研究課題別事後評価結果

1.研究課題名
人間の高次精神過程にかかわるコラム構造・配列
2.研究代表者名及び主たる研究参加者名(研究機関名・職名は研究参加期間終了時点)
研究代表者田中 啓治理化学研究所 脳科学総合研究センター チームリーダー
主たる研究参加者谷藤 学理化学研究所 脳科学総合研究センター チームリーダー
 勝又 紘一理化学研究所 脳科学総合研究センター 主任研究員
 王鋼(Gang Wang)鹿児島大学工学部生体工学科 助教授(平成12年4月1日〜)
3.研究内容及び成果
 動物での実験結果が集まり、また人の脳の神経活動を記録する非侵襲計測法が開発されたことから、人を被験体にした高次脳機能の研究に対する期待が高まっている。しかし、人を被験体にした研究で何ができるかは非侵襲計測法の空間分解能で制限される。これまで人の非侵襲計測に用いられて来たPET、脳磁計、通常のMRI(核磁気共鳴イメージング)装置を用いた機能的MRI法の空間分解能はいずれも数ミリ以上であり、これらの計測法を用いた研究は、脳部位単位での機能局在の研究に止まっていた。
 大脳皮質において、似た性質を持った細胞が固まり、その固まりが皮質の表面に垂直な方向に伸びて皮質の厚みの全てを貫いていることをコラム構造と呼ぶ。コラム構造はすでに1960年前後に第一次体性感覚野と第一次視覚野で示されたが、最近になって研究代表者のグループは下側頭葉皮質に複雑な図形特徴に関わるコラム構造があることを示した。低次の感覚野のみならず高次連合野でも見いだされたことから、コラム構造が大脳皮質の広範な領域に存在する可能性がある。コラムの巾は領野によってまた区分の仕方によって異なるが、大きなものでは0.5ミリ程度である。0.5ミリ程度の空間分解能は現在試行されている非侵襲計測法を改良することで実現できる可能性が高い。ひとつずつのコラムを特異的に賦活する刺激または行動の状況を決定できれば、この領野での情報表現の様式の理解に大きく近づくことになる。
 そこで本研究ではコラムに相当する空間分解能を持った非侵襲計測法の開発を行った。理研脳センター認知機能表現研究チームでは、通常のMRI装置の磁場の2.5倍である4テスラの磁場を持ったMRI装置を用いてコラムレベルの空間分解能を持った機能的MRI法の開発を試みた。技術的なステップとして実験動物(サル)でのデータが豊富にある第一次視覚野の眼優位性コラムの撮像を最初の目標とした。眼優位性コラムは、主に左目から入力を受ける細胞が集まって左目コラムをなし、主に右目から入力を受ける細胞が集まって右目コラムをなす構造である。眼優位性コラムの場合、ほかのコラム構造と違って、ひとつひとつのコラムが大脳皮質表面のひとつの方向に伸びた帯状の領域を構成し、全体としては左目コラムと右目コラムが交互に繰り返すストライプを構成している。機能的磁気共鳴イメージング法の空間精度の限界は、最終的には毛細血管の間隔(50ミクロン程度)で決まるが、実際には測定の信号雑音比が悪いために、これよりずっと大きい空間精度しか実現できていない。そこで本研究では、信号雑音比を向上させるためにいろいろな技術開発を積み重ねた。通常の人間用磁気共鳴イメージング装置の2.5倍である4テスラの超伝導磁石に、長時間安定した画像を得るために特別に設計した傾斜磁場コイルを組み合わせた。さらに第一次視覚野での感度を上げるため、特別設計の小型受信用コイルを作成した。また、呼吸および心臓の鼓動にともなう信号の変調を補正するシステムを開発し、コイルを駆動してイメージを得るための制御シークエンス(パルスシークエンス)を測定対象に最適化した。
