研究課題別事後評価結果

1.研究課題名
脳内光受容とサーカディアンリズム
2.研究代表者名及び主たる研究参加者名(研究機関名・職名は研究参加期間終了時点)
研究代表者 深田 吉孝 東京大学大学院理学系研究科 教授
主たる研究参加者 村田 昌之 岡崎国立共同研究機構生理学研究所 助教授
寺北 明久 京都大学大学院理学研究科 助手(平成10年4月〜)
3.研究内容及び成果
(1)チーム全体ならびに深田グループ
 本研究では、概日時計がどのようにして外界の明暗周期に同調するのか、どのようにして約24時間周期で自己発振するのか、その分子メカニズムを明らかにすることを目標とした。ニワトリ松果体細胞は、単離培養条件下においても光感受性をもち、更にメラトニン分泌の顕著な概日リズムを示すため、細胞レベルでの概日時計システム、特に光入力系の分子解析に適した材料として用いられた。
 まず、研究代表者らが見出したニワトリ松果体特異的に発現する光受容体ピノプシンの大量発現系を構築し、その光反応特性を網膜の光受容分子と比較解析した結果、ピノプシンは錐体型光受容体と桿体型光受容体の両方の機能を併せ持つユニークな光受容体であることを見出した。一方、ピノプシン遺伝子の転写が光刺激と共に誘導されることを見出し、これまで動物遺伝子では未知であった光誘導に関わるシスエレメントの同定を試みた。その結果、ピノプシン遺伝子上流のEボックス配列CACGTGが光転写誘導に必須であることを突きとめた。次に、ピノプシン下流の光情報伝達経路を調べ、ピノプシンが3量体G蛋白質である網膜桿体型トランスデューシン(Gt1)ならびにG11と共役し得ることを明らかにした。Gt1は百日咳毒素感受性のG蛋白質であり、従来の薬理学的知見と考え併せると、松果体のGt1経路は光によるメラトニン分泌の急性抑制効果を担う可能性が示唆された。一方、ニワトリ松果体G11αのcDNAクローニングや蛋白質の局在・性状解析などから、G11を介する情報伝達経路が概日時計の位相シフトを引き起こすことを示した。
 また、ニワトリ松果体に発現する時計遺伝子(候補)cPer2、 cBmal1、 cClockの全長cDNAを単離・同定し、その過程でBMAL1と相同性を示す新規bHLH-PAS型転写因子をコードする遺伝子cBmal2を発見した。これら一群のニワトリ松果体時計遺伝子産物の性状を詳細に解析した結果、bHLH-PAS型転写因子であるCLOCKとBMAL1/2が正の制御因子としてE-Boxを介してPer2の転写を活性化し、その産物であるPER2が負の制御因子として自分自身の転写を抑制するというフィードバックモデルが推定された。
 一方、ディファレンシャルディスプレイ法を用いて新規の時計構成分子・光入力関連分子を探索し、cE4bp4遺伝子を同定した。機能解析の結果、光刺激によって時計位相が後退する時にcE4bp4遺伝子が光誘導を受け、増加したE4BP4蛋白質がcPer2の転写抑制を行うことを明らかにした。つまりE4BP4は、ニワトリ松果体の光位相同調、特に光位相後退を調節する重要な時計因子である可能性が示唆された。
 光入力系と発振系との接点に注目して研究を進める過程で、ニワトリ松果体細胞のMAPキナーゼが暗期に活性化することを見出した。このMAPキナーゼは、恒暗条件においても主観的夜に活性化する概日リズムを示すことから、時計発振系の制御を受けていることが判明した。MAPキナーゼの上流キナーゼ MEK に対する阻害剤を投与したところ、培養松果体の時計位相が約8時間も後退した。この結果から、MAPキナーゼが時計の出力支配を受けつつ発振系に入力するというフィードバック効果を示し、発振系のコアループに対してサブループを形成して、コアループの振動を安定化することが推定された。MAPキナーゼの活性リズムは、ウシガエル網膜やマウス視交叉上核などの時計組織においても観察され、動物の時計発振系において普遍的な役割を果たす可能性が示唆された。また、光刺激によってMAPキナーゼは脱リン酸化されて不活性化するが、この時上流のMEK活性は有意に変化せず、MAPキナーゼを脱リン酸化するフォスファターゼが光活性化することを見出した。各種阻害剤を用いた解析から、光活性化されるフォスファターゼはtyrosine-specific phosphataseもしくはdual-specific phosphataseと推定された。重要なことは、時計からの時刻シグナルと外界からの光シグナルが互いに別経路(それぞれMEKとphosphatase)を介してMAPキナーゼに入力する点で、光入力系から発振系への入力点としてMAPキナーゼが極めて重要な位置を占めていることが示唆された。
