研究課題別事後評価結果

1.研究課題名
スピン計測−スピンSPMの開発とスピン制御−
2.研究代表者名及び主たる研究参加者名(研究機関名・職名は研究参加期間終了時点)
研究代表者 武笠 幸一 北海道大学大学院工学研究科 教授
3.研究内容及び成果
 電子についての従来の視点である質量・電荷から脱却して「スピンの視点」で考える新分野、すなわちスピンの関与する量子現象を積極的に用いた新世界を切り拓くことを目的とする。物質表面のスピン状態を原子分解能で測定可能な走査プローブ顕微鏡(スピンSPM)−スピン偏極走査型トンネル顕微鏡(SP-STM)及び交換相互作用力顕微鏡(EFM)の開発を行う。これは、ナノ構造の磁性の研究ならびに磁気記録等応用面においても強力な計測手段を提供することになる。本研究では、スピン状態の計測・理解からスピン制御を行い、表面物質層の創製を行おうとするものである。
 成果の概要として、物質表面のスピン状態を観測する2種類の走査プローブ顕微鏡を開発した。すなわち、試料表面の状態に影響を与えないGaAs劈開(薄膜)探針を用いたスピン偏極走査型トンネル顕微鏡(SP-STM)で、Fe(100)エピタキシャル薄膜のスピン偏極の観測し、非接触原子間力顕微鏡(NC-AFM)を用いて、反強磁性NiO単結晶劈開面について原子分解能で交換相互作用の観測(EFM)に成功した。また、ナノ構造物質における新奇なスピン現象を予測出来た。
(1)スピン偏極走査型トンネル顕微鏡(SP-STM)の開発
 1)表面電子状態の良く定義された磁性体薄膜試料の作製、2)半導体スピンプローブの作製方法、3)スピン画像取得のための画像化方法などの鍵となる技術の開発を進めて、スピン偏極の観測に成功した。すなわち、試料表面の状態に影響を与えないGaAs劈開(薄膜)探針を用いたSP-STMで、探針への右円偏光照射時と左円偏光照射時の電流変化を画像化することによって、Fe(100)エピタキシャル薄膜のスピン偏極の観測に成功した。
(2)交換相互作用力顕微鏡(Exchange Force Microscope:EFM)の開発
 先ず、第一原理計算を行い、探針・試料間に働く相互作用力の理論的検討を行い、可能性の検証を行った。実験的には、NiO(100)面について超高真空下における清浄かつ平坦な劈開表面の作製技術の開発を行い、Si探針による非接触原子間力顕微鏡(Non-contact Atomic Force Mircoscope:NC-AFM)観察を試み、先ず原子像観察に成功した。次に、Feの強磁性体探針を用いてNC-AFM観察を行った。データ解析方法−重ね焼き法−を考案し、スピン偏極度を表す原子高さの非対称性の大きさは結晶方位に依存していることが分かり、この異方性は反強磁性体のスピン配列と一致した。また、Si探針の場合には形状非対称性が観察されていないことから、この非対称性はFe探針に起因するものであり、強磁性体探針を用いたNC-AFMにより交換相互作用力の検出に成功したと考えられる。
(3)ナノ構造におけるスピン
1) ナノ構造の磁性発現機構−V-X族化合物ナノ構造における自発的スピン偏極の理論的研究:プローブ顕微鏡の探針に適したGaN探針尖端のナノ構造の磁性を現象論的、第一原理的に調べ、探針尖端のナノ構造内ではスピンが自発的に偏極していることが予測された。
2) 走査型プローブ顕微鏡探針による原子制御の理論−プローブによるスピン状態制御:走査型トンネル顕微鏡探針を用いた原子制御については実験的に広く行われているが、その理論については未知な部分が多い。特にSi表面上の吸着H原子の脱離については、脱離エネルギーの大きさから脱離は当初困難と考えられたが、本研究ではSTM環境におけるH原子のポテンシャル・エネルギー面(PES)を用いて説明がなされた。
3) ナノワイヤの構造とスピン電子状態−異常原子間距離の生成と崩壊:第一原理的計算によるスピン電子状態から、この現象の原理を示した。
