研究課題別中間評価結果

1.研究課題名
細胞膜上機能分子の動態と神経伝達調節メカニズム
2.研究代表者
研究代表者 重本 隆一 岡崎国立共同研究機構 生理学研究所 教授
3.研究概要
 本研究は細胞膜上の酵素、受容体、イオンチャネルなどの機能分子の局在様式、動態、機能分子間の相互作用を高度の検出感度を持つ手法を用いて微細形態を定量的解析することによって新規の生体機構を探索することを目的とする。この目的のために、多数の高解像度の定量的形態観察の手法を開発し、可能な場合には、機能分子の電気生理学的性質の記録を併用し、構造・機能の定量的解析を実施した。
4.中間評価結果
4−1.研究の進捗状況と今後の見込み
 SDS-FRL (SDS-freeze fracture replica labeling) はCREST共同研究者である藤本によって1995年に開発されたもので、凍結細胞膜割断面レプリカに残存するタンパク分子の分布を免疫染色法により観察する手法である。研究代表者のグループはこの手法を取り入れ、その抗原分子の保持の改良、検出感度の改善を加え、100種類以上の抗体を用いて、多くの膜分子の分布を高い再現性をもって定量的に解析する手法に発展させた。この手法は本研究課題の実施に必須の手段であり、研究のレベルもその手法の精度に依存する。改善されたこの手法の精度はきわめて印象的で、今後の研究成果への期待は大きい。この細胞膜機能分子の分布を定量的に解析することが可能となったので、精密な電気生理学的解析と組み合わせて比較検討し、研究課題は予測以上に順調な軌道に乗っている。

 最近、九州大学の伊藤功助教授のグループがマウスの海馬神経回路の中でNMDA ε2レセプターサブユニットが左右で異なった分布をしていることを示唆する電気生理学的結果を示した。共同研究の依頼により、研究代表者はこの現象を形態的、分子生物学的角度から解析し、その問題をさらに詳細に検討することになった。この研究は当初の提案時の研究計画には含まれていなかったが、神経科学の領域における重要な課題に発展する可能性があり、興味ある結果も得られているので(下記参照)、この新規の課題追加は有意義な企画と考えられる。

4−2.研究成果の現状と今後の見込み
 研究代表者のグループは多数の細胞膜機能分子の分布を解析しているが、現在、最も定量的な結果が得られているのは生後3−4日のラットの小脳におけるAMPA グルタミン酸受容体分子である。新生ラットのこの時期に小脳に存在するシナプスは、事実上、下オリーブ核からの線維 (climbing fibers) がPurkinje 細胞上に形成する興奮性シナプスだけである。この標本においてAMPAレセプター分子をGluR1-4 レセプター抗体と二次抗体のゴールドコロイドでラベルして AMPA レセプター分子の密度を測定した。この値は5 nm のgold particles を用いた時は、平均、1490/μm2  で、10 nm のgold particles の時は728/μm2  であった。この相違はgold particle が小さいほど検出感度が高い結果と推測される。いずれの値がより正確であるかは明らかでないが、約1,000/μm2  が妥当な推定値と考えられる。AMPAレセプターの immunogold particleの数はシナプスの大きさ(面積)に比例し、AMPAレセプターの密度とシナプスの大きさの間には相関性が見られなかった。この形態的手法による推定値と比較するために、シナプスのAMPAレセプターの密度をさらに電気生理学的手法により検討した。生後3日のラットのPurkinje 細胞から自発性 miniature EPSCs を記録し、1量子のグルタミン酸によって活性化するAMPAレセプターチャネルの数の平均とシナプスの面積の平均から推定した値は950/μm2  で、immunogold particle 法によって測定した値とほぼ一致した。同じ、形態的手法で、小脳分子層のAMPA レセプターの密度を生後 2−3 週間及び成熟動物で測定すると、発達に伴って、レセプター密度が不均一になり、その平均密度が減少することが明らかになった。今後、長期抑圧 (LTD) とAMPA 密度の関連を検討する予定である。現在、中枢神経のスライス標本において、単一シナプスの受容体分子の密度を機能的電気生理的手法によって測定した後、形態的手法によって同一のシナプスの面積を測定し密度を決定することが可能となった。
 九州大学のグループからの要請に応じて、海馬神経回路におけるNMDA ε2 レセプターサブユニットの分布に左右差があるかを検討するために、Western blottingによってε2レセプター分子の定量を実施した。この目的のために、慢性手術によって交連線維を除去したマウス(十数匹〜四十数匹)の左右の海馬スライス標本のCA3領域の放線層(stratum radiatum)と上昇層(stratum oriens)を分離して別個にプールした。これらの組織のhomogenate におけるε2サブユニットの量には左右差は見られなかった。しかし、PSD(postsynaptic density)フラクションで比較すると、ε2サブユニットは放線層では左側が、上昇層では右側が多いことが3回の実験のすべてで確認された。これらの結果は、電気生理学的実験からの予測と一致し、神経回路機能の左右差がレセプター分子のレベルで確認できた。これまで、脳の左右差の問題は単に概念的に論議されてきたが、本研究の結果から左右差は細胞機能、分子数の差として観察することが可能となった。
4−3.今後の研究に向けて
 伝達物質受容体の微細形態の解析は現在、小脳シナプスのAMPA 受容体に関して最も詳細に実施され、その定量形態的測定による結果は、電気生理的測定による予測と非常に良く一致し、この手法の精度、信頼度が高く評価された。今後、この手法を神経可塑性の解析に適用することが望ましい。その最初のステップとして、長期増強 (long-term potentiation) 、長期抑圧 (long-term depression) などの神経活動性に依存する神経機能の可塑的変化とAMPA 受容体の数の変化の定量的解析により画期的な成果が期待される。
4−4.戦略目標に向けての展望
 本研究では、SDS-FRL (SDS-freeze fracture replica labeling) の手法に改良を加えて、細胞膜上の機能分子を高い精度で定量的に解析する技術に発展させた。さらに、2光子励起法の導入により形態観察の解像力を高めると共に、局所のCa2+ 濃度を測定し、またケージド化合物 (caged compounds) 法を導入して、Ca2+ 及び他の生理活性物質の局所濃度を急速に変化させた場合の定量形態的変化の観察することが可能である。これらの成果により、研究の新たな展開が期待される。
4−5.総合的評価
 この課題の研究の特徴は高度な技術レベルで裏打ちされた詳細、精密な形態的解析と再現性の高い定量的データの収集である。その結果、機能的解析との照合が可能となり、分子レベルでの形態、機能の相関性を追求する理想的なアプローチを確立した。研究代表者らはこれまでも、厳密な形態観察を実施中に、偶然の副産物として予測していなかった新たな現象、生体機能を発見してきた。このアプローチの難点は、どのような新規の副産物が、どのような確率で発見できるかが予測できないことである。しかし、これまでの成果から判断して、今後の発展も十分に期待される研究課題として推薦できる。
  評価委員(領域アドバイザー・外部評価委員)も、「本研究の定量形態学的成果は originality が高く、世界をリードしている」と言う意見で全員が一致した。

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This page updated on September 12, 2003
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