ES指針の改正について

ES指針の改正について

文部科学省生命倫理・安全対策室 永井 雅規 氏
掲載日:2010年01月14日

はじめに

ヒトES細胞の樹立方法

ヒトES細胞は、樹立の課程でヒト受精胚(=「人の生命萌芽」)の滅失を
伴うことから、取り扱いにあたっては生命倫理上の配慮が必要である

ヒトES 細胞(胚性幹細胞)は、人体のあらゆる細胞に分化する可能性とともに、ほぼ無限に増殖するという高い増殖能力を持つ細胞であり、将来の再生医療や創薬への応用が期待されている。
一方で、ヒトES細胞は、受精後5~7日程度経過したヒト受精胚の内部から細胞を取り出し、特殊な条件下で培養して得られるが、細胞を取り出す過程でヒト受精胚を滅失するという生命倫理上の問題を有している(図1)。ヒト受精胚は、母胎にあれば胎児となり「人」に成長し得る「人の生命の萌芽」として、特に尊重して取り扱う必要がある。
ヒトES細胞の樹立やそれを用いた研究は、このような生命倫理上の観点から、国のガイドライン(ES指針)に従って行われる必要があるが、平成21年8月、そのES 指針を緩和するための改正が行われた。本稿では、その背景と概要について紹介する。

ES指針の制定と関連研究の状況

日本のヒトES細胞研究の現状

図2 日本のヒトES細胞研究の現状

1.ES指針の制定
ES指針は、平成10年にアメリカでヒトES細胞が樹立されたことを受けて、総合科学技術会議等の検討を経て、平成13年に制定された。
ヒトES 細胞が「人の生命の萌芽」であるヒト受精胚を滅失して樹立されることにかんがみ、ヒトES細胞を取り扱う研究者は、これを誠実かつ慎重に行う責任がある。
こうした観点から、ES指針では、研究の際の手続きとして、研究計画の科学的合理性や必要性について、(i)研究機関内に設置される倫理審査委員会で十分な検討を行った上で、(ii)さらにそれを国(文部科学省)が確認するという、いわゆる「二重審査」を求めるとともに、倫理審査の過程や研究成果を可能な限り公開して、透明性を確保しつつ行うこととされた。
また、ヒトES 細胞の樹立には、生殖補助医療のため体外で受精が行われた受精胚のうち、結果的に不妊治療等に用いないことが決定されたものを用い、ヒトES 細胞の樹立を目的として新たに受精胚を作製することは認めないこととされた。このほか、受精胚の提供者を保護する観点から、その提供にあたっては、提供者が事前に研究目的や方法を十分理解した上で、自由な意思決定により提供に同意すること(インフォームド・コンセントが確保されること)、提供者の個人情報が厳重に保護されることが指針のなかで規定された。

2.我が国のヒトES細胞研究の現状
現在、ヒトES細胞の樹立計画は、京都大学再生医科学研究所および国立成育医療センター研究所の2機関で行われており、これまでに、京都大学が5種類のヒトES細胞株を樹立している。
樹立されたヒトES細胞は、iPS細胞とともに、理化学研究所バイオリソースセンターに寄託・集約されて品質面を含めた管理が行われ、大学や企業の研究者の要望に応じて提供されている。
また、これまで60 件近くの使用計画において、神経細胞、血液細胞、心筋細胞等の様々な細胞に分化させる研究が進められてきている(図2、3)。

ヒトES細胞の使用計画の分類

図3 ヒトES細胞の使用計画の分類
延べ64課題(終了分9課題を含む)平成21年10月6日現在

3.ヒトiPS細胞の登場
平成19年11月、京都大学山中教授らの研究グループが、ヒトの皮膚の細胞から、ヒトES 細胞と同様の分化能力と高い増殖能力を持ったヒトiPS細胞(人工多能性幹細胞)の作製に成功したと発表された。
ヒトiPS細胞は、ヒトの皮膚等の細胞にウイルス等を用いて遺伝子を導入するなどの人工的な操作を加えて作製されるものであり、ヒトES細胞のような受精胚を扱うことによる倫理的問題を回避できるとともに、患者自身の細胞からも作製できるため、再生医療、創薬、疾患研究等へ幅広い活用が期待されている。
一方で、ヒトiPS細胞には、遺伝子導入等の操作に由来する発がんの可能性のように安全性に関する課題も指摘されている。また、ヒトiPS細胞は、作製に用いた体細胞の遺伝子の活性化の状態や、遺伝子導入の操作の影響等により、ヒトES細胞とは性質上の相違があるのではないかとも考えられている。
このため、再生医療の実現に向けては、ヒトiPS細胞研究だけ行えば十分ということはなく、現在まで多くの蓄積があるヒトES細胞研究を並行して進め、両者を比較するとともに、ヒトES細胞研究で得られた分化誘導技術や目的細胞の分離技術をiPS細胞研究の促進に利用することも重要である。

