研究開発トピックス

iPS細胞の標準化動向に関する国際比較調査
- 国際比較調査報告書の概要

福士 珠美(科学技術振興機構研究開発戦略センター ライフサイエンスユニット フェロー)
掲載日:2010年05月19日

JST-CRDSは科学技術政策提案やそのための調査研究を実施

JST研究開発戦略センター(JST-CRDS)は、2003年のセンター設立以来、第三期科学技術基本計画における重点四分野(情報通信、ナノテクノロジー・材料、ライフサイエンス、環境)を中心とする9のユニット(CRDSユニット紹介)によって、今後我が国において重要となる研究開発領域を見極め、その推進に必要な研究投資戦略や制度設計について、科学政策に関わる人々や、研究開発の現場にいる研究者、そして研究機関を運営する人たちへ政策提案を行なっています。
このようなJST-CRDSのミッションをよりよいものにするために、ライフサイエンスユニットでは、外部有識者へのインタビューのほか、2006年、2008年に「ライフサイエンス分野俯瞰ワークショップ」を開催してきました。
「俯瞰ワークショップ」では、現在実施されている研究領域のみならず、今後重要となる研究領域を研究者、科学技術行政担当者、JSTのスタッフ(CRDSフェロー)が共に話し合って抽出し、その議論をもとに、2年後、3年後に研究開発事業として国が戦略的に予算化していくべき研究テーマをライフサイエンスユニットが考えます。そして、テーマごとに検討チームを結成し、国内における研究開発の動向のみならず、国際的な研究開発、技術革新のトレンドを把握し、各国の政府や研究機関はどのようにそれを推進するための戦略をたて、優先投資する分野や研究機関、研究者を決めているのか、というエビデンスをそろえて、政策提言(戦略イニシアチブ、戦略プロポーザル、戦略プログラム、戦略提言、という名称のCRDS報告書が該当します)を作成し、そして国際動向調査(国際ベンチマーク報告書、G-TeC報告書)などの報告書としてまとめ、公表しています。
こうした綿密なフィージビリティスタディを実施し、その成果を公開することは国の投資戦略の効率化、研究者コミュニティへの科学政策に関する啓発、などの効果が期待されるだけでなく、国民の税金を科学研究に投資するにあたって、投資する側(予算を所管する官庁や研究開発事業を実施する独立行政法人)の説明責任を果たすための参考資料としても役立てられています(JST-CRDSの各種報告書はCRDSのウェブサイトから全文の閲覧、ダウンロードが可能です)。

iPS細胞は「標準化」の必要性が高まっている

2009年秋から冬にかけて、JST-CRDSでは、ライフサイエンスユニットのほか、G-TeCユニット(国際比較を担当するユニット)、多細胞体構築技術チームが、iPS細胞の「標準化」に関連する技術開発、推進戦略、規制管理の国際的な動向に関する調査を共同で行ない、報告書を作成しました(ここで言う「標準化」とは、iPS細胞の作成に挑んできた国内外の様々な研究グループによるiPS細胞の作成技術を「ヒトの医療応用に適するように均質化すること」また「均質化された技術そのものの評価方法についても共通のルールや基準を設けること」をさしています)。
iPS細胞の標準化についてはアカデミアのみならず、産業界からもその必要性が言及され、細胞の評価項目や要素技術の抽出、および合意形成に向けた議論が始まっています。

今回の連載コラムではiPS細胞の「標準化」をめぐる各国の戦略を中心に調査結果について、2010年3月に発行された報告書『国際比較調査:iPS細胞の標準化に関する技術開発、推進戦略、規制動向』(CRDS-FY2009-GR-03)(PDF)の内容に基づいてお伝えするとともに、このような国際比較調査をJST-CRDSが行なう目的や、調査の手法などについても紹介していきたいと思います。

国際的なiPS細胞標準化への動きが活発化

まずは、調査結果についてお話ししていきましょう。私たちが現地を訪れてインタビューを行なったり、学術論文や特許動向を調べたりした結果、iPS細胞の「標準化」をめぐる国際動向について以下のようなことがわかりました。