 以上のようなニワトリ松果体を用いた分子レベル・細胞レベルでの解析を個体レベルへと展開するため、ゼブラフィッシュを用いた実験系を立ち上げた。ゼブラフィッシュの松果体や脳に発現するオプシンの同定を試みた結果、ゼブラフィッシュ松果体にはピノプシンではなく、ロドプシンに類似の新規オプシンが発現していることが判明し、これをエクソロドプシンと命名した。興味深いことに、エクソロドプシンは大部分の松果体細胞で発現しているのに対して網膜の視細胞には全く発現しておらず、一方、網膜のロドプシンは松果体細胞では全く発現していないことから、両者それぞれに特異的な遺伝子発現を誘導するシスエレメントがロドプシンとエクソロドプシン遺伝子に存在することがわかった。このシスエレメントの同定を目指して、GFPをレポーターに用いて数系統のトランスジェニック個体を作成し、松果体特異的な遺伝子発現に必要十分なエクソロドプシンプロモーター領域を約300 bpにまで絞り込んだ。
 多くの脊椎動物においては、網膜や松果体だけでなく脳深部にもオプシンタイプの光受容体が発現している。これらの光受容分子の実体を明らかにし、その生理機能を調べるため、ハト・ヒキガエル・ゼブラフィッシュなどの脳内オプシンを、遺伝子クローニング及び免疫染色法により検索した。その結果、ハトの光周性に関わる光受容分子候補として、ロドプシンが外側中隔の脳脊髄液接触ニューロンに発現していることを見出した。ヒキガエル視索前核の脳脊髄液接触ニューロンにはピノプシンが発現しており、ゼブラフィッシュにおいては脳深部と網膜水平細胞に新規オプシンのVALオプシンが発現していることを見出した。ハト外側中隔のロドプシン陽性細胞には、Gtをはじめ網膜視細胞と類似の光情報伝達蛋白質が共存しており、日長識別という生理機能に対する分子的な手掛かりが初めて得られた。
 Gtにおいてはα及びγサブユニットに特徴的な修飾脂質が共有結合している。本研究では、修飾脂質の改変が可能なリコンビナントGtαとGtγの発現系を構築し、この脂質修飾がG蛋白質の分子認識及び活性制御に必須であることを示した。
(2)村田グループ
 単一細胞が示す概日リズムを蛍光可視化し、リアルタイムで追跡することにより、概日時計を制御する細胞装置の生理学的解析と分子メカニズムの解明を目的とした。
1) ニワトリ松果体細胞が分泌するメラトニン量には日周変動があり、メラトニン分泌系は時計出力系の一つとして広く認知されている。しかし、メラトニンの分泌機構は未だに不明であるため、分泌経路の要であるゴルジ体に着目し、ゴルジ体機能の可逆的な阻害剤であるブレフェルジンA(BFA)を投与することにより、メラトニン分泌過程におけるゴルジ体及びゴルジ体由来の分泌小胞の役割を解析した。
その結果、@メラトニンは、ゴルジ体由来の分泌小胞を介さずに、形質膜を直接透過するか、もしくは形質膜上のトランスポーターを介して分泌されること、Aメラトニンの分泌量がBFA除去直後に低下し、この主な原因は、メラトニン合成系酵素の一つ、N-アセチルトランスフェラーゼ(NAT)活性の低下であることを明らかにした。BFA除去によってNATのmRNA量は減少しないことから、NAT活性の抑制は蛋白質レベルで起こる酵素活性の低下に起因することが示唆された。
2) マウスPer1遺伝子(mPer1)の発現量は、マウス脳の視交叉上核(SCN)において約24時間周期のリズムを示すことが知られている。そこで、SCNニューロンの初代培養系を用い、蛍光顕微鏡下で生きた単一SCN細胞の時計発振を可視化することを目的に、mPer1の上流配列(プロモーター領域を含む)にレポーターとしてd1EGFP(改変型GFP)を繋ぎ、これを用いてトランスジェニックマウスを作成した。
3) 単一SCN細胞の時計発振可視化、及び時計機能解析のための顕微鏡システムを構築した。これは「GFP可視化技術」と「セミインタクト細胞系」をカップルさせた「単一細胞顕微測光アッセイシステム」である。本システムでは、光学顕微鏡下の単一細胞内で起こるGFP融合タンパク質の輸送・ターゲティング・相互作用や、レポーターとしてのGFPの発現を定量的に解析できる。また、セミインタクト細胞系の利点を生かし、昼・夜の状態の細胞質をセミインタクト細胞内に導入することで、細胞内環境を一時的に昼・夜の状態に同期させ、概日時計の生化学的再構成実験の構築が可能になる。
(3)寺北グループ
 深田グループは、ピノプシンがGt及びG11と共存していることを見出した。これらの全く異なる2種類のG蛋白質の活性化機構を明らかにするためにGtとピノプシンとの共役を解析した結果、ロドプシンの場合と同様にメタUと呼ばれる光反応中間状態がGtを効率良く活性化することを見出した。また、G蛋白質の活性化に関わると考えられるピノプシンの細胞質内ループの一次構造は、対応するロドプシンの細胞質内ループと良く一致することから、ロドプシンを用いてGtの活性化における細胞内ドメインの役割を解析した。