ES 指針の改正について

1.経緯
このようななかで、平成20年11月、総合科学技術会議は、ES指針の制定以降、ヒトES 細胞研究について相当の実績が蓄積され、ヒトES細胞に関する生命倫理上の位置づけや取り扱いのあり方についての認識も深まってきたことなどを踏まえ、ES指針やその運用上の諸手続きについて見直し(緩和)を行うべきであるとの決定を行った。
この決定を受け、文部科学省は、科学技術・学術審議会生命倫理・安全部会のもとで検討を進め、指針の改正案を取りまとめた。
改正ES 指針は、総合科学技術会議への諮問を経て、平成21年8月に公布・施行された。

2.改正の概要
今回の改正は、ヒトES細胞の「樹立」とそれを研究に用いる「使用」のうち、特に後者の「使用」について手続きの緩和を図るものである。
これは、「樹立」の段階では、ヒト受精胚を取り扱うことから、引き続き厳格な指針の枠組みの下で倫理面の対応をしっかり図る一方、いったん樹立されたヒト ES 細胞を研究に役立てる「使用」の段階では、それ自体ヒト受精胚を取り扱うことはないため、指針上、ヒトES 細胞に対する誠実かつ慎重な取り扱いは確保しつつも、可能な範囲で手続きを緩和し、研究をより行いやすくするとの考え方によるものである。
またこれに伴って、従来の指針(「ヒトES 細胞の樹立及び使用に関する指針」)は、新たに「ヒトES細胞の樹立及び分配に関する指針」と「ヒトES細胞の使用に関する指針」の2つの指針に名称を改め、「樹立」と「使用」で対象となる指針も分けられることになった。
改正の主なポイントは、次のとおりである。

使用計画に関する手続きの主な変更点

図4 使用計画に関する手続きの主な変更点

(1)「二重審査」の廃止
ヒトES細胞を使用する際の手続きについて、機関内の倫理審査委員会の審査に加えてさらに国が事前に確認を行う「二重審査」のうち、国の確認を廃止し、今後は国へ届け出を行うだけでよいこととした。
また、ヒトES細胞を使用する場合、従来は自らの機関内に設置された倫理審査委員会による審査が必要とされていたが、改正では、共同研究先などの他のヒト ES細胞の使用機関に設置された倫理審査委員会(ヒトES細胞研究の審査実績のある倫理審査委員会)による審査も可能とした(図4)。

(2)研究者の変更手続きの簡素化
使用機関の研究者の変更については、倫理審査委員会の審査を行わなくてもよいこととした(ただし、研究責任者の変更は引き続き審査が必要)。

(3)加工ES 細胞や分化細胞の分配等に関する手続きの簡素化
遺伝子の導入等により加工されたヒトES 細胞の使用機関の間での分配については、これまで「研究の再現性の確認」目的に限って認められていたが、それ以外の研究目的でも可能とした。
また、ヒトES細胞由来の分化細胞を他の使用機関に譲渡をする際の手続きも大幅に簡素化した。

(4)その他
ヒトES細胞を海外に分配する際の手続きについても、提出書類の合理化を行った。

おわりに

ヒトES細胞研究は、研究の透明性を確保しつつ、社会の理解の下で進めていく必要がある。今回の緩和は、ES指針の遵守およびその適切な実施を通じて、これまで研究者をはじめとする関係者が築いてきた信頼の下に、初めて可能になったものといえよう。
改正により、ヒトES細胞研究の裾野がさらに広がることが期待される一方、研究者においては、引き続きその信頼に応えて、倫理面の配慮や透明性の確保に対する責任を十分に果たしていくことが求められている。

(本間美和子)

  • Biophilia 2009年12月(冬)号(Vol.5-4 No.20)より転載

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