研究課題別事後評価結果

1.研究課題名
量子場操作
2.研究代表者名及び主たる研究参加者名(研究機関名・職名は研究参加期間終了時点)
研究代表者 清水 明 東京大学大学院総合文化研究科 助教授
主たる研究参加者 久我 隆弘 東京大学大学院総合文化研究科 助教授
清水 富士夫 電気通信大学電気通信学部 教授
山西 正道 広島大学大学院先端物質研究科 教授
平野 琢也 学習院大学理学部 助教授
五神 真 東京大学大学院工学系研究科 教授
上田 正仁 東京工業大学理工学研究科 教授
3.研究内容及び成果
 極微細構造を持つ系において、電子と光子の両方がその量子性を顕著に示すような現象を探索し、かつ、そのような現象が起こる極微細構造を明確な意図を持って設計し、人工的に創製することを目標にした。具体的な研究テーマは、次の4つに大別される:A.量子場レーザー・原子波レーザー、B.少数光子光非線形、C.微細発光ダイオードにおける光子場制御、D.基礎理論の確立・新しい可能性の理論的検討。これを、いくつかのグループごとに担当した。
(1)清水グループ
1) 有限体積の開いた量子系の安定性と古典化に関する理論:まず、相互作用するボゾン系の基底状態として従来考えられてきた状態は、ほとんどが環境に対して脆弱(fragile)であり、環境に対して頑丈(robust)な唯一の純粋状態は、本グループが発見してCSIBと名付けたものだけであることを示した。次に、このrobustであるか、fragileであるかということが、環境と切り離された閉じた系の波動関数の静的な性質である、マクロ変数の量子揺らぎの大小と対応していることを示した。さらに、この対応が一般の物理系でも成立することを示した。この結果は、原理的な重要性はもとより、応用上も、量子計算機に使われる量子状態の安定性の評価などへも適用の可能性がある。
2) 電子・正孔凝縮系に、電子ドープにより電子・正孔相関と電子・電子(超伝導)相関が共存し、前者が後者を大幅に増強する、という新しい相を発見した。
3) メゾスコピック系の輸送現象を考察し、開いた系の非平衡統計物理学の問題点を明らかにし、それを克服する定式化を提出した。
4) 量子系の測定には、交換関係からくる限界以外にも、物理的相互作用が4つしかないことからくる原理的限界があり、制御限界などをもたらすことを指摘した。
5) 物質中の光の量子効果について、動的カシミール効果、吸収性媒質中の原子の自然放出寿命、LEDの光子統計を解析し、従来の理論の誤りを指摘した。
6) 電子溜と結合した電子系の超放射現象に、特徴的な振動が現れることを指摘した。
7) 励起子の有効相互作用を導き出すのに、繰り込み効果が本質的であることを示した。
8) 強相関系の非線形光学応答を、ポンプ光の寄与を繰り込んで扱う方法を提案した。
(2)久我グループ
 発足当初の研究目的は、「原子気体のボーズ凝縮(BEC)」と「光−原子相互作用における共振器効果(cavity QED)」の2本立てであった。
 BECに関しては、Rb原子を用いて日本で初めてのBECを実現できた。その後は、原子波をコヒーレントに増幅することに世界で初めて成功した。cavity QEDに関しては、フィネスが105程度の高Q値微小光共振器内に1個の原子が入ったことを示す信号を、数個の光子で観測することに成功した。また、共振器内にある数個の原子による光パルス(共振器内平均光子数は数個程度)伝播の遅延や先進効果の観測に成功した。将来的には1個の原子で光パルス伝播の制御が可能であることも示し、これは量子ゲート(量子計算機)の基本的な技術となりえる。
(3)清水富士夫グループ
1) 原子ホログラフィーの高度化:原子ホログラフィーは当グループが開発した原子操作の最も汎用的な技術である。今回、より分解能が高く、かつグレートーンの原子像を作ることに成功した。
2) 実時間電場制御原子ホログラム:窒化シリコン薄膜ホログラム上に平行電極を蒸着し、膜の穴を通過する原子に電場をかけて位相を変調し、原理的に実時間でスクリーン上の原子パターンを制御する方法を開発した。
3) 電場による制御は、精度を上げることが容易で汎用性のある粒子制御法であるが、空中に電場極大の点を作れないため、凸レンズを作れないと一般に信じられ、中性粒子光学に応用されることはまれであった。当グループは、光軸に垂直な2軸で曲率が等しく符号が反対の静電場レンズを3個組み合わせることで、回転対称な凸レンズを作れることを初めて実証した。
4) 十数年前から、固体表面の量子反射の存在が議論されている。これは、ファンデルワールスポテンシャルの固体表面での急峻な変化によって、原子波が表面から波長の数分の一離れた距離で反射される現象である。非常に低速の原子が必要であるため今まで実証されたことはなかったが、レーザー冷却した準安定状態ネオンを使って初めて固体表面からの量子反射を観測し、かつ定量的な議論を行った。これは、汎用性の高い高精度原子光学部品開発への道を開くものである。
