研究課題別事後評価結果

1.研究課題名
STM発光分光法と近接場光学分光法による表面極微細構造の電子物性の解明
2.研究代表者名及び主たる研究参加者名(研究機関名・職名は研究参加期間終了時点)
研究代表者 潮田 資勝 東北大学電気通信研究所 教授
主たる研究参加者 宮野 健次郎 東京大学大学院工学系研究科 教授
3.研究内容及び成果
 原子・分子レベルの分解可能かつ高時間分解走査型トンネル顕微鏡(STM)発光分光技術を開発し、量子細線、量子ドット、表面吸着分子などの個々の構造の電子物性・光物性を調べる。究極的には、STM発光スペクトルから個々の分子を同定することを可能にし、例えばDNAやタンパク質などの構造決定にも応用することを目指す東北大の潮田グループと、環境から完全に孤立した微小球、基板上の孤立球、配列微小球の作製法を開発し、これら微粒子について、化学・分子修飾、サイズ変化、変調外場の印加などを行い、光と電子が強く結合したコヒーレンスを解明することを目標とする東大の宮野グループからなる。
 上の基本構想に沿って、潮田グループと宮野グループで平行して研究を進めてきた。潮田グループでは、STM発光分光と短パルスレーザーを組み合わせて、ピコ秒の時間分解能を有するSTM発光分光システムを構築した。STM発光分光法を応用して、半導体量子構造(超格子、ナノ微粒子等)、表面吸着原子・分子などの電子物性・光物性を解明した。表面吸着分子内の電子遷移によるSTM発光スペクトル、表面吸着原子・分子により誘導された電子状態からのSTM発光スペクトルを観測し、実際にSTM発光スペクトルから個々の分子・原子が同定できることを実証した。宮野グループでは、動的電気四重極トラップに捕捉された微小液滴の固有モードと液滴内色素発光の相互作用や、透明誘電体基板上の孤立球の固有モードと近接場との相互作用を明らかにした。また、走査電子顕微鏡(SEM)で観察しながら、微小球を基板上に任意の構造に配列する方法を確立し、様々な結晶構造(フォトニック結晶)における固有モードを調べ、理論計算とのよい一致をみた。具体的な研究成果を研究グループ別に以下にまとめる。
(1)潮田グループ
1)原子分解能STM発光分光
 表面吸着種の同定や原子レベルの局所電子状態の計測がSTM発光分光で行えることを示した。
@ 清浄表面の原子分解能STM発光分光:Au(110)-(2×1)表面とSi(111)-(7×7)表面の原子位置分解能STM発光分光を行った。ともに、原子サイズの探針位置の違いにより、異なるスペクトルが観測された。これは、局所表面電子状態の違いや試料内に入射したホットエレクトロンの緩和過程の違いによりもたらされていることを明らかにした。
A 個々の表面吸着種のSTM発光分光:Au(111)表面に弱く化学吸着したC60分子とCu(110)表面に(2×1)構造で化学吸着した酸素原子の原子分解能STM発光分光に成功した。共に、吸着種に特有なSTM発光スペクトルが観測された。さらにスペクトルの発現機構を解明した。
2)単一極微細構造のSTM発光
@ 半導体超格子構造:STM像で個々の量子構造を識別した上で、試料表面を損傷することなく個々の単一構造の発光分光を行った。さらに、量子構造と探針間の試料面内距離と発光強度の関係から、試料に入射したホットエレクトロンの動的振る舞いの解析が可能であることを示した。また、GaAs/InGaAs歪超格子の表面形状像とSNOM発光像を同時計測した。その結果、この構造の臨界膜厚は力学的平衡理論によって説明できることがわかった。
A 半導体孤立ナノ微細構造:個々のGeナノ微粒子のバンドギャップ・エネルギーをサイズの関数としてSTSで計測した。その結果、明確なサイズ依存性を示すバンドギャップ・エネルギーが赤外領域にあることがわかった。
B 希薄磁性半導体:MnドープGaAs劈開面のSTM像からアクセプター密度を定量的に評価し、Mn原子が母体のGaAs結晶にどのように取り込まれているかを明らかにした。