4) 磁気抵抗効果による交換相互作用の検出:微細な磁気抵抗(MR)素子を搭載したマイクロカンチレバーを作製し、これを用いて高密度なプローブ−試料間距離制御が可能な走査型磁気抵抗効果顕微鏡(SMRM)を開発した。
5) ミクロな表面磁性:Cuの表面粗さを蒸着速度と基板温度で制御し、この上に成膜したfcc Fe薄膜の磁気モーメントと表面粗さ(基板モルフォロジー)に相関のあることを確かめた。
6) 強磁性/絶縁物/金属平面型接合におけるトンネリング:スピン偏極電子の強磁性金属から半導体への注入を、強磁性/AlGaAs/p-GaAs接合におけるルミネッセンスの円偏向から確かめた。
4.事後評価結果
4−1.外部発表(論文、口頭発表等)、特許、研究を通じての新たな知見の取得等の研究成果の状況
 本研究チームの最大の目標は、原子・分子レベルの空間分解能でスピン状態を計測する方法として、走査電子顕微鏡(STM)を用いたスピンSTM(SP-STM)、原子間力顕微鏡を用いて交換相互作用力顕微鏡(EFM)を開発することである。
 SP-STMについては、表面の清浄なGaAs劈開探針、MgO単結晶上への原子レベルで平坦なFe(001)エピタキシャル薄膜作成技術を確立することによって、Fe薄膜表面のスピン偏極に依存したスピン像の観察に成功した。EFMについては、Si探針にFeをコートした強磁性探針を用いて、NiO単結晶(001)劈開面の反強磁性スピンと強磁性探針との間の交換相互作用力を原子分解能で計測し、その2次元画像化に成功した。SP-STMもEFMもその信号は前者がトンネル電流であり、後者は力である。直接観察される信号は、スピン偏極によらない信号をも含むことになる。この中から被測定試料の本来のスピン偏極に基づく信号のみを分離する必要がある。探針の選択、試料表面平坦化などの測定条件を十分に吟味し、その上で測定された信号から本来のスピン偏極による信号を選り分けなければならず、実験的な実証は大変困難ではあった。これらを克服して、十分に説得力のあるスピン偏極像を得ることが出来たことは、大いに評価出来る成果である。
 ただ、現在は磁気構造の分かっている特定の試料の特定表面での観測に成功したものである。また、スピンSTMについては空間分解能は十分ではなく、原子・分子レベルには到っていない。より一般的な試料表面に対して、スピン偏極像の原子・分子レベルの分解能観察を可能にする汎用的技術への発展を期待する。
 論文発表は英文25件、和文8件と多くないが、SP-STM及びEFMの実験的な成功が研究期間の後半になされたことによるであろう、今後は本成果により、インパクトのある論文が多数出版されることを期待したい。学会発表は国内学会175件、国際学会15件行われた。特許に関しては、21件と多数の特許が出願されており、研究代表者の特許意識は高く、それがメンバーにも十分に浸透していた。
4−2.得られた研究成果の科学技術への貢献
 トンネル電流によるSP-STMの成功は、原子・分子レベルのスピンをみることに道を拓くことになり得るもので、技術としてさらに発展すれば、科学的インパクトは大きい。交換相互作用力顕微鏡は、本研究チームによって世界ではじめて原子レベルのスピン信号を確認したもので、科学的インパクトはより大きいと言える。また、導電体だけでなく、絶縁体にも適用できるので有機・生体分子への応用の可能性があり、将来的に大きなナノテク科学技術への波及効果が期待できる。
 より汎用性のある技術として発展すれば、スピン検出計測へのインパクトは高い。超高密度磁気記録装置のヘッド素子など、スピンデバイスへの適用の展開も将来的には期待でき、本成果はその緒として科学技術的貢献に寄与し得るものである。
 受賞は日本表面科学会技術賞を平成10年「FIBによるGaAs-STM探針の作製」で受賞した。

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