研究開発トピックス

疾患特異的iPS細胞研究の動向と展望

松永亜佑美、石井哲也(京都大学iPS細胞研究センター研究戦略本部)
掲載日:2009年11月25日

我が国発のiPS細胞技術に関する論文解析結果は、神経変性疾患の病態解明を大きく進め、かつ、さらなる病態解明と創薬に大きなインパクトを与えうることを示した。

今日でも病因の発生や病態の進行過程が十分に明らかにされていない難治性疾患が数多くある。これらに対する予防医療や治療法開発に先立ち、生体からの組織採取(以下、生検)や疾患モデル動物などを用いた発症機構の解明が必要である。しかし、神経や心筋などの生検は一般に不可能であり、また全ての疾患についてモデル動物が作製できるわけではない。
一方、患者自身から樹立した疾患特異的iPS細胞は、患部自身の細胞を自在に提供することが可能であり、新しい疾患モデルをもたらすことが期待されている。
文部科学省策定の『iPS細胞研究ロードマップ』でも、重要な研究目標(3)として疾患特異的iPS細胞の作製、目的の細胞・組織への分化誘導が記載されている。この研究アプローチは、症例数が少ない疾患であっても病態の分子基盤解明が可能となり、また、創薬や移植治療への応用に大きく貢献すると考えられる。
現在、世界中の研究機関で多様な疾患特異的iPS細胞が作製されているが、今回、論文データに基づいて研究動向を調査した結果を分析し、今後を展望した。

1.研究動向

2006年以来、これまで、疾患特異的iPS細胞に関する論文は2008年では2本、2009年(9月末現在)では7本に増え、それらはCell、Nature、Scienceなど一流科学誌に掲載されており、疾患特異的iPS細胞研究の科学的妥当性の認知が進んでいること、創薬などへの応用の期待の高さが伺える。
表1にこれまで9本の論文で報告された疾患特異的iPS細胞をまとめた(黒字)。
2008年の2論文では、筋萎縮性側索硬化症(以下、ALS)、パーキンソン病、筋ジストロフィーなどの神経変性疾患、また若年性糖尿病などの代謝性疾患のiPS細胞を扱った報告であった。2009年に発表された論文では、地中海貧血、ファンコニー貧血(以下、FA)など血液疾患、および脊髄性筋萎縮症(以下、SMA)や家族性自律神経失調症(以下、FD)など神経変性疾患のiPS細胞の報告がある。(参考:検証を与えるプラットフォーム−ファンコニ貧血症患者の体細胞からiPS細胞を作製−(背景)家族性自律神経異常症の疾患モデルiPS細胞)
この表から、まず神経変性疾患の事例が顕著であることが分かる。これは現在、神経系への分化誘導が他組織への分化誘導に比して高い技術水準にあることが要因の一つと考えられる。 また、昨今、報告が増えている血液疾患は、病因となる遺伝子変異が判明しているケースが多く、病態解析の実行性から論文報告が増加傾向にあると考えられた。
一方、代謝性疾患については、若年性糖尿病はあるが、2型糖尿病については疾患発症における環境因子の関与が強く、病態再現が困難とみられるためか、現時点では樹立報告がない。

表1.2008年と2009年に発表された疾患特異的iPS細胞
論文発表年 2008年 2009年
血液疾患 - 地中海貧血(文献1)
鎌状赤血球貧血
ファンコニー貧血(FA)
地中海貧血(文献2)
神経変性疾患 筋萎縮性側索硬化症(ALS)
パーキンソン病
ハンチントン病
パーキンソン病
脊髄性筋萎縮症(SMA)
家族性自律神経失調症(FD)
(ライリーデイ症候群)
筋変性疾患 デュシェンヌ型筋ジストロフィー
ベッカー型筋ジストロフィー
-
代謝性疾患 若年性糖尿病
3型ゴーシェ病
レッシュ-ナイハン症候群
シュバッハマン・ダイヤモンド症候群
若年性糖尿病
その他
(免疫不全等)
重症複合免疫不全症(ADA-SCID)
ダウン症候群
-