C 酸化膜上の金属ナノ微粒子:アルミニウム酸化膜上に作製した個々のナノ金属微粒子のSTSとSTM発光分光の同時計測を行った。STM発光スペクトルの解析から、チャージング・エネルギーを直接決定した。
3)時間分解STM発光分光
 ピコ秒レーザーを試料-探針ギャップに入射すると、ピコ秒の電子トンネルが誘起されることを発見した。このパルス化されたトンネル電流で励起された発光をストリークカメラで時間分解計測することにより、時間分解STM発光計測を行うことに成功した。
4)超伝導体のSTM発光分光
 探針、試料ともに超伝導状態で、クーパーペアートンネル励起による可視発光を初めて観測した。
5)高機能探針の開発
 高いSTM発光効率を有する探針(銀探針)と超伝導探針(ニオブ探針)の製作技術を開発し、特許を出願した。ともにSTM像計測における原子分解能が得られている。
6)高効率集光系の開発
 複数本の光ファイバーを用いたSTM発光集光系の設計・試作・評価を行った。複数本のファイバーを用いることで、集光立体角をほぼ加算的に増加させうることを実証した。
(2)宮野グループ
1)孤立微小系の研究、及びそれらが相互作用している系の固有モードの研究
 この研究では、近接場光学の手法とSEM観察下での直接粒子操作を有機的に組み合わせることで初めて可能になるような実験を行った。 基板上の孤立微小球:透明誘電体基板上の孤立球の固有モードと基板内全反射モードの結合を実空間観察した。その結果を説明するために有効な、近接場を介したモード結合様式のモデルを提案し、定量的な一致が得られることを示した。光集積回路において重要となる微小共振器と伝播モードの結合について、単純で汎用性のあるモデルを提出した。
@ 孤立微小球:最も単純な微小共振器である動的電気四重極トラップに捕捉された微小液滴を用いて、球の固有モードと液滴中の色素の発光との相互作用(弱結合における共振器QED)を初めて定量的に検証し、この範囲では半古典的なモデルが完全に有効であることを示した。
A
B 基板上の配列微小球:SEMで観察しながら、微小球を基板上に任意の構造に配列する方法を確立した。これを用いて、様々な結晶構造(フォトニック結晶)における固有モードを赤外分光によって調べ、理論計算とのよい一致をみた。また、二層構造の場合に、特異的に発生する回折と屈折の相乗効果を発見し、この現象が前項の近接場を介したモード間結合と本質的に同じであることを見出した。SEMの中で一つ一つ粒子を操作して結晶構造を構築するという手法は他に例が無く、フォトニック結晶研究者に強い衝撃を与えた。さらに、その自由度の高さによって、二層構造を作製することができ、新たな現象の発見につながった。この手法は現在、化合物半導体の格子を組上げる研究にも用いられていて、フォトニック結晶一般への応用が期待されている。
C 表面プラズモンの観察:SNOMと暗視野顕微法を組み合わせて、表面プラズモン伝播の実空間観察を行い、これを定量的に解析することにより、金属薄膜の不均一さが波の伝播にもたらす影響を解明した。
D 金属微粒子の局在プラズモン散乱:SEM観察によって、その形・大きさが既知の銀微粒子の局在プラズモン散乱スペクトルを観察し、理論と半定量的な一致を見た。従来このような研究は、多数の粒子の統計平均として行われてきたが、個々の粒子による研究は本例が初めてである。
2)表面、微小領域での磁性
 当初予定されていなかった研究であるが、潮田グループと相補的な電子状態の研究ということでプロジェクト発足後に取り上げた。
@ ポイントコンタクトにおける磁化依存伝導:Niのポイントコンタクトにおける量子化伝導が磁化に依存することを、Curie点上下、磁場の有無の組み合わせで明確に示した。
A 絶縁体・金属転移の可視化:光励起によって遷移金属酸化物の絶縁体を金属へと相転移させ、差分反射顕微法によって実像観察することに成功した。相転移自身はすでに知られていたが、これが実空間でどのような配置になっているかを可視化した。
