インタビュー『この人に聞く』

iPS細胞を活用した臨床応用のトップバッターを目指す(2)-全2回-

髙橋 政代 氏

聞き手:
先生はこの治療法や臨床研究について、折に触れて患者さんや一般人を対象に論理的で緻密な説明をされています。講演を心待ちにしている患者さんも多いと聞きます。密なコミュニケーションも新しい治療法実現への大事な課題ですね。

髙橋:
治験を日本で行うとしたら、大切なのは一般の人のコンセンサスを得ることです。リスクのある治療をどう考え、どう扱うか。日本にはリスク・ベネフィットという考えが根付いていないように思います。そこが私には一番怖いところです。30年後、私は犯罪者になっているかもしれません。

聞き手:
どういうことでしょうか?

写真:髙橋 政代 氏

髙橋:
新しい治療法ができたと華々しく言われて、はじめの10例程度を進めているうちは問題が起こらないと思います。自分の目の届く範囲で患者さんとの信頼関係で進められますから。でも、徐々に広まってきたときに予想しない色々なことが起きるかもしれません。そうしたときに訴えられることもあるのではないだろうかということです。
かつての薬害訴訟の記事について、報道内容を調べてみたことがあります。その薬にどんなベネフィットがあるのかが新聞には一切書かれていませんでした。一方的にリスクだけが書かれます。これでは読者は判断できません。このぐらいのベネフィットがあるのに対してこのリスクをどう見るか、という判断が成り立たない。そういう状況のなかで新しい治療法を進めるのは非常に怖いことです。今の日本はこのような状況なので、覚悟が必要です。

聞き手:
自分にリスクが降りかかったとたんにベネフィットは眼中になくなる。患者さんの期待が膨らみすぎるせいもあります。

髙橋:
期待と結果のギャップですね。結果から「ああ、やるんじゃなかった」と思う可能性があるなら、はじめからそういう治療を選択すべきではないと思います。私は以前から患者会を回って話をしてきました。現状を知ってもらうことで、少しでもギャップを埋めることができるのはないかと努力しています。
しかし、何と言っても一番の問題はリスクとベネフィットのバランスを考える場を作ってきていないことだと思います。行政側も国民からの批判が大きくなればなるほど、リスクを恐れるようになるのは無理からぬところです。それが規制の強化に跳ね返ることになります。そのあたりは再生医療を進めるための、メディアの方たちの大きな役割だと思います。

聞き手:
ほかに治療法がない患者さんの期待が大きくなるのは無理もありません。

髙橋:
そうなる原因のひとつは網膜など目の疾患が日本の医療のなかで置き去りにされてきたからだと思います。患者さんのなかには「網膜色素変性」という難病の名前が新聞に載っただけで、「見捨てられていなかったという思いがしてうれしくなる」とおっしゃる方がいます。
視覚障害に対する社会の認識は著しく不足しています。シンポジウムでいつも強調するのは、視覚障害についてもっと知ってほしいということです。単純に見える人と見えない人がいるのではなく、見えにくいということの実態がよく理解されていません。実は、白杖をついていても視力は1.0という人もいます。こういう人は視力があっても視野が狭くなっているために歩けないのです。加齢黄斑変性症の患者さんは字が読めなくても普通に生活していますから、かえって周囲から理解されにくく、仕事の機会を不当に奪われていることも少なくありません。
製薬会社も眼病についてはあまり関心がありませんでした。加齢黄斑変性の患者さんの数はある癌の患者数に匹敵します。癌なら何十種類も薬があり、多くの治療手段があるのに、この病気には5年前にようやく2種類の薬が登場しただけです。効果のある薬なので、登場したとたんに大ヒット商品になり、製薬会社には、驚くほどの売り上げをもたらしています。世界で眼病に理解のある製薬会社が少ないため、視覚障害者は科学の進歩の恩恵に浴することが少なく、薬の面で取り残されているのが現状です。日本で視覚障害者は200万人いると言われています。

聞き手:
視覚障害の原因としては緑内障や糖尿病性網膜症などもっと患者数の多いものもありますが。

髙橋:
1位が緑内障、2位が糖尿病による網膜症、3位が網膜色素変性です。網膜色素変性の患者さんはおよそ3万人。それに対して、緑内障と糖尿病性網膜症はその10倍ぐらいいます。数はずっと多いのですが、そのうち視覚障害に陥るのは手遅れになってから見つかった人と治療を怠った人です。ですから、緑内障や網膜症に対しては何百億円もかけて新しい治療法を開発するより、啓蒙や予防を進めたほうがはるかに効果的です。もちろん、すでに治療手段も数多くあります。
それに対して、網膜色素変性や加齢黄斑変性は治療法が足りません。だから世界の眼科関係者がそこに挑戦しているわけです。先進国では視覚障害の原因の8割以上が網膜にあると言われています。網膜の治療は私の母校の京都大学が伝統的に得意です。アジア最初の網膜剥離手術を行ったのも京大でした。