赤表示Disease-Specific Induced Pluripotent Stem Cells(Cell, Volume 134, Issue 5, Pages 877-886)の10疾患

次に論文の発表国に目を転じてみると、上述の論文9本のうち、8本がアメリカ(他国機関兼務の研究者による発表含む)からの報告であり、同国での精力的な研究活動が伺える。
日本でも、疾患特異的iPS細胞樹立について新聞などの報道で取り上げられることはあるが、未だ論文発表はない。

さらに、これらの論文におけるiPS細胞樹立方法について調べた。樹立方法は多能性誘導因子の組み合わせや、因子導入に用いるベクターの違いにより様々な方法が報告されているが、調査の結果、疾患特異的iPS細胞の樹立法としてはレトロウィルスベクターとOCT3/4、SOX2、KLF4の3因子または OCT3/4、SOX2、KLF4、c-MYCの4因子、すなわち「山中因子」を用いた樹立方法が圧倒的に多くみられた。
レンチウイルスを使用する方法や通称「トムソン因子」と呼ばれるOCT3/4、SOX2、NANOG、LIN28を用いた樹立は、ウィスコンシン大学のThomsonとSvensonらによるSMAのみであった(表2)。
このことから、疾患特異的iPS細胞研究では、山中因子を用いる樹立法が現在一般的であることが伺える。ただし、レトロウイルスやレンチウイルスはゲノムへのベクター挿入がある導入方法であり、本来の患部組織の細胞とはゲノム構造の一部に違いが生じ、病態の再現に不利益となる可能性もある。
今後は、アデノウイルスや、プラスミドによる導入やタンパク質での因子導入など、ゲノムへ非侵襲の方法での疾患特異的iPS細胞の樹立が台頭してくると予想されるが、これら論文のようにiPS細胞株の選択を慎重に行うならば、現状は山中4因子とレトロウイルスでの樹立で研究を進めることはできると考えられる。

表2.論文報告された疾患特異的iPS細胞の事例と樹立法による分類
因子導入方法 Retroviruse Lentiviruse Dox-inducibleLentiviruse
OSKM/OSK 地中海貧血および鎌状赤血球貧血
地中海貧血
ファンコニー貧血(FA)
筋萎縮性側索硬化症(ALS)
若年性糖尿病
重症複合免疫不全症(ADA-SCID)
3型ゴーシェ病
デュジェンヌ型筋ジストロフィー
ベッカー型筋ジストロフィー
シュバッハマン・ダイアモンド症候群
ハンチントン病
ダウン症候群
パーキンソン病
若年性糖尿病
家族性自律神経失調症(FD) レッシュ-ハイナン症候群(+NANOG)
パーキンソン病
OS +NANOG +LIN28 - 脊髄性筋萎縮症(SMA) -

O:OCT3/4, S:SOX2, K:KLF4, M:c-MYC, Dox:doxycycline
赤表示Disease-Specific Induced Pluripotent Stem Cells(Cell, Volume 134, Issue 5, Pages 877-886)の10疾患

2.事例考察

2008年は、疾患特異的iPS細胞を樹立し、分化誘導を行なっただけのデータでCellやScienceに掲載となっていた。
しかし、2009年になると単なる樹立に止まらない、深い洞察を示した高いレベルの論文が増えてきた。中でも、iPS細胞樹立から分化誘導を行い、病態の再現や、治療効果などの検証を行った事例としてSMA、FD、およびFAの論文に注目して、以下、総合的に考察した。

SMAの原因は大きく分類すると、常染色体性劣性遺伝を呈する狭義の脊髄性筋萎縮症、伴性劣性遺伝で成人に発症する球脊髄性筋萎縮症、成人に発症し、ALSとほぼ同一疾患と考えられる群の3群に分けられ、このうち乳児から小児に発症する狭義のSMAにはⅠ ~Ⅲ型は、遺伝子座も同じ第5染色体にあることから同じ病因に由来すると考えられている。
ウィスコンシン大学のThomsonとSvendsenらのグループは患者と母親から作製したSMA-iPS細胞と健常なiPS細胞とを比較することで、疾患発症のメカニズム解析を試みている。電気生理学的解析や骨格筋との共培養実験により、iPS細胞由来運動神経細胞が試験管内で原因遺伝子の変異で細胞死を起こすこと、また、薬剤で遺伝子の働きが改善することも再現した。〔Ebert, A. D., et al. (2009) Nature〕

