研究課題別事後評価結果

1.研究課題名
昆虫の生体防御分子を利用した創薬の基礎研究
2.研究代表者名及び主たる研究参加者名(研究機関名・職名は研究参加期間終了時点)
研究代表者 名取 俊二 理化学研究所 特別招聘研究員
3.研究内容及び成果
 地球上に生息する動物種の70%が昆虫である。昆虫がこのように繁栄している秘密は、昆虫が持っている優れた自己防衛能の中にある。自己防衛能は様々な生体防御分子によって担われている。本研究は、昆虫センチニクバエの生体防御機構に関して、1)昆虫の自己と非自己の識別機構、2)新規生理活性物質5-S-GAD及び、3)抗菌性蛋白質ザーペシンB由来抗菌ペプチドに焦点を絞り、創薬を意識した基礎研究を遂行し、以下の成果を挙げた。
1) 昆虫の自己と非自己の識別機構では、幼虫と蛹の体液細胞の間で、表面に露出している蛋白質の相違を調べるために、蛹の体液細胞のみと反応するモノクローナル抗体を取得した。その抗原は、蛹体液細胞の表面だけに発現する分子量120kDaの蛋白質であった。クローニングしたcDNAから、このものは1回膜貫通型の蛋白質で、C-末端側47残基が細胞内にあり、細胞外に突き出ている部分には18個のEGF(Epidermal growth factor)様構造が存在することを明らかにした。この蛋白質は、崩壊した幼虫組織の断片や、不要となった幼虫細胞を掃除するために、蛹の時期だけに出現するスカベンジャーレセプターであることが示唆された。今までに、この様なスカベンジャーレセプターの報告はない。
2) 新規生理活性物質5-S-GADでは、5-S-GADがv-srcの自己リン酸化反応を阻害することから、ヒト癌細胞に対する増殖阻害効果を検討した。試験した38培養株の中、2株の乳癌細胞と1株のメラノーマ細胞の増殖を顕著に阻害することを見出した。5-S-GAD分子のβ-アラニル基が癌細胞選択性に寄与すること、細胞毒性発現には産生される活性酸素種が重要であるが、それだけでは抗癌活性は説明できないことから、5-S-GADのチロシンキナーゼ阻害活性と抗癌活性との関わりを調べている。また、5-S-GADは、マウス骨髄細胞から破骨細胞が分化する過程を著しく阻害することから、分化途上で発現する遺伝子の中で、5-S-GADにより影響を受けるものをDNAマイクロアレイ法を用いて検出、同定している。
3) 抗菌性蛋白質では、ザーペシンBの活性中心を改変して得られたペプチドが、好中球を活性化して活性酸素を放出させ、マウスでMRSA感染を抑制することを明らかにした。好中球上のこのペプチドのレセプターがカルレティクリンであり、G-蛋白質を経由するシグナル伝達により活性酸素の放出が起きることを明らかにした。小胞体の分子シャペロンであるカルレティクリンがシグナル伝達にも関わることを初めて見出し、分子シャペロンの研究に新たな視点を加えた。
4) 上記3つの研究の過程で、幾つかの新しいテーマが派生した。
「昆虫の細胞増殖因子に関する研究」では、センチニクバエ胚由来培養細胞の産生する細胞増殖因子を精製し、そのcDNAをクローニングした。これは昆虫から初めて単離された細胞増殖因子であり、アデノシンデアミナーゼ活性を持つことを明らかにした。
「抗菌活性を持つセリンプロテアーゼに関する研究」では、センチニクバエの蛹の時期特異的に抗菌活性を持つプロテアーゼが中腸に出現することが判り、この酵素を精製して機能を明らかにした。
「中枢神経系の再編成に関する研究」では、変態時期の中枢神経系の運命を調べ、幼虫脳のある一部の領域ではアポトーシスが、また別の部分では神経芽細胞が増殖して、神経ネットワークのリモデリングが起きること、この反応が変態ホルモンであるエクダイソンにより制御されていることが示された。
「昆虫のプロテアーゼに関する研究」では、幾つかの新規プロテアーゼを精製し、その構造を明らかにした。特に26/29-kDaプロテアーゼは昆虫特有の新しい酵素であった。
「センチニクバエの新しいレクチンに関する研究」では、新規レクチンを精製し、その構造を決定した。また、このレクチンが哺乳動物のリンパ球系の細胞を活性化し、サイトカインの分泌を促進することを見出した。
4.事後評価結果
4−1.外部発表(論文、口頭発表等)、特許、研究を通じての新たな知見の取得等の研究成果の状況
 上述の研究成果は、学会発表は国際学会6件、国内学会87件、論文発表は英文72件、和文5件で、主要な論文はProceedings of the National Academy of Sciences, USA 1報、Journal of Biological Chemistry 6報、Developmental Biology 1報、Genes to Cells 1報、Journal of Comparative Neurology 1報、FEBS Letters 5報、European Journal of Biochemistry 11報、Biochemical and Biophysical Research Communications 5報等、基礎を中心に着実な成果を挙げたと評価できる。特に、昆虫の幼虫の感染防御と蛹への変態の過程における自己・非自己の認識およびプログラム死に関連して、新しい分子・遺伝子を発見すると共に、医薬品への応用についても視野に入れた研究を展開したことは評価される。また、平成12年4月13日の日経産業新聞がセンチニクバエの抗菌蛋白質の小型分子合成に関して、平成13年4月6日の日刊工業新聞がセンチニクバエのレクチンがマウス線維芽細胞を接着することについて報道した。
 特許は、東京大学から5件出願されている。今後、具体的な医薬の創製に向けた活用が期待される。
4−2.得られた研究成果の科学技術への貢献
 この様な研究は国内外に殆ど類例が無く、基礎研究としては独創性が高く、方法論的にも優れていると言えるであろう。得られた研究成果に面白い萌芽が幾つかあるが、当初の研究構想である創薬の有力なシーズを提供するまでには至らなかった。昆虫の生体防御機構は自然免疫の観点から関心が高まっており、さらにその応用から創薬へのユニークな方法論として、今後の展開が期待される。
4−3.その他の特記事項
研究代表者は、平成11年3月31日に東京大学を定年退官し、平成11年4月1日から理化学研究所特別招聘研究員として異動した。前半の3年間は東京大学薬学部を本拠地に多くの大学院生が参加してこの研究は遂行され、後半の2年間は理化学研究所を本拠地に行われた。

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