研究課題別事後評価結果

1.研究課題名
X線解析による分子の励起構造の解明
2.研究代表者名及び主たる研究参加者名(研究機関名・職名は研究参加期間終了時点)
研究代表者 大橋 裕二 東京工業大学大学院理工学研究科 教授
主たる研究参加者 谷森 達 京都大学大学院理学研究科 教授
鳥海 幸四郎 姫路工業大学理学部 教授
田中 清明 名古屋工業大学工学部 教授
海津 洋行 東京工業大学大学院理工学研究科 教授
3.研究内容及び成果
 物質を構成する分子は、光や熱などの外部刺激によって高いエネルギ−状態に励起される。この励起された分子は非常に活性なため、反応して新たな分子を作り、様々な物理的性質を示すことになる。現代の物質科学は分子の励起状態の性質の研究と言って過言ではない。この励起状態の性質を解明する上でもっとも重要な要因になるのは、基底状態とは異なる励起状態の構造である。これまで数多くの実験手段を駆使して励起状態の構造が研究されてきたが、励起状態のエネルギ−を測定して、エネルギ−状態からその構造を推定したものであって、決して励起状態の構造そのものを直接観察したものではない。直接観察するにはX線を利用した回折法によらなければならないが、励起状態が一般には短寿命であり、また励起している分子の数が少ないため実験的にその構造解明は非常に困難であった。
 本研究では、2つの方向から励起構造の解明を目指した。第一の目標は、これまでのX線検出器とは全く異なるガス増幅型の新しい2次元検出器、MSGC(Micro Strip Gas Chamber)を開発して、測定感度と測定精度を画期的に向上させた迅速回折装置を開発することである。そして、この装置を放射光実験施設SPring-8の強力なX線源を使用して回折デ−タを収集することにより、わずかに生成する励起構造を精密に解析するというツ−ルの確立をねらう。第二の目標は、長寿命の励起状態を示す分子を探索して構造解析に持ち込む条件を探すことである。この2つの目標を達成できれば励起構造の本質が理解できることになり、物質研究の新たな展開が可能になると考えた。
 このような研究を具体的に進めるために、5つのグル−プを構成した。すなわち、1)迅速X線解析のために新たに2次元検出器MSGCを開発する、京都大学の谷森グル−プ、2)SPring-8で放射光を使って迅速解析を準備する、姫路工業大学の鳥海グル−プ、3)励起構造を解析するための方法論を開発する、名古屋工業大学の田中グル−プ、4)比較的安定な励起分子を探索する、東京工業大学の海津グル−プ、5)これらのグル−プを統括し、実際に励起構造の解明を目指す、東京工業大学の大橋グル−プである。これらの5つのグル−プが協力して、これまでに例のない励起構造を実際に解析するという目標に向かって研究をスタ−トさせた。
 このような構想で研究を始めたが、いくつかの予想外の事態も生じた。1)励起構造を探索するために開発したR-AXIS RAPID(新装置)が充分にその性能を発揮して精度の良いデ−タが取れ、この装置でも励起構造が比較的安定であれば解析可能になった。2)MSGCは予想通りの性能を発揮したが、放電破壊という難問に直面した。この解決のため新しい電極を用いる方法が必要になった(MPGC法−後述)。
(1)簡易型迅速X線回折装置の開発
 第一の測定装置の開発では、全く新しいMSGCの開発に平行して、不安定分子や励起分子の探索のために、これまで使われてきた4軸回折装置に代わる迅速回折装置として、新たに回折装置R-AXIS RAPIDを開発した(特許出願)(新聞発表)。この装置の開発により、従来の回折装置に比べて測定時間は2桁近く短縮され、不安定構造の解析や励起構造の解析に威力を発揮した。この装置は新世代の汎用回折装置として理学電機から市販され、国内ではすでに70台以上納入されている。
(2)二次元検出器MSGCの開発
 次に、谷森グル−プと共同で二次元検出器MSGCを開発し、実際に約2秒で構造解析することができた(特許出願)。このMSGCは放電破壊という弱点のために長時間使用が困難であったが、この点を改良したMPGC(Micro Pixel Gas Counter)も開発し、回折装置として画期的な進歩が見られた(特許出願)。放射光施設SPring-8では、極低温度真空カメラをBL02B2ビ−ムラインに設置し、汎用微小結晶回折装置をBL04B02ビ−ムラインに設置した。これらを使って放射光での実験を可能にし、すでに6×6×33 mmの微小な錯体結晶の解析に成功した(鳥海グル−プと共同)。さらにMSGCを使って実際に構造解析を試みた。未だX線の安定度やマシンタイムが限られているために、放射光では十分な結果は得られていないが、250ミリ秒での解析を可能にした。マシンタイムの増加とともに通常の分子でも、その励起構造の解析が可能になるであろう。
(3)不安定構造〜励起構造の解析