(4)山西・角屋グループ:「微細発光ダイオードにおける光子場制御」
 精密に設計した発光ダイオードにおける光子場制御の研究、特に光子数の少ない領域(微弱・広帯域)でのサブポアソン光発生及び電子系・光子強結合系に関する研究を行った。
1)広帯域、微弱サブポアソン光発生
@ ショットノイズ抑制(サブポアソン化)の遮断周波数を理論及び実験的に詳細に調べ、pn接合の微視的・動的なキャリア移動を考慮した一般的な形で定式化した。
A 高ドープ分離へテロ接合(SCH)を活性層にもつ発光ダイオードを提案した。面積を低減した素子に適用し、検出光電流40 μAで遮断周波数1 GHzの微弱・広帯域サブポアソン光発生を実現した(従来の報告よりも2桁以上の少数光子化)。
2)定電圧源駆動におけるサブポアソン光発生
@ 発光ダイオードを多重連結することによる定電圧源駆動下でのサブポアソン光発生を実験・理論的に調べるとともに、多重トンネル接合素子による電流雑音抑制を実証した。
A 従来の物理機構とは全く異なるバックワードポンプ過程を考慮することで,従来不可能と思われていた単一ダイオード・定電圧源駆動下でのサブポアソン光発生を初めて提案かつ実証した。
B 双子の光子対を制御されたタイミングで発生させ得るターンスタイル発光素子を提案した。
3)励起子・光子強結合系からのTHz帯電磁波放射
@ 共鳴励起した励起子・光子強結合系における励起子数の脈動から、THz帯電磁波が放射されることを実証した。
A 励起子・光子強結合系を用いた量子ビット、制御NOT動作、位相シフタの実現方式を提案した。
(5)平野グループ
1) 低速原子線を発生する方法を考案し(特許出願)、ボース凝縮の生成に必要な時間を大幅に短縮することができた。また、全スピンが2の状態にあるRb原子のボース凝縮体を光だけでトラップすることに初めて成功した。
2) 微弱な光の検出に平衡型ホモダイン法を用いる量子暗号を考案し、特許の出願、実証実験、盗聴に対する安全性に関する理論的な評価を行った。実証実験では、長さが1 kmのファイバーを使って、高い検出効率を実現できること、盗聴に対して安全であることを示すことができた。
3) 外部共振器を用いることにより、面発光レーザーの雑音を低減できることを明らかにした。
(6)五神グループ
 光を量子レベルで操作する方法を明らかにするために、次の三つの研究を進めた。
1) 微小球共振器を用いた光波操作法
 まず、高い非線形性を示す事で知られるCuCl結晶を溶融し、微小球共振器を形成する方法を見いだし、球形共振器におけるポラリトンモードでのレーザー発振を実証した。
 次に、球径を厳密に選別した直径5ミクロン以下の微小球を連結させ、WGモードの共鳴的な結合を試みた。2つの球が連結してできる光の分子状態、1次元配列球によるフォトニックバンド形成を実証した。
2) 半導体の励起子系の非線形光学応答の増強原理の解明
 半導体励起子系の共鳴非線形光学応答について、実験と理論解析を系統的に行い、非線形光学応答を支配する要因を明らかにした。励起子を相互作用するボゾン系として扱うと、ボゾン間の2体の相互作用により、3次の非線形光学応答が記述できることを示した。これに基づき、励起子間の非調和エネルギーを定量的に評価するスキームを与えた。
3) ボース縮退した励起子分子波の生成法とそれを用いた光子場操作法の検討
 半導体の励起子や励起子分子は、低密度の場合にはボゾンとして振る舞うが、有限の寿命をもつために、冷却して縮退ボースガスを用意することは通常困難である。ここでは、フェムト秒パルスによる二光子共鳴励起法により、フェムト秒パルスの光子群の位相空間密度を3桁圧縮し、量子縮重度の高い励起子分子波を直接生成できることを実証した。この縮退励起子分子系は、ボース粒子集団を用いた量子もつれ状態の利用という観点から注目される系である。また、このコヒーレント励起子分子波は高効率の光パラメトリック増幅効果を示すことを見いだし、光の量子場操作にも活用できることを示した。
(7)上田グループ
 レーザー冷却された中性原子気体のボース・アインシュタイン凝縮(BEC)の研究に主力を注いだ。引力相互作用をするBECに関して、どんなユニークな物理が現れるかを明らかにすることを目指して研究を進めてきた。
 引力相互作用をするボース粒子系は、一様な系ではBECを起こさない事が知られているが、最近レーザー冷却技術を用いてこれを空間的に閉じ込めることにより、気体相でBECを発生させる実験が成功した。これは、見かけ上引力相互作用をするボース粒子も安定なBECを形成するかに思えるが、引力相互作用をするボース粒子系の真の基底状態は固体相にあるので、気体相のBECは準安定状態でしかなく、ついには崩壊する運命にある。臨界点近傍で原子集団が巨視的量子トンネリング(MQT)を起こして崩壊することを理論的に予言した。
