研究課題別事後評価結果

1.研究課題名
フェムト秒領域の光反応コントロ−ル
2.研究代表者名及び主たる研究参加者名(研究機関名・職名は研究参加期間終了時点)
研究代表者 山内 薫 東京大学大学院理学系研究科 教授
主たる研究参加者 染田 清彦 東京大学大学院総合文化研究科 助教授
3.研究内容及び成果
 分子が波長の短い紫外線を吸収したり強い光子場と相互作用すると、その化学結合が切断され、よりサイズの小さい分子や原子に解離する。したがって、この解離過程を理解することは、化学反応を光でコントロ−ルするための貴重な第一歩である。本プロジェクトは、光の強度が比較的低い場合における分子内振動エネルギ−再分配(IVR)の機構を解明するとともに、光の強度が分子内のク−ロン場の大きさに匹敵する場合における光と分子の混合状態の理解を目指した。
 強い電場中に原子や分子を置けば、その電子状態は著しく乱され、分子の場合にはそのポテンシャル面と幾何学的構造が大きく変形すると考えられる。このように強い光子場の中で分子の振舞いを研究することは、「光と物質の相互作用の本質を理解する」という基礎的な問題に答えるばかりでなく、分子の内部状態を外部から激しく攪乱することによってポテンシャル面を変形させ、光によって分子制御するという「分子の光マニピュレ−ション」という応用的な観点からも極めて重要である。具体的な研究では、光パルスの持つ強度、波長、パルス幅、2つのパルス間の時間差をパラメ−タとして取り扱い、実験と理論の両者の立場からIVRの詳細な解明とそのコントロ−ル法の提案、強い光子場における分子の変形現象の発見と追跡、さらには光子場による分子配向、変形、イオン化の競合過程の同定を行い、光による反応コントロ−ルへの指針を与えた。その過程において、短パルス極端紫外レ−ザ−光源、短パルス電子回折装置、質量選別運動量画像法、代数論的振動力場展開法など、新しい実験装置や実験手法の開発を行った。また、理論のフォロ−には東京大学大学院総合文化研究科の染田らの協力を得ている。
 主な成果は大別して、1)強光子場中の光反応及び分子構造制御、2)短パルス極端紫外(XUV)域光源の開発と反応制御への応用、3)摂動領域におけるIVR制御のための分光実験及び理論の3つに分類される。特に強光子場中の光反応制御に関しては、「タンデム型質量分析装置」、「パルス電子回折装置」、「極端紫外域分光システム」、「超光子場発生のための光コンプレッサ−」それぞれの装置を製作し、強光子場中での分子の偏向、変形、爆発などの様々な現象を系統的に調べた。そして、「準定常フロケ法に基づくドレスト状態ダイナミクス」に関する理論計算や「代数アプロ−チによる振動ダイナミクス」、「強光子場中における分子内電子・核ダイナミクス」に関する理論研究を展開した。
(1)タンデム型質量分析装置の開発と強光子場分子ダイナミクス
 レ−ザ−パルス内にて多重イオン化、高速構造変化を起こす強光子場中の分子に関する研究は、これまで中性基底状態を初期状態としたものに限られている。そこで、イオン価数、振動準位の電子を初期状態として選別するために、質量選別を2段階行うタンデム飛行時間型質量分析器を開発した。この装置を用いて、電荷を持たないベンゼンと1価のベンゼンイオンをそれぞれ強光子場と相互作用させたところ、光子場の波長が400 nmの場合、強光子場との強い結合がベンゼンの1価のイオンにおいて起こることが明らかとなった。しかし、波長が800 nmの場合には2価の親イオンの生成が主たる生成物であり、電子状態間の強い結合による現象は見出されていない。このことから、強光子場といってもその波長によって分子の応答が大きく異なることがわかり、強光子場を利用しての分子制御に関する指針が得られた。
(2)超短パルス電子回折装置の開発と強光子場科学への応用
 分子系の高速過程を電子線散乱法によって直接観測することを目的として、超短パルス電子線回折装置を開発した(特許出願)。この装置では1 ps程度の極めて短い電子線パルスによる電子回折実験が可能であり、時々刻々変化する分子の構造をまさに実時間で回折像として直接観測することが可能となる。
(3)強光子場中の分子ク−ロン爆発
 サブピコ秒の超短パルスレ−ザ−光により作られた強光子場に分子を晒すと、多重イオン化を経てク−ロン爆発にいたる。この現象は、光子場強度が0.1 PW/cm2を越え、電子のトンネルイオン化が促進されるころから顕著になる。2原子分子や3原子分子の場合には、ク−ロン爆発直前の構造が生成する原子フラグメントイオンの運動量ベクトル分布に鋭敏に反映される。本研究では、運動量ベクトル分布を2次元表示した質量選別運動量画像(Mass-resolved momentum imaging:MRMI)法によって、NO、N2、SO2、CO2、NO2、H2O、C2H2などの分子について強光子場での分子構造変化を明らかにした。また3原子分子においては、変角方向への構造変形が顕著であるCO2、NO2、H2O等の分子のもつ性質に応じて大きく変形することが、MRMI法で明らかとなった。