B 磁気力顕微鏡の開発と薄膜の磁区観察:FM変調法による磁気力顕微鏡(MFM)を開発し、磁性酸化物薄膜の散漫相転移の磁場、履歴、温度依存性などを明らかにした。
4.事後評価結果
4−1.外部発表(論文、口頭発表等)、特許、研究を通じての新たな知見の取得等の研究成果の状況
 潮田グループは、極低温超高真空STMシステム、微弱光分光システム、ピコ秒レーザーを組み合わせ、原子レベルの空間分解能とピコ秒時間分解能を有するSTM発光分光システムの構築に成功した。そして、本システムに銀探針、超伝導ニオブ探針のSTM探針作成法、複数の集光ファイバー法などの独創的方法を導入して、各種の極微細表面構造の原子・分子レベル及びピコ秒時間分解の発光分光計測に成功した。これらの成果は、世界的にも先端を行くものとして大いに評価できる成果である。具体的には、Au(111)表面に吸着したC60アイランド、Cu(110)表面に化学吸着した酸素原子、Au(110)-(2×1)表面とSi(111)-(7×7)表面の原子列上と原子列間、AlGaAs/GaAs多重量子井戸構造の劈開面内のGaAs井戸層とAlGaAs障壁層、HOPG上のGeナノ粒子などからの発光分光スペクトルを世界で初めて計測し、極微小領域での電子状態間遷移、発光機構を明かにするなど、STM発光分光システムの実効性を示した成果は大である。ただ、物理的理解が十分でないところもあり、今後は、個々の興味ある現象の物理的理解の深化と、当初の大きな目標であったDNAやタンパク質などの構造決定法などへの発展を期待する。
 宮野グループは、孤立微小球、及びそれらが相互作用している系の固有モードを明かにすることが主目標であるが、透明誘電体基板上の孤立球の固有モードと基板内全反射モードが近接場を介したモード結合によって起こることを実証し、位相整合条件を必要としない光集積回路における光伝播結合素子の可能性を示した。また、基板上に2μm程度の微小球を走査電子顕微鏡中で2次元、3次元的に配列するマイクロマニピュレーター技術を確立した。この技術により、単層配列球フォトニック結晶を作成し、フォトニックバンド構造を決定した。また、2層配列球構造では、近接場を介したモード間結合による高効率化回折素子の可能性を示すなど、十分評価できる多数の独創的な成果を出した。
 論文数は両グループで英文55件、和文1件と件数としては妥当である。宮野グループから1件がScience誌に掲載された。また、学会発表も国内学会24件、国際学会131件行われた。特許出願は9件なされて、STM探針、マイクロマニピュレーターなど重要技術は特許化された。代表者、グループリーダーの指導により、メンバーの特許化意識もかなり醸成された。
4−2.得られた研究成果の科学技術への貢献
 潮田グループの高分解STM発光分光システムは、世界トップの性能を有し、次々と極微細領域の発光分光データーが得られることになったことは、今後のナノレベルの科学的諸現象を解明する手段を提供することで、その科学的波及効果は大きいと判断される。またSTM発光分光システムとしても、多くの技術ノウハウを獲得しているので、ナノ計測技術として業界へのインパクトを注目する必要がある。
 宮野グループでは、微小球における固有モード結合、フォトニック結晶のフォトニックバンドの観察とその理解など科学的にも興味ある結果であるが、将来の光集積回路の光結合素子に、また、ミクロ領域を含めた新しい機能探索にヒントを与えるもので技術的にも興味がある。 とくに、走査電子顕微鏡中で微小球を捕捉し任意の位置に配列する技術は、広範なマイクロマシン技術への適用が期待でき、技術的インパクトは極めて大きい。
4−3.その他の特記事項
 潮田、宮野の両グループは、良い体制で研究が遂行された。ポスドク研究者など若手研究者も育成されて、それぞれに適切な次の研究職を得た。両グループで成果を共有できるような連携を今後に期待する。

戻る