  1. iPS 細胞の標準化は世界的にも未確立である。すなわち、研究用途でも、臨床用途でも、iPS 細胞の樹立方法や評価技術の標準手法が確立されてはいない。
    一方、研究者コミュニティや幹細胞バンク管理者レベルでは合意形成にむけた国際連携が始まりつつある。多くの場合、これらの連携はヒトES 細胞の品質管理の手法と体制を参考にしている。
  2. 米国ならびに英国では、幹細胞バンク機能と品質管理の技術開発、技術普及機能を一体化した組織による幹細胞標準化戦略を図っており、そのような組織がヒト ES細胞に関する国際標準の合意形成において主導的な役割を果たしてきた(WiCellResearch Institute とWisconsin International Stem Cell Bank や、英国National Institute for Biological Standards and Control(NIBSC)とその内部組織であるUK Stem Cell Bank( UKSCB)が例に挙げられる)。
  3. 英国のUKSCB は、国内外に対しヒトES 細胞を含む幹細胞株の無償供与を行っている。
    細胞株自体にはすでに価格が設定されており、かつ定期的に無償供与の是非を検討しているにもかかわらず設立以来無償を堅持している背景には「UKSCB が提供した細胞株を用いて研究したデータが増えることにより、幹細胞の標準化におけるUKSCB の業界内プレゼンスがより強固になる」という戦略が考えられる。
  4. 欧州連合(European Union、EU)は倫理観を含め文化の異なる国々の共同体であるため、欧州域内の医薬品等の審査・認可の中央機関である欧州医薬品庁(European Medicines Agency、EMA)の策定する幹細胞関連法規制はあくまでも科学技術面での標準化を重視し、倫理面は各国の判断に委ねている。
    このため、ES細胞と体性幹細胞を分けずに扱っている規制も多い。ルールの策定を技術面での規制に絞り、倫理的問題をその範疇に入れないことで、むしろ技術の標準化プロセスを容易にしているといえる。
  5. 我が国においては、ヒトiPS 細胞の樹立成功後、iPS 細胞研究推進のための枠組みづくり、予算配分戦略が行政主導で進められてきたが、品質管理等の標準化に関する研究プロジェクトが本格化するのはこれからである。
    国内に複数ある多能性幹細胞を扱うバンク機能の運営戦略の立案、iPS 細胞の品質管理に関わる研究者層の増加などの課題があるものの、これらに対する要素技術の開発戦略やiPS 細胞を含む幹細胞研究の推進を見据えた規制の整備は進みつつある。

上に記した結果を簡単に言うと、「iPS細胞を標準化するための技術は、まだまだ開発途上にあって、国際的な取り決めや基準となる技術、評価項目が決まっているわけではありません。ただし、アメリカもイギリスも日本も標準化の重要性を認識し、それに備えた活動を技術開発面でも規制面でも、さらには国際戦略としても進めていますよ」ということになります。

日本は今こそiPS細胞標準化をリードするべき

この調査結果をもとにして、私たちのセンターでは、日本は幹細胞の標準化技術開発と管理体制についてどのような戦略をとっていくのがよいか、について、4つのことを提案しました。

  1. iPS 細胞に関連する種々の技術の標準化は一国に閉じた課題ではなく、世界共通の課題ととらえ、国際的な合意形成を以って推進されることが望ましい。
    その過程では、我が国の研究者コミュニティが築いてきたiPS 細胞に関する知見と技術開発成果について積極的に発信し、合意形成を主導することが重要である。
  2. 現在は欧米の幹細胞研究コミュニティが日本のiPS 細胞研究に対して高い評価を持っていることを前向きに捕らえつつも、激化する研究開発競争において日本発の成果、標準化に向けた提案が埋没することのないよう、我が国としての、iPS 細胞外交戦略を持ち、有力国の政策動向や研究開発戦略の推移について継続的な情報収集を踏まえて戦略の遂行や見直しを図る機能が重要である。
  3. iPS 細胞に関連する種々の技術の標準化には、学術論文や標準報告書(Technical Report、TR)などを通してiPS 細胞を作成、評価、研究等する過程の透明性を確保することが重要である。 これにより、標準的なプロトコールの開発やその改良が持続することが期待される。その過程で、技術研究組合制度の活用など多様な産学連携の仕組みを活用し、学術研究成果のよりスムーズな産業化を意識することが望ましい。
  4. 日本国内に流通するiPS細胞の品質管理、保管と配分のよりよいあり方についてはバンク機能を持つ組織における研究体制、予算配分の現状を考慮した検討が必要である。その際、技術的課題と倫理的課題との切り分けに配慮することが大事である。
    また、米国、英国に見られるようなバンク機能と品質管理技術の開発機能が一体化した管理組織の必要性も含めて検討することが望まれる。

これらの提案をまとめてみると「日本のiPS細胞作成・評価技術に対する国際的な評価が高いうちに、確かな外交戦略を以って標準化を巡る世界の動きをリードしていくのがいいですよ、また、外交戦略を立てたり見直したりする機能、iPS細胞のバンク機能、品質管理技術の研究開発についてもしっかり戦略をもって進めましょう」ということになります。

iPS細胞の「標準化」をめぐって日本の科学技術外交が見えるとき

ある科学技術を「標準化」することとは、単に「一番いいもの」を理想として、その作り方を唯一の標準と決めるわけではありません。高価な材料を使って操作の難しい機械によって作られるものより、誰にでも手に入る安価な材料で、身近な道具を使って作ることができるものの方が人々に普及していくことはよくあることです。
また、いいものを作る技術を「出し惜しみ」してしまうと、結局誰にも使ってもらえないまま、宝の持ち腐れのようになってしまいます。
わが国発のiPS細胞の作成技術が、世界の研究者にとって「一番使いやすいiPS細胞の作り方」になるのか、「一番いいiPS細胞が作り出される魔法」になってしまうのか、iPS細胞の標準化戦略を通して、日本の科学技術外交のあり方自体が問われているのかもしれません。
今回私たちの発表した報告書が、少しでも科学技術政策の意思決定に役立つことを願っています。

次回は、iPS細胞を巡る国際動向調査のバックステージストーリーについてお話しします。

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