 これらの改良を積み重ねた後に、左目に視覚刺激を与えているときの信号と右目に視覚刺激を与えているときの信号を比較し、眼優位性に対応するストライプパターンを得ることができた。このパターンはサルの眼優位性コラムと同じように、“ストライプを構成し”、“帯の長軸方向は第一次視覚野の境界(大脳半球の内側表面にあり、鳥矩溝が内側表面に出る縁にほぼ平行に走る)にほぼ垂直”であった。一方、ひとつずつのコラムの幅は平均して1ミリであり、サルのそれの約2倍であった。さらに、ひとつの眼優位性コラムイメージングが終わった後に5分ほどおいて、同一被験者の同一スライス面でもう一度イメージングを行なった結果、極めてよく重複するパターンが得られた。この再現性は、今回の測定の空間精度が画素の大きさ(約0.5ミリ)以下であったことを示している。比較的平らな鳥矩溝の壁を持つ3人の被験者で同じような結果が得られた。
 機能的MRI法では脳活動の高進に伴う局所脳血流量の上昇を観察している。この方法の最終的な空間分解脳は、高進した神経細胞活動のまわりに局所血流量の増大がどの程度局在しているか、すなわち信号源の広がりに依存する。そこで、理研脳センター脳統合機能研究チームでは、神経活動に伴う血液動態に関連した信号の起源とその局在性を明らかにするために、動物を用いて神経活動に伴う脳表面の反射光の変化の分光学的解析を行った。脳表面からの反射光は脳内のヘモグロビンの吸収を強く反映しているので、分光学的解析によって血液動態の性質がわかる。その結果、神経細胞活動の高進したコラムでは、還元ヘモグロビンの増大に加え、活動領域の血液量が増大することが明らかになった。血液量の増大は空間的に局在しており、コラム構造を反映した。一般的に、血流は動脈ないしは細動脈によってコントロールされていると考えられているが、その密度はカラムを可視化するのには十分でない。そこで、血流量の変化がコラム構造を反映したとの実験結果は、より微細な血管系である毛細血管にも血流ないしは血液量のコントロールメカニズムがある可能性を示唆した。この研究の過程で、神経活動に伴う光信号に散乱成分が含まれ、この散乱成分がやはりコラム構造を反映することを見い出した。そして、神経活動によって2次的に生じるこのような散乱変化をOCTを使ってイメージングする方法を開発し、深さ方向に選択的な光計測法の開発に成功した。
 機能的MRI法では還元ヘモグロビンの量を水素原子核のスピンを通じて観察するが、高周波ESR法を用いて還元ヘモグロビンの信号を直接観察できる可能性がある。理研磁性研究室では、高周波ESR法による還元ヘモグロビン濃度のより直接的な測定法の開発を目指して基礎的な研究を行った。具体的には還元ヘモグロビンと同じ二価鉄の化合物の電子状態に基づく大きな異方性をもったシグナルを観測してその起源を明らかにし、スピン量子数の小さな相互作用が一方向や平面内に強い銅やニッケルのイオンからなる低次元磁性体の磁気励起に関して量子効果に基づく新規な現象を観測した。
 神経活動の空間分布測定において、信号自身はかなり広がっていても、信号の空間分布の時間変化を計測してこれを主成分解析することにより基礎にあるコラム構造を抽出する可能性がある。鹿児島大学工学部生体工学科ではサルの下側頭葉皮質の複雑な図形刺激に対する反応を光計測で観察し、主成分解析を行う試みを行った。
4.事後評価結果
4−1.外部発表(論文、口頭発表等)、特許、研究を通じての新たな知見の取得等の研究成果の状況
 ヒトの脳の機能的構造に動物実験で確立された機能的コラムの考えが当て嵌められるかどうかを検証するために高分解能の機能的 MRI システムを開発し画期的に表示するという目的ではじめた研究で、第一次視覚野の眼優位性コラムを見事に画像化した成果は方法的には成功であった。すなわち、4テスラMRI により目標とする0.5mmの空間解像に到達し、応用例としてヒトの眼優位性コラムのイメージングに成功した成果は立派である。但し本来の実験目標に応用し、成果を挙げるには到らなかった。
 眼優位性コラムがもっと明確に示されることを当初は期待した。研究代表者が以前サルの側頭葉下部 TE 野に発見した複雑な画像に対応するコラム構造についてもヒト脳で fMRI により知見が得られることを期待したが、実現しなかった。第一次視覚野は視覚情報処理の初期過程を受け持つ領域であり、当初の目的である人間の高次精神過程に関係するとはいいがたい。
