インタビュー『この人に聞く』

iPS細胞を活用した臨床応用のトップバッターを目指す(1)-全2回-

髙橋 政代 氏

眼科領域で、多能性幹細胞を利用する再生医療が間もなく研究室から出て臨床の舞台に登場しようとしている。その担い手のひとりとして期待される髙橋政代さんは、15年ほど前に米国で幹細胞に出会い、網膜再生に活かせることを直ちに確信した。まずES細胞から、続いてiPS細胞から、世界ではじめて網膜細胞や網膜色素上皮細胞の作製に成功し、今、網膜再生医療が実現する日を見据えて準備に余念がない。再生医療は多くの患者さんに光明をもたらすはずと、一歩も引かない覚悟だ。


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聞き手:
髙橋グループによるiPS細胞から分化させた網膜色素上皮細胞の移植は、臨床応用の一番乗りになると注目されています。

髙橋:
私たちは2004年にラットでサルES細胞から作った網膜色素上皮細胞の移植実験を行い、安全性も問題なく治療につかえるだろうと確信しました。けれども、ヒトを対象とする臨床に応用するまでにはきちんとデータを揃えて証拠として示さなくてはなりません。現在の科学的レベルは、すぐにでも臨床研究を実施できる段階になっていると考えており、これから大きく方針を変更すべき点があるとか、治療を不可能にするような問題点があるということではありませんが、規制をクリアするために時間のかかる仕事がまだあるという状態です。

聞き手:
2010年11月に「ヒト幹細胞を用いる臨床研究の指針」が改正されて、iPS細 胞を活用した再生医療に向けて臨床研究の枠組みが整いました。規制のあり方も変わってきているようです。

髙橋:
確かに変わってきています。iPS細胞を利用する場合の規制は、臨床に進むうえで、さほどのハードルではなくなったのが現状です。研究者側も研究の進展を見越して政府に働きかけてきたので、今回の改正は研究者と政府が一緒に実現させたと言ってもよいかもしれません。
2年半ほど前にヒトiPS細胞の国際シンポジウムが開かれた時点で、すでに私たちが一番先に臨床に取り組むことになるだろうとお話しましたが、研究を進めるために必要な研究指針の整備が遅れ、それが足枷になると踏んでいたのです。その時点で「ヒト幹細胞を用いる臨床研究の指針」には、ES細胞もiPS細