FDは遺伝性感覚性自律神経性ニューロパチー(HSAN)の3型ともいわれ、患者数は少ない。
発症の原因はIKBKAP遺伝子の点変異にあることが突き止められているが、根本的な治療方法も今のところ無いのが現状である。各型に共通している症状は痛覚の欠如である。即ち患者は痛みを感じることができないので、治療法確立には至っていない。
スローンケタリング研究所のStuderらのグループは、FD-iPS細胞を樹立し、そこから末梢神経を含む様々な組織に分化誘導することで、神経系で特異的にIKBKAP遺伝子の転写異常が起きており、正常転写産物の発現量も減っていることを明らかにした〔Lee G, et al. (2009.8.19) Nature〕。神経発生段階にみられる神経分化と遊走の異常の一因を示した。さらに薬剤候補物質による神経系の異常の阻止効果を評価した。

以上の2論文は、生検が不可能で、優れた疾患モデルがない神経疾患を対象としており、iPS細胞を駆使して病態を再現し、従前に比して深い病態解析に成功している。
また、iPS細胞による疾患モデル系は薬剤候補物質のスクリーニングにも応用可能であることを実証している。iPS細胞樹立に止まらず、病態を再現し、深い洞察を行い、病態制御の可能性をも示す、この程度のデータが、現在、Nature掲載に要求される水準と考えられる。
また、神経と同様にPost-mitoticな心筋関連で、このような業績が近い将来生まれてくると予想される。
これらの研究成果は、学術的意義に止まらず、患者自身の細胞を用いるという新しい前臨床試験システムを提供するであろう。製薬企業の研究開発スタイルに変革をもたらすことも考えられる。

FAは先天性の骨髄不全(再生不良性貧血)、骨格異常、高発がん性(白血病、扁平上皮がん)などの症状を特徴とする常染色体劣性遺伝の疾患である。近年、FA経路関連13遺伝子における何らかの変異で、ゲノム不安定性が起き、造血異常がおきることが分かった。治療法はいまのところ、免疫抑制療法、ホルモン投与の対処療法が中心で、骨髄移植は有効だが、当然、移植適合するドナーが現れるまで待つしかない。
ソーク研究所のCarlos、Belmonteらのグループは、ゲノム不安定性を示し、アポトーシスを起こすFA患者の体細胞から直接iPS細胞を樹立できなかったため、まずは体細胞にFANCA遺伝子を導入、遺伝子変異を修復し、その後にiPS細胞を樹立した。さらにin vitroで、このiPS細胞から、造血前駆細胞を経て正常な白血球や赤血球に分化させることに成功した〔Raya, A., et. al. (2009). Nature〕。従来は患者の体細胞の遺伝子修復を行ったとしても、invitroでの増殖が困難なため、FA治療法の開発は進展しなったが、iPS細胞にすることでほぼ無限増殖が可能となり、これは、FAに対する拒絶反応のない移植治療開発を大きく前進させる可能性がある。この論文もNatureに掲載されたが、やはり単なる樹立に止まらない、医療応用への高い可能性を顕示させた点が評価されたものと考えられる。

以上、疾患特異的iPS細胞研究の現状を俯瞰し、動向を考察したが、この研究の大きな特徴は、病態の再現、洞察を患者自身の細胞を用いている点、そしてiPS細胞に変換させることで、医療開発のポテンシャルを大きく向上させている点にある。
マウスモデルの作製には多くの時間を要するが、一方、iPS細胞樹立は1カ月でできる。増殖、分化させても合計3か月で多様な研究材料を手にすることができる。病態解析の飛躍的効率化により、病態の統合理解が進むことが期待される。そして、発症の早期診断や重症化を阻止する予防医療や根本治療法確立につながることを期待したい。

【Reference】
家族性自律神経失調症(FD)
Lee G, Papapetrou EP, Kim H, Chambers SM, Tomishima MJ, Fasano CA, Ganat YM, Menon J, Shimizu F, Viale A, Tabar V, Sadelain M, Studer L.
Modelling pathogenesis and treatment of familial dysautonomia using patient-specific iPSCs.
Nature 461(7262):402-6. Epub 2009 Aug 19.

