研究課題別事後評価結果

1.研究課題名
細胞増殖の制御機構:シグナル伝達から細胞複製まで
2.研究代表者名及び主たる研究参加者名(研究機関名・職名は研究参加期間終了時点)
研究代表者 岸本 健雄 東京工業大学大学院生命理工学研究科 教授
主たる研究参加者 久永 真市 東京都立大学大学院理学研究科 教授
上代 淑人 山陽学園大学・短期大学 副学長・教授
伊東 広 東京大学大学院農学生命科学研究科 助教授
佐藤 孝哉 神戸大学医学部 助教授(平成12年4月〜平成13年3月)
3.研究内容及び成果
 シグナル伝達機構と細胞周期制御機構の研究は、従来互いに独立してなされてきたことに着目し、両分野の研究を統一して細胞増殖制御の分子機構について一貫した理解を得ることをめざした。この目的を達成するために、シグナル伝達機構の方からその下流の細胞周期制御をめざすアプローチと、逆に細胞周期制御機構の方からその上流のシグナル伝達をめざすアプローチとの両方向から研究を進めた。解析の手掛りは、シグナル伝達に関しては重点をGTP結合タンパク質(ヘテロ3量体GTP結合タンパク質と単量体低分子量GTP結合タンパク質)の機能に置く一方、細胞周期制御に関しては全真核細胞に共通した細胞周期進行の基幹因子であるサイクリン・CDK(cyclin-dependent kinase)複合体群に置いた。実験系としては、ヒトデ・カエル等の卵細胞と哺乳動物由来の培養体細胞とを併用し、シグナル伝達と細胞周期制御の接点を現実の生物現象との対応において追求した。
(1)シグナル伝達→細胞周期(上代・伊東グループ)
 細胞内シグナル伝達において分子スイッチとして働くGTP結合タンパク質は、αβγの3つのサブユニットよりなるヘテロ3量体GTP結合タンパク質(Gタンパク質)とRasやRho/Rac/Cdc42などの低分子量GTP結合タンパク質に大別される。Gタンパク質及び低分子量GTP結合タンパク質を介するシグナル伝達により調節される、細胞の増殖や分化、細胞骨格系や細胞の運動性についての分子、細胞レベルでの研究を行った。
 Gタンパク質に関しては、ヒト胎児腎由来293細胞での遺伝子発現系を用いて、Gタンパク質共役受容体を介するシグナルによって、ストレス応答性MAPキナーゼに属するJNKとp38が活性化されることを見い出した。さらに、Gタンパク質のどのサブユニットを介してそれぞれのMAPキナーゼが活性化されるか検討したところ、Gタンパク質のβγサブユニット(Gβγ)とGタンパク質Gqのαサブユニット(Gαq/11)がJNKとp38を活性化するのに対して、GαiとGα12はJNKのみを活性化することが明かとなった。また、Gタンパク質によるJNKとp38の活性化において、Rhoファミリー低分子量GTP結合タンパク質とその上流のチロシンキナーゼが関与することが明らかとなった。一方、Gβγを介するシグナルによるc-fosプロモーターの活性化にRhoとJNKが関係することを示した。また、トロンビン受容体を介する筋芽細胞の分化抑制にGβγとGα12を介するシグナル伝達系が働いていること、Gタンパク質Gqを共役する受容体(α1アドレナリン受容体)を介するシグナルによるJNKとp38の活性化が293細胞の増殖抑制に関与することを見い出した。さらに、NIH3T3細胞において、リゾフォスファチジン酸による細胞の伸展がGαiとGβγとその下流のRacとCdc42を介するシグナル伝達経路により調節されていることを明らかにした。
