研究開発トピックス

【日本の科学技術の進展に向けて】 iPS細胞研究に関する政策の動向とライフサイエンスの振興

文部科学省文教施設企画部計画課(前同省研究振興局ライフサイエンス課) 菱山 豊 氏
掲載日:2010年01月28日

はじめに

京都大学の山中伸弥教授のグループが樹立したiPS細胞に関する研究は、発生学という基礎科学から再生医療、様々な疾病の原理の解明、創薬という応用まで、大きく貢献するものと期待されており、世界中で研究が行われている。このような研究がわが国から始まったのは、理化学研究所の西川伸一教授が指摘されるように、日本の総合力が高いためであると考えられる 1)
iPS細胞や幹細胞の研究については、既にいくつかの論考を発表 2-4)しているが、本稿ではiPS細胞研究を巡る政策の動向を紹介するとともに、ライフサイエンスの振興方策について考察したい。なお、本稿で述べる見解は筆者個人のものであることをお断りしておく。

iPS細胞を巡る従来の政策

画期的な研究を強力に推進するため、政府は様々な施策を講じてきた。特に文部科学省は、ヒトiPS細胞の樹立発表後の約1ヶ月後の平成19年12月22日には、「iPS細胞研究等の加速に向けた総合戦略」を策定するなど、わが国のiPS細胞研究等を戦略的に進めてきた。
具体的には、「文部科学省iPS細胞等研究ネットワーク」を構築し、わが国全体の研究体制を確立するとともに、研究の裾野の拡大や知的財産権に係る体制の強化を図るなど、研究環境体制の強化を進めてきた。このネットワークには文部科学省が所管する大学や理化学研究所のみならず、厚生労働省や経済産業省が所管する研究所も参加しており、働き盛りの優秀な研究者が集まっている。また、研究を推進するだけではなく、知的財産、生命倫理、標準化、産学連携など多岐にわたる課題に対応している。
ヒトiPS細胞樹立の成功が大々的に報道された後、京大から申請されていたiPS細胞に関する特許や、知的財産に関する体制が弱いのではないかとの指摘を「知財専門家」から受けたことがある。新聞で報じられてから気づいて指摘するのが専門家なのだろうかという疑問はあるが、バイオ、特に幹細胞の分野の特許は最先端の分野であるため確立した説もないようであるし、世界的に人材も少ないようだ。こうしたことも踏まえ、知財体制強化のための予算措置を行い、今や京大のCiRA(Center for iPS Research and Application)は、わが国で幹細胞の特許にもっとも通じた組織の1つになっていると考えられる。
研究成果を人々に還元するためには産業化が重要であるが、わが国の民間企業は、当初はiPS細胞に対して、アメリカの産業界に比べて少し距離をおいていたようにみえる。しかし、京大が主催した「iPS細胞研究産業応用懇話会」などの機会に企業の方と意見交換をすると、実際は高い関心を持っていることがわかった。今後、民間企業の積極的な参入が期待される。

iPS細胞研究のロードマップ

1 ロードマップの意義
平成21年6月24日、文部科学省は「iPS細胞研究ロードマップ」 5)を発表した。これは、関係の専門家の意見を聞きつつ行政機関が策定したものである。
文部科学省では、iPS細胞等の研究を加速させるため、関連する予算を大幅に拡充してきた。具体的には、平成20年度予算では約30億円、平成20年度補正予算では約15億円、平成21年度予算では約45億円、平成21年度補正予算では約100億円である。
上述の「総合戦略」は施策の内容を示しているが、国民からみれば、どのような研究をどういうスケジュール感覚で行っているのかがわかりにくい。国民から注目され、多額の国費が投入されている研究について、どのような成果を目指しているのかを説明する必要がある。
なお、研究者や記者からは、iPS細胞の研究だけでなくES細胞や体性幹細胞の研究も重要ではないかとの質問を受けるが、そのとおりであり、並行して研究を進めていく必要がある。

2 研究の目標
「ロードマップ」では、研究分野を(ⅰ)初期化メカニズムの解明(基礎・基盤的研究)、(i)標準iPS細胞の作製と供給(標準化)、(ii)疾患研究・創薬のための患者由来のiPS細胞の作製・評価とバンクの構築、(iii)再生医療(iPS細胞から分化誘導された細胞・組織を用いた細胞・組織移植等の治療技術の前臨床研究及び臨床研究)の4つに大別し、各々については現在の研究動向を踏まえ、おおよそ10年後までの具体的な到達目標が設定されている。
このような具体的目標を明示したことはライフサイエンスの分野で前例が見当たらない。なお、このロードマップは現時点での目標であり、研究が順調に進み、制度面での整備が行われることが前提である。

ライフサイエンスの振興について

iPS細胞研究をはじめとするライフサイエンス分野には、多額の税金が投入されている以上、科学の成果を社会に還元することが求められている。したがって、ライフサイエンスを進めるためには、ある分野の研究を強化するという考え方だけではなく、どういう社会を目指すのか、それに必要な科学技術は何かという考え方が必要になってくるのではないだろうか。
具体的には、健康で安全に暮らせる社会の実現を目指し、そのために必要なライフサイエンスを振興するということになるだろう。とはいえ、大学や理化学研究所のような公的研究機関においては、医薬品開発のような産業界が担当する応用研究を実施するのではなく、基礎研究を重視する必要がある。
同時に、知的財産への取り組みや臨床研究や治験への対応、生命倫理問題やサイエンス・コミュニケーションに関する検討も必要である。全体を視野に入れて方策を考えなくてはならないだろう。
これに関連して、生命倫理や薬事審査等については、推進と分けるべきという見解がある。研究を推進するために、倫理や安全が後回しになるようなことは避けなければならず、そのために審査組織を独立させることは必要である。しかし、生命倫理や薬事審査も研究成果の実現のためには必要なので、政策パッケージのなかに入れて考えなければならない。それぞれの専門家は自らの分野の重要性を主張するが、患者や国民全体の受益を考えた場合には両者のバランスこそが重要である。

おわりに

私自身、ライフサイエンス政策に関して、推進政策と生命倫理政策双方に携わる機会を得た。その間、大学や研究所の研究者(法学、哲学などの文系の研究者も)、企業、ジャーナリスト、関係府省などの多くの方と意見交換を行う機会があり、様々なことを教えていただいた。特にiPS細胞研究の振興については関係の皆様に大変お世話になった。今後、ライフサイエンスがますます発展し、人々の生活に貢献することを期待する。

[参考文献]

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