地中海貧血および鎌状赤血球貧血(文献1)
Ye, L., Chang, J. C., Lin, C., Sun, X., Yu, J., Kan, Y. W.
Induced pluripotent stem cells offer new approach to therapy in thalassemia and sickle cell anemia and option in prenatal diagnosis in genetic diseases.
PNAS106(24):9826-30. Epub 2009 May 29.

地中海貧血(文献2)
Wang Y, Jiang Y, Liu S, Sun X, Gao S.
Generation of induced pluripotent stem cells from human beta-thalassemia fibroblast cells.
Cell Res. 19(9):1120-3. Epub 2009 Aug 18.

ファンコニー貧血(FA)
Raya, A., Rodriguez-Piza, I., Guenechea, G., Vassena, R., Navarro, S., Barrero, M. J., Consiglio, A., Castella, M., Rio, P., Sleep, E., Gonzalez, F., Tiscornia, G., Garreta, E., Aasen, T., Veiga, A., Verma, I. M., Surralles, J., Bueren, J., Belmonte, J. C.
Disease-corrected haematopoietic progenitors from Fanconi anemia induced pluripotent stem cells.
Nature 460(7251):53-9. Epub 2009 May 31.

脊髄性筋萎縮症(SMA)
Ebert, A. D., Yu, J., Rose, F. F., Jr., Mattis, V. B., Lorson, C. L., Thomson, J. A., Svendsen, C. N.
Induced pluripotent stem cells from a spinal muscular atrophy patient.
Nature457(7227):277-80. Epub 2008 Dec 21.

レッシュ-ナイハン症候群(保因者)、重症複合免疫不全症(ADA-SCID)、3型ゴーシェ病、デュシェンヌ型筋ジストロフィー、ベッカー型筋ジストロフィー、シュバッハマン・ダイヤモンド症候群、ハンチントン病、ダウン症候群、パーキンソン病、若年性糖尿病
I. Park, N. Arora, H. Huo, N. Maherali, T. Ahfeldt, A. Shimamura, M. Lensch, C. Cowan, K. Hochedlinger, G. Daley
Disease-specific induced pluripotent stem Cells
Cell, 134,(5,)877-886(2009).

若年性糖尿病
Maehr R, Chen S, Snitow M, Ludwig T, Yagasaki L, Goland R, Leibel RL, Melton DA.
Generation of pluripotent stem cells from patients with type 1 diabetes. Proc Natl Acad Sci U S A.
106(37):15768-73. Epub 2009 Aug 31.

パーキンソン病
Soldner, F., Hockemeyer, D., Beard, C., Gao, Q., Bell, G. W., Cook, E. G., Hargus, G., Blak, A., Cooper, O., Mitalipova, M., Isacson, O., Jaenisch, R.
Parkinson's Disease Patient-Derived Induced Pluripotent Stem Cells Free of Viral Reprogramming Factors.
Cell 136(5):964-77(2009).

筋萎縮性側索硬化症(ALS)
Dimos, J. T., Rodolfa, K. T., Niakan, K. K., Weisenthal, L. M., Mitsumoto, H., Chung, W., Croft, G. F., Saphier, G., Leibel, R., Goland, R., Wichterle, H., Henderson, C. E., Eggan, K.
Induced Pluripotent Stem Cells Generated from Patients with ALS Can Be Differentiated into Motor Neurons.
Science 321(5893):1218-21. Epub 2008 Jul 31.

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