 一方、Gtの変異体ならびにロドプシンと他のリガンド受容体(Gtとは効率良く共役しないムスカリン受容体やアドレナリン受容体)との間のキメラ変異体を用いて、Gtの活性化機構を解析した。その結果、1)GtのαサブユニットのC末端6残基から11残基(341−346)の間の6アミノ酸とロドプシン細胞質第3ループとの結合が、Gtの効率の良い活性化に不可欠であること、2)細胞内第3ループは、他の受容体と同様にG蛋白質サブタイプ認識に重要な役割を果たすのに対し、細胞内第2ループはロドプシン自身が活性化状態を形成するのに必須であり、他の受容体の第2ループとは異なる構造・機能を持つこと、を発見した。
4.事後評価結果
4−1.外部発表(論文、口頭発表等)、特許、研究を通じての新たな知見の取得等の研究成果の状況
 ピノプシンの発見より出発しているので、ニワトリ松果体にこだわって研究をしたのは理解できる。またニワトリ、鳥類では次のような創造的発見を出している;1)ピノプシン遺伝子光誘導エレメントの発見、2)Bmal2 の発見、3)cE4bp4 遺伝子の発見、4)MAP キナーゼ/MEK 経路の発見、5)ゼブラフィッシュのエキソロドプシンの発見。ただし、哺乳類の時計遺伝子が次々と同定されている現在、哺乳類ことにヒトにも研究の方向を向けるとよかったと考えられる。培養細胞における概日リズムの可視化、及びin vitroにおける概日時計の再構築はともに目的にかなり接近したが、完成には至らなかった。
 ニワトリ松果体にこだわった理由、つまり哺乳類時計遺伝子ハンティングの「何が」から、時計の分子機構「どのように」にシフトしつつあるとの考えは正しいと思うが、ニワトリ松果体を中心とする研究のみで、「どのように」がわかるかに問題があるのではないか?今後の発展に期待したい。
 ニワトリ松果体のピノプシンがGタンパク質を介して概日時計の位相シフトを起こし、一方でメラトニン合成を抑制するという結果は、初期の目的に合致した成果である。他方、ゼブラフィッシュで脳内光受容物質のエクソロドプシンを発見したことはそれ自身興味深いが、サーカディアンリズムとの関係はまだわからない。
 村田グループのセミインタクト細胞を用いた機能解析系の開発、寺北グループによるピノプシンと共役するGタンパクの機能解明は共にプロジェクトの発展に大きく寄与した。村田グループの「単一細胞顕微測光アッセイシステム」の構築により、mPerlus-dlEGFPトランスジェニックマウスでの時計時刻の可視化や定量化の研究は将来性がある。
 国際誌への論文発表は58件、和文論文46件と、努力は充分に認められる。ただ、ピノプシンの発見につぐようなbreak through に値する大きい成果は出ていない。学会発表も国内学会199件、国際学会70件行われた。また、新規時計遺伝子Bmal 2の特許2件を出願している。
4−2.得られた研究成果の科学技術への貢献
 概日時計遺伝子のクローニングを競う研究のレベルを抜き、概日時計の細胞内分子機構の解明に迫る研究の科学的インパクトは大きい。ゼブラフィッシュの松果体エクソロドプシンにGFPをつないだトランスジェニックフィッシュ、単一SCN細胞の時計発振の可視化、単一細胞顕微鏡測光アッセイシステム、などは有望な技術であろう。時計遺伝子の発見の爆発的展開に比べて、研究代表者の成果はやや物足りない、という批判もあった。
 ニワトリ松果体に的をしぼり、ピノプシン大量発現系を用いた分子機構解明の研究は他の研究の水準を越えている。さらに、ゼブラフィッシュを用いた個体レベルでの時計分子機能解明など、総合的な研究の成果を上げている。研究代表者の発見したピノプシンとニワトリ松果体の概日時計の研究は国際的に非常に高い水準である。ただし、哺乳類の時計遺伝子の研究が急速に進んでいる現在、やや価値が低くみられる。やはり哺乳類とくにヒトとの対比を考えた研究方向も必要ではなかろうか。比較生物学的観点に立つ研究はユニークであり貴重である。ニワトリ松果体での高い成果を、哺乳類にも一般化できる普遍的原則概念の発見の方向へ進んでほしい。
 期待される将来像としては、研究代表者グループによる時計機構の分子基盤解明研究の発展に加え、セミインタクト細胞系を用いた細胞生物学的な解析により、総合的な理解が深まることが期待される。Bmal2 の発見のような独創的発見をさらに発展させてほしい。
4−3.その他の特記事項
 中心の深田グループの研究に加え、村田グループ、寺北グループが強力にサポートの任を果たしている。若い大学院学生を多数研究に育成した功績は非常に高く評価される。CREST で若い研究者が育つことは素晴らしい。

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