 一方、Rasファミリー及びRhoファミリー低分子量GTP結合タンパク質の生理機能と活性調節機構について研究を行った。Rasの標的タンパク質であるセリン・トレオニンキナーゼRaf-1について、その活性化因子の精製を行ない、Rasのニ量体化の重要性を明かにした。また、RasがT細胞活性化や血球系細胞の生存に重要であることを示し、その下流のシグナル伝達系を解析した。他のRasファミリータンパク質については、R-Rasが血球系細胞の生存、筋芽細胞の分化に関与することや、Ralが癌細胞の足場依存性増殖を制御していることを示した。さらに、ファルネシル化阻害剤のRasによる細胞癌化の抑制効果を検討した。Rhoファミリーに関しては、Racが血球系細胞の細胞死を阻止することを見いだし、その下流のシグナル伝達系をRasの場合と比較して解析した。また、Rasのグアニンヌクレオチド交換因子(GEF)として同定されていたRas-GRF1が、Gタンパク質共役受容体刺激、チロシンキナーゼSrcによるリン酸化依存的にRacに対するGEF活性を示すことを明らかにした。さらに、Ras-GRF1がCdc42の標的タンパク質であるチロシンキナーゼACK1によってもリン酸化され、Ras GEF活性が亢進することを見いだした。一方、Rhoファミリーに対するGEFであるDb1が、ACK1によってリン酸化、活性化されることを明らかにした。
(2)細胞周期→シグナル伝達(岸本・久永グループ)
 ホルモンによる卵減数分裂→受精による初期卵割→胞胚期における、体細胞型細胞周期の確立→細胞分化と細胞増殖の停止をいう発生・分化過程においては、それぞれに対応したシグナルがあり、それらに基づいて細胞周期の進行、停止、抑制あるいは様式の転換がおこっている。これらのシグナルがどのようにして細胞周期抑制に帰着するのかを、サイクリン・CDK等の細胞周期制御因子群の方からその上流をめざす方向で解析を進めた。
 その結果、減数第一分裂の再開始すなわちG2/M期移行に関しては、卵成熟誘起ホルモンによる細胞外刺激に共役したGタンパク質から、PI3キナーゼ−Akt/PKB経路を介して、M期開始因子であるサイクリンB・Cdc2キナーゼの活性化に至るシグナル伝達の全経路を同定することができた。これは細胞外シグナルからM期開始をもたらす細胞周期制御系までに至る全情報伝達経路を、単に卵細胞系にとどまらず、あらゆる生物システムを通じてはじめて同定したものである。従来、Akt/PKBは細胞死を回避するための情報伝達因子であるとみなされていたが、本研究は、その下流に新規な経路が存在し、細胞周期制御系に直結していることをはじめて示したものである。他方、卵細胞におけるMAPキナーゼ系の解析から、その上流のMAPKKKとして、無脊椎動物で初めてMosを同定した。それに基づき、Mos−MAPキナーゼ経路を介したシグナル伝達が減数第二分裂の成立とともに、その後の細胞周期停止(減数第二分裂中期、あるいは減数分裂完了後のG1期での停止;従って単為発生の抑制)に必須であることを明らかにした。従来、Mosは脊椎動物卵にのみ存在して、減数第二分裂中期での細胞周期停止にかかわると考えられていた。それに対し本研究の成果は、単にそれに限ることなく、すべての後生動物を通じて、減数分裂周期から体細胞分裂周期への転換を負に制御するためのシグナル伝達系がMos−MAPキナーゼ経路である、という新しい概念を提唱するものである。
 これらの成果は、シグナル伝達系と細胞周期制御系との直接的連携を初めて明らかにしたものである。しかもそれらは、解析の対象とされた生物種に限ることなく、動物の未成熟卵における卵成熟の開始(減数第一分裂の再開始)の機構、減数分裂の本質であるゲノム半減の機構、受精のタイミングの位置づけ、及び受精によるS期あるいは発生の開始の機構という、いずれも生物学上の積年の課題について、分子レベルでの普遍的な回答をもたらす大きな手掛かりとなるものである。特に、卵細胞型細胞周期制御の特異性に関わるシグナル伝達の分子機構については、ほぼ全容の概要を明らかにすることができたといえる。