 R-AXIS RAPIDとCCDカメラを搭載した回折装置を使って、準安定構造や不安定構造から励起構造の解析を目指した研究を進展させた(田中グル−プによる精密構造解析手法も活用)。
1) 可逆的な色変化を示すサリチリデンアニリン結晶の準安定な着色体の分子構造(これまで長年に亘ってその構造が論議されてきた)を決定した。
2) ルテニウムニトロシル錯体は、光照射によって寿命の長い準安定状態が生成することが分光学デ−タから明らかにされていたが、ルテニウムに結合したニトロシル基が(Ru-NO)から(Ru-ON)へと結合の組み替えを起こしているためであることを見いだした。
3) 高分子ラジカル重合開始剤として使用されてきたヘキサアリ−ルビイミダゾ−ル(HABI)類は光照射により、非常に活性で不安定なHABIラジカルを生成する。この単結晶に低温下で光照射を行いながらX線回折デ−タを収集して、活性ラジカルの構造解析に成功した。
4) さらに反応性に富んだ不安定な三重項カルベンとニトレンを取り上げた。ジフェニルジアゾメタンの結晶に可視光を80 Kで照射しながらX線回折デ−タを収集して、三重項カルベンを初めて観測することに成功した。さらに、芳香族アジド化合物の結晶からは、光照射で脱離した窒素分子とニトレン分子の構造が見つけられた。低温下で光反応させながら結晶解析するという方法によって、不安定活性種の構造解析が可能になった。
5) これらの不安定構造の解析の手法を使って、比較的安定な励起状態として知られる白金錯体の励起構造の解析に挑戦した。この錯体は、2個の白金原子を4個のホスフィン酸で架橋した白金錯イオンであるが、可視光照射で励起して白金−白金結合距離が短くなると予想されていた。この結晶にキセノン光を照射しながら回折デ−タを集めて構造解析を行ったところ、得られた構造はPt-Pt間距離が照射前に比べて有意差をもって減少しており、光照射を止めると可逆的に戻ることが判明した(海津グル−プと共同)。このように励起構造を解析する道筋が見えてきた。
 MSGCを開発して、放射光で分子の励起構造の解明をするという当初の目標までは到達できなかったが、主要な部分は達成しているので、1、2年内にも目標が達成できると確信している(現在装置に関しては委託開発中)。今後、放射光を利用したデ−タ測定の方法論を確立し、さらに精密解析法を開発すれば、さらに広範な結晶で励起構造の解析が可能となるであろう。また、MSGCあるいはMPGCをX線だけでなく、中性子線やγ線などにも適用範囲を広げ、構造解析の検出器としてだけでなく、迅速画像処理装置として応用すれば、医療用や工業用に発展させることも可能である。それらの開発のための下地は充分用意できた。
4.事後評価結果
4−1.外部発表(論文、口頭発表等)、特許、研究を通じての新たな知見の取得等の研究成果の状況
 大橋教授らの提案は「分子の励起構造をX線解析する」という野心的試みであった。この目標に近づくため、研究の基盤となる迅速かつ精密なX線回折装置の開発に関し、まず第一段階としてR-AXIS RAPIDを開発した(特許出願国内1件、外国1件)。この装置はその使い勝手の良さも評価され、既に数多くの販売実績がある。次に、新規な2次元検出器MSGCの開発にも成功し(特許出願国内6件、外国2件)、モデルサンプルを2秒で構造解析できた。また、同じサンプルにつきSPring-8でのテストでは、250ミリ秒以下で解析できることも明らかにした。現在この装置開発を事業団委託開発で実施中である。
 これらの装置を使用して、今まで不明であったり、または推測の域を出なかった各種の不安定構造分子や一部の励起構造状態をクリア−に解析できることがわかった。これらは学会ではもちろんのこと、業界さらにはユ−ザ−からも絶賛されている。
 また、本研究成果は論文発表(英文60件、和文9件)、学会発表(国内学会79件、国際学会43件)を通じても報告された。
4−2.得られた研究成果の科学技術への貢献
 本プロジェクトは当初の目標を全て達成できたこととなり、高く評価される。グル−プ間の連係(特に大橋グル−プと谷森グル−プ)が良く、短期間のうちにMSGCを立ち上げた。このMSGCは今後中性子線回折や医療用機器としての応用にも展望が開けてきた。これらは今後の世界の学術研究の推進にも大きな効果があると期待される。これらの発明により、大橋教授(平成12年)、谷森教授(平成11年)に手島記念賞が贈られた。
 MSGCの開発成功は日本発の大きな成果として特筆される。CRESTが極めて有効に働いた一つの例と言えよう。できればさらに、この方面の研究を継続することにより、基礎研究の推進が実用に結びつくという先例としてほしい。
4−3.その他の特記事項
 谷森教授は、平成12年に京都大学大学院理学研究科教授に昇進。

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