 4テスラMRI の技術開発に理工学部関係或いは企業からの有効な支援を得られなかった点は問題である。
 谷藤チームリーダーが考案したオプティカルコヒーレンストモグラフィー(OCT)法は大脳皮質の深さ方向の神経活動を記録できる点で画期的な技術であり、生理学的研究に応用されることが期待される。これは Nature Neurosci. に発表された。
 鹿児島グループによるサルの光学的計測の研究は今までの単一ニューロン活動の解析にくらべると少しあいまいでわかりにくい。
 用いた4テスラMRIの初期設備不良と言う不幸な事態のため研究論文の発表は少ない。しかし、J. Neurophysiology(2編)、J. Neurosci.(2編)、Nature Neurosci.(2編)、Neuron(1編)など一流のジャーナルに発表している。
4−2.得られた研究成果の科学技術への貢献
 技術的困難を克服し、ヒトで ocular dominance columnの可視化に成功した。グループ内の研究者を含め、光学的計測法に関しての幅広い研究の展開が期待される。MRIの空間解像能に関しては0.5mmの目標に到達し、ヒト脳を用いて眼優位性コラムのイメージングに成功したのは他に例を見ない。高分解能の fMRI で限界に近い性能を引き出した技術は素晴らしいが、得られた成果はまだ技術的可能性を検証しただけである。技術的開発力では、現状のままではその内、米国やカナダのグループに追いこされる可能性が大であろう。
 ヒト高次脳機能の非侵襲計測による研究は極めて重要である。本研究の方法でヒトの生理的状態での高次脳機能が解析できよう。人間の脳の機能画像の分解能を上げ機能的コラムに当たる1〜2mmオーダーで機能的構造を画像化することが出来れば高次精神機能の研究は非常に進むと思われる。たとえばアルファベットや仮名文字のコラムが発見できるかも知れない。
 fMRIでは第一次視覚野の眼優位性コラムの撮像に成功したが、さらに、高次連合野のコラム構造が解明されて、ひとつずつのコラムを特異的に賦活する刺激または行動の状況を決定できて、領野での情報表現の様式が理解できることが期待できる。
 ヒトの高次視覚機能(視覚過程)解明という研究目標に向けての具体的努力にやや欠ける点が不満。高次精神機能としてどういう具体的内容の研究を目指すのかまだ漠然としている。
4−3.その他の特記事項
  fMRI の空間分解能の改良とそれに基づく第一次視覚野の眼優位性コラムの解明、谷藤グループのfOCT 開発、王鋼グループの主成分分析法によるイメージデータ処理法の開発、のいずれのチームもよく連係して活動している。研究人員は十分でなかったようにみえる。国内の有力な技術グループとの共同研究体制は組めなかったのか?
 研究費の使い方は設備費に主として用いられた。初期3年間の研究費配分のバランスが悪いのは研究プランに問題があったのでは? コラム構造単位の解析の空間分解能の改良には大きな設備費が必要である。
 技術面での成功は素晴らしい。是非高次精神過程の研究に生かして欲しい。例えばヒトの fMRI の研究で側頭葉から後頭葉にかけての領域で顔、顔の部分、身体の部分、建物、道具などカテゴリーによる部位の違いを示唆する結果が得られている。これはいろいろなカテゴリーの図形のコラムが混在するという代表者のモデルとは合わないのでまずそのへんを高分解能の装置で検証する研究からはじめてはどうだろうか?
 これまで、ヒトの下側頭皮質のニューロンレベルの研究に従事していた代表者が、ヒトでのfMRIによる視覚機能の研究という代表者にとっては未体験の分野に挑戦し、技術的な問題を克服して短期間で4テスラfMRI を使用可能にしたことは十分評価できる。これからが正念場であろう。
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This page updated on April 1, 2003
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