 また、斥力系で確立されている循環の量子化が、引力系では部分的にしか起こらないことを理論的に明らかにした。循環の量子化は超流動現象の極印として知られており、それが引力系においては部分的に破れていることを明らかにしたことは、超流動現象の本質の理解に新たな洞察を加えたと考えられる。
 さらに、斥力系で用意された大きなBECを、フェッバッハ効果により相互作用を突然引力に変えると、様々な非線形パターンが現れることを見出した。これらの研究の実験的検証は、現在ライス大学とJILAによってなされている。
4.事後評価結果
4−1.外部発表(論文、口頭発表等)、特許、研究を通じての新たな知見の取得等の研究成果の状況
 量子理論としての成果は、量子系の安定性の限界に独自の理論を展開した。特に、量子コンピューターなど量子現象そのものを利用したデバイスを実現するためには、量子系の安定性の限界は常に付きまとう課題であり、本理論が量子デバイス実現に必要な"量子場操作"の指針となることが期待される。また、中性原子気体のボース・アインシュタイン凝縮(BEC)の崩壊の理論的予言など、成果を挙げた。
 実験成果としては、原子気体のBECの国内での最初の実現に成功し、このBECを用いた発展として、原子波レーザーにつながる原子波のコヒーレント増幅に成功したことが大きい成果である。独自の工夫でBEC生成時間の大幅短縮に成功したことも注目に値する。原子ホログラフィーでは、濃淡のあるGray Tone ホログラフィーの作成、原子波の位相制御による位相ホログラフの作成、原子波の固体表面でのファンデルワールスポテンシャルの急峻な変化による量子反射の観測など、世界をリードする独創的成果をあげたことは大いに評価出来る。微細発光ダイオードを用いたサブポアソン光の発生に関しては、駆動電流値を2桁低減して帯域が1 GHzにわたるサブポアソン光を発生させた。以上は、所期の目標に沿った成果であるが、所期の目標にはなかった成果として、微弱光の検出に平衡型ホモダイン法を用いた独自の量子暗号が考案され、実験的にも高い検出効率を実現したことは注目に値する成果と言える。
 大体において、当初の研究構想に沿った研究が個々の研究グループで着実に進められたが、理論成果と個々の実験結果との直接的関連性は希薄であった。また、気体原子のBECの実現は国内初であったが、世界的には3年ほど遅れた。これは磁場を使わない独自の方法の開発に挑戦したことによるものであり、その積極性は評価したい。この経験を通して、BEC実現後の原子波のコヒーレント増幅、独自の工夫によるBEC生成時間の大幅な短縮などで世界のトップレベルに追いついたと言える。原子ホログラフィーの進展は、他の追随を許さない独創的かつ先進的な成果である。新たに発明された量子暗号手法は、従来に比べて簡便な方法で、量子デバイスとして将来の実用性が期待できる成果と言える。
 以上の研究成果は、論文として英文85件、和文7件発表された。特にPhysical Review、Physical Review Letterなど一流誌への投稿が多い。また、学会発表も国内学会99件、国際学会71件行われた。特許は量子暗号の新方法など3件出願されている。
4−2.得られた研究成果の科学技術への貢献
 原子ホログラフィーの位相制御ホログラフィーの実現、量子反射の確認などは、原子波操作として科学的インパクトは大きく、その先端性は国内外で高く認められている。BEC、原子波レーザの可能性を示す原子波のコヒーレント増幅の成功は、量子現象研究の舞台として極めて重要で、世界的にもホットな話題であり、本成果の科学的な意義は高い。原子波関係の技術応用面に付いては現状では明らかでないが、低速原子線は将来的には微細加工、固体表面極微細構造評価、高精度重力計などいろいろな応用も考えられている。これらの今後の技術的な展開を期待すると、低速原子線発生の効率化法(特許出願)は、この研究の進展に有効な技術貢献と言える。
 新しい量子暗号法の成功は、将来の暗号技術として注目されている量子暗号技術の今後の発展に一石を投じるものとして期待される。
 受賞として以下のものを受けた。特に仁科賞は大きい成果である。
清水 富士夫 仁科賞 平成10年12月 原子ホログラフィー
清水 富士夫 Fellow of the American Physical Society 平成11年12月
山西 正道  IEEEフェロー賞 平成9年
山西 正道  応用物理学会第2回光量子エレクトロニクス業績賞 平成13年
4−3.その他の特記事項
 メンバー同士が多士済々で、研究チームの研究会などで活発な意見交換がなされた。これにより、大きな世帯であったが一定のバランスは保たれていた。若手メンバーもそれぞれに助教授など、次の研究の場を得て成長して行った。

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