 M期開始の最初期段階については、サイクリンB・Cdc2キナーゼの不活性化因子と活性化因子のバランスの逆転が鍵であり、それをもたらすシグナル、あるいはtrigger kinaseの実体解明が近年の最大懸案であった。従来、その有力候補としてPlk(polo-like kinase)が考えられていたが、本研究の結果、減数第一分裂のG2/M期移行に限ってはPlkはtrigger kinaseとはならず、Akt/PKBがその機能を担うことが明らかになった。さらに、チェックポイント・キナーゼChk1とCds1/Chk2の解析から、これらのキナーゼはいわゆるDNA損傷・未複製チェックポイントが活性化されていない通常のG2/M期移行に際しても、M期開始を負に制御している可能性が判明した。これらの知見は、M期開始制御の情報ネットワークについて、新たな視点からの解析を求めるものである。
 さらに、終末分化し増殖を停止した神経細胞におけるCDKの役割を明らかにするため、脳Cdc2関連キナーゼCdk5の活性制御機構を検討した。Cdk5のキナーゼ活性は活性化サブユニットp35の量によって規定されていた。P35の合成は脳由来神経栄養因子(BDNF)により促進された。一方p35の分解は早く、p35の量の主要な決定因子であった。P35の分解はプロテアソームによって行われており、その分解シグナルはp35のCdk5による自己リン酸化であった。神経細胞では、グルタミン酸刺激により自己リン酸化が促進し、p35の分解及びCdk5の不活性化が誘導されていた。一方、神経細胞死の際には、p35はカルパインによってp25へと限定分解される。この限定分解の正常細胞内での防御機構としても、自己リン酸化が機能していた。この分解に制御的に働いている自己リン酸化は、加齢とともに減少しており、老化に伴う神経細胞死の促進との関連が示唆された。
4.事後評価結果
4−1.外部発表(論文、口頭発表等)、特許、研究を通じての新たな知見の取得等の研究成果の状況
 前述の研究成果は、英文論文91件として発表された。うち1999年 Impact Factor Ranking のOriginal Journal 35位、Review Journal 30位までの雑誌に掲載された論文は以下の通り。
Science 1報
Gene Dev. 1報
Trends Biochem. Sci. 1報
EMBO J. 3報
J. Cell Biol. 1報
Proc. Natl. Acad. Sci. USA 3報
Mol. Cell. Biol. 1報
 また、学会発表も国内学会190件、国際学会45件と精力的に行われた。
 優れて独創的な発表を含め、これだけの人数としては極めてproductiveであった。特に、無脊椎動物のMosをヒトデで初めて同定し、減数分裂周期から体細胞分裂周期への転換を負に制御するためのシグナル伝達系は、全後生動物を通じてMos−MAPキナーゼ経路であるというコンセプトを確立したこと、細胞外ホルモン刺激からM期開始因子に至るシグナル伝達の全経路を、あらゆる生物システムを通じて初めて同定したこと等は、本研究の成果として高く評価された。
 本研究は主として両生類の卵減数分裂を材料として行なわれたが、その結果は哺乳動物の細胞周期にも共通する部分が大半であり、この分野でのインパクトは高い。
4−2.得られた研究成果の科学技術への貢献
 細胞周期に関与するシグナル伝達を、この両者を踏まえて統一的に追求した所に新しさがあり、良い結果を得た理由があろう。特に、Gタンパク質共役受容体に発するシグナルがJNKとp38を活性化することによって伝わる事、及びGタンパク質の各サブユニットにより下流を選ぶ特性があることを見出した事は大きい。一方、減数分裂の研究から、G2/M 期移行に関するシグナルがGタンパク質からPI3キナーゼーAkt/PKB 経路を介して、サイクリン B/Cdk2 の活性化させる全経路を明らかにした功績は高く評価される。この他にも、神経細胞の増殖と分化及びアポトーシスを支配するシグナル伝達系にも新しい知見を得ている。

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