聞き手:
その網膜が幹細胞と結びついたのは、いつどこで、でしたか。

髙橋:
それは米国のソーク研究所に留学したのがきっかけです。ここで、世界で2番目の神経幹細胞が出来た時に出会い、幹細胞が何かということがよくわかりました。眼科医の私は、神経幹細胞を見たとたんに、これで網膜の治療ができると思ったのです。周囲は脳研究者ばかりで、網膜にはまったく興味がない。私にとってはまさしく濡れ手に粟の状態でした。その時、治療に関しては脳より網膜のほうが断然有利だと感じたのです。それで、世界で初めて網膜治療に幹細胞の概念を取り入れることができたと思います。ちょっと違う分野に触れたことがよかったと思います。
京都に戻ってから神経幹細胞で網膜を治療することを考えて研究していましたが、体性幹細胞ですからたくさん増やすことが難しい。増えているように見えても性質が少しずつ変化して目的の細胞ができなくなることがあります。体性幹細胞では少し難しいかと考えて、素直に分化してくれるES細胞に行き着いたわけです。ES細胞の分野ではかつての同級生である理化学研究所の笹井芳樹先生が非常によい研究をされていて、脳を作ろうとしていました。そこで色々教えてもらって、共同でヒトES細胞から世界ではじめて網膜の細胞を作ることに成功しました。
ソーク研究所で学んだのは、「研究を一緒にやるなら一流の人とやれ」ということです。こじんまりした研究所ですが、ノーベル賞学者が大勢いました。遺伝子治療の専門家もいて、そのようなプロの方と組むと眼科で行えば2年以上かかる研究でも半年で出来ます。プロに任せることの重要性を痛感しました。帰国してからも笹井先生という一流の人と研究できたことが成功につながったと思います。

聞き手:
それでもヒトiPS細胞の登場まで臨床応用を目指そうとすることはなかったですね。

髙橋:
加齢黄斑変性の患者さんは視野の中心だけが見えません。しかも高齢者です。そういう人たちに免疫抑制剤を服用してもらわなくてはならない治療はどうなのだろうと疑問に思ったことが理由のひとつです。さらに「ヒトES細胞なんて治療には使えない。」と皆が思いこんでいる時代でしたから、ちょっとひるんでいたこともあります。そのようなことから実験成果を眠らせてしまいました。ヒトES細胞から作った色素上皮細胞は培養すると黒い点々として見えます。それを見ていた人はほかにもいたかもしれませんが、治療に使えると考えた人はいなかったのです。私は2001年頃に黒い点々を見て、これこそヒトES細胞に由来する組織細胞の中で最初に治療に使えるものだと確信しました。
そのうちにiPS細胞が出来て、拒絶反応の問題はこれで解決すると思い、すぐに研究を再開しました。我々に続いて米国ヒトES細胞から網膜を作っていた研究チームは、それぞれ企業が支援していましたから、雑音をものともせずにやり続け、すでに臨床治験に入っています。
ヒトES細胞で成果を確信していたのに治療開発を続けなかったことを今は少し後悔しています。これまで企業の参入が必要であることも言い続けていましたが、応えてくれる企業はありませんでした。でもiPS細胞にリスクがあると言われても今度こそ絶対にひるまないぞと思って突き進んだので、ここまで来られたと思います。実際、5年前と状況はずいぶん変わり、今は興味をもってくれる企業も出て来ています。

写真:髙橋 政代 氏

聞き手:
最近、女性研究者の層は少しずつ厚くなっていますが、まだリーダーになる人は残念ながら少ないですね。

髙橋:
私もシンポジウムの演者の中などでいつもたった1人です。女性は上に立とうという意識が希薄な傾向があるかもしれません。研究職は女性にとってやりやすい職業です。子どもができてもどんな状況になっても絶対やり通すと覚悟を決めて見通しを立てれば、きっと続けられるはずです。私は研究も子育ても両方やりたかったので、眼科を選びました。ただし、研究と家庭の両方とも満足ができるほどできないので、その意味で辛さはあります。それを覚悟しておかないと仕事をセーブしてしまうことになりますよね。

聞き手:
ご主人のサポートもあったのではありませんか。

髙橋:
あっそうだ!!それが一番大きいです。


インタビュアー:古郡 悦子
取材日:2011年2月18日

髙橋 政代(たかはし まさよ)氏の略歴

理化学研究所発生・再生科学総合研究センター 網膜再生医療研究チーム チームリーダー、医学博士、医師

1986年京都大学医学部卒業、京都大学医学部眼科研修医、1987年関西電力病院眼科、1988年京都大学大学院医学研究科博士課程(視覚病態学)、1992年京都大学医学部眼科助手、1995年アメリカ ソーク研究所研究員、1997年京都大学眼科助手復職、2001年京都大学付属病院探索医療センター開発部助教授(網膜再生プロジェクトリーダー)、2006年神戸理化学研究所チームリーダー、2006年10月理化学研究所 発生再生科学総合研究センター 網膜再生医療研究チームリーダー、神戸市立医療センター中央市民病院 眼科非常勤医師、2008年先端医療センター病院 眼科客員副部長(兼任)、先端医療センター研究所 視覚再生研究グループリーダー、2009年京都大学大学院医学研究科 先端・国際医学講座 客員准教授、2010年1月京都大学iPS細胞研究センター客員教授(兼任)

参考

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