(4)強光子場中の酸素分子イオンO2+のドレスト状態解離ダイナミクス  強光子場(1 PW/cm2)における解離過程O2+→O++OをMRMI法によって調べた。解離生成したO+イオンの運動量画像には運動エネルギ−の異なった複数のピ−クが観測され、それぞれレ−ザ−偏光方向に強い空間異方性を示すことが明らかになった。このことは、強光子場において生成した光ドレスト状態が、主として同じ電子対称性を持つ少数の電子状態間の結合によって生成することを示唆している。また、強光子場におけるO2+分子の解離過程が、4重項電子状態間の結合によって生成したドレスト状態の形状を鋭敏に反映していることも明らかとなり、ドレスト状態が強光子場における分子ダイナミクスに重要な役割を果たしていることが初めて明らかとなった。
(5)超短パルス極端紫外レ−ザ分光実験装置の開発
 フェムト秒の光パルスを用いた極端紫外領域のパルス光源の開発を行った(特許出願)。この装置は、真空中においてフェムト秒の光パルスを希ガス中に集光することにより高次高調波を生成させる「高次高調波生成部」、生成した高次高調波を波長選別する「波長選別部」、波長選別された高次高調波を集光する「集光部」、及び高次高調波を検出する「検出部」から成っている。この装置と飛行時間型質量分析装置や蛍光検出装置を組合せたポンプ−プロ−ブ実験を行うことにより、分子の超励起状態における光解離・自動イオン化のダイナミクスに関する研究が可能となった。
 以上、本プロジェクトではレ−ザ−光の持つ波長、輝度、時間幅、そして2つのレ−ザ−パルスの時間差を変えることによって、分子系のダイナミクスがどのように変化するかを実験と理論の両方の立場から追求した。本プロジェクトの進展の結果、レ−ザ場の強度が原子・分子内のク−ロン場の大きさと同程度となった場合に見出される分子の特異的な振るまいについては、新しい方法論や実験手法の開発とともに理解が深まり、「強光子場の化学」という新しい研究領域の開拓につながる成果を上げることができた。
 これら以外に理論面でも、例えばデリバティブ法、代数的振動力場展開法などの新しい理論解析の枠組みを提供することが出来た。
4.事後評価結果
4−1.外部発表(論文、口頭発表等)、特許、研究を通じての新たな知見の取得等の研究成果の状況
 研究代表者の提案は、レ−ザ光の持つ波長、輝度、時間幅等に変え、標的分子のダイナミックスを追求するという非常に基礎的な分野であり、限られた期間内において充分な成果が出るかどうか不安視されていたが、新しい方法論や実験装置の開発により、「強光子場における化学」として新しい領域を拓いたと評価される。
 この間、タンデム型質量分析装置、超短パルス電子線回折装置、XUV・VUVレ−ザ−発生装置等の開発に成功した(特許出願済)。これら装置を用いた実験から、光の強度が分子のク−ロン場の大きさに近づいたとき分子は特異な振る舞いをし、それによって反応をコントロ−ルする手法となりうることを見出した。
 これらの成果は、J. Chem. Phys.をはじめとする有力国際誌等への投稿(英文49件、和文16件)及び学会(国内学会65件、国際学会17件)にて発表され、大きな反響が得られている。また、特許出願も2件なされた。
4−2.得られた研究成果の科学技術への貢献
 ラインの安定した高強度の光を得るところから始まるこのような研究は、基礎研究の中でも実験装置の開発が死命を制する。その点研究代表者らのグル−プは、独自の工夫をもとに着実に装置を整備し、「強光子場の化学」として世界をリ−ドする成果を収めた。
 理論と実験とのコンビネ−ションも良く、国際的に評価も高い。また、開発された装置は分光学的にも応用が効くので、企業の共同研究の申し込みもある。
 これらの成果をもとに、山内教授は平成11年IBM科学賞、平成12年東レ科学技術賞を受賞した。
4−3.その他の特記事項
 このような極めて基礎的な研究が優れた成果に結びついたのは喜ばしい。特に若い研究者が研究を大いに発展させ、注目すべき国際級のグル−プに成長したのは特筆に値する。
 山内教授は平成10年より東京大学教授に昇進

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