにより調べ、アブリコソフ格子状態から多数の磁束量子を抱える巨大渦糸状態への相転移を捉えた。
 2次元正方格子超伝導ネットワークの一つおきのボンド上に微小磁性体を付加した系を作製して、チェッカーボード磁場下の超伝導ネットワークの転移を調べた。この系の超伝導相境界が一様磁場およびチェッカーボード磁場の関数として変化する様子を観測し、これに対応するモデルのホフスタッター・バタフライ・ダイアグラムと良く一致することを示した。
 超伝導体(NbSe2)表面上の磁性微粒子(Fe)近傍の極低温走査トンネル分光によって、超伝導/磁性界面の局所電子状態の変化を調べた。孤立したFe微粒子近傍でのトンネルスペクトルは、微粒子周囲に局在した準粒子束縛状態の存在を示した。
4.事後評価結果
4−1.外部発表(論文、口頭発表等)、特許、研究を通じての新たな知見の取得等の研究成果の状況
 2次元電子系およびそれに人工周期を付加した系、量子ドット、希薄磁性半導体、表面自己形成ナノ構造、金属ナノワイヤー、微細構造超伝導体などを対象として、それらにおける伝導と磁性とのさまざまな関わりを明らかにすることを目指し、基礎物性物理として幾つか重要な成果をあげることができた。ただし、研究対象が多岐にわたり、相互の関連が必ずしも明確でなく、現時点ではそれぞれの分野で世界に競合できる成果を得ているというところである。その中のどれかが、突出した成果として将来に育つことを期待する。本プロジェクトの研究活動は基礎物性物理の探求を主眼とするものであるが、扱った系のいくつかは将来の応用への発展の可能性を秘めている。いま、量子計算など未来の量子デバイスへの関心が高まっているが、量子計算素子として最も基本的な問題は電子のデコヒーレンス機構を明らかにあることである。この観点から、ABリング系で見出された「プローブ配置に依存するデコヒーレンス」はさらに追求すべきテーマである。量子ドット/ABリング系で見出されたファノ干渉効果は、コヒーレンスの制御という観点から興味深い。半導体デバイスにおける磁性の利用という観点からは、将来のスピントロニクスを支える物質としての希薄磁性半導体が特に注目される。実際の応用に至るまでには物質科学的問題点が山積しているが、本研究で見出された低温熱処理効果は材料制御の有力な一手段となり得るであろう。 強磁性体微細構造を用いて作り出すメゾスコピック・スケール空間変化磁場中の電子のふるまいも半導体/磁性体複合デバイスへの発展の可能性を秘めている。 また、ナノスケール構造や表面といった特殊状況での磁性の諸相の解明は、物質科学としての興味とともに、極微細磁気デバイスとして、将来の応用発展の基礎としても重要である。 一部は、応用を目指した研究が外部企業の研究機関との共同研究としても開始されており、基礎物性物理の成果を具体的に発展させて欲しい。
 外部発表は290件、特許は1件であった。外部発表については質量ともに評価されるべき結果となっているが、特許は、磁性半導体の熱処理による安定化の1件のみであった。 基礎物性研究ということで、応用に直接つながる特許は書きにくいということがあるかもしれないが、将来の量子デバイスや極微細磁気デバイスとの接点を意識した物性物理の研究であること、新しい物理現象を発見する手段などは独創的であることなどを考えると、知的所有権への関心を持ち、努力すべきであったと惜しまれる。
4−2.得られた研究成果の科学技術への貢献
 科学的貢献として、量子ドット系、人工構造中の2次元電子系、磁性半導体、表面磁性などの分野の展開に、一部不定の要素もあるが、十分に貢献ができたと判断できる。2次元電子系、ABリングに関しての基礎的な物理現象にかかわる実験は、物理の理解に立脚した科学として重要な成果であり、教科書の題材になりそうな内容である。
 研究内容の大半は現状では、直接応用に結びつく性格のものではないが、その中で磁性ドット配列の研究は高密度磁気記録への応用を念頭において外部機関との共同研究に発展している。また、希薄磁性半導体の低温熱処理の手法は、本材料の実用材料化段階において有用になる。
 当研究チームの試料作成技術や測定技術にかなりの向上があった。これらをさらに洗練させればナノテク技術への波及効果が期待できる。
4−3.その他の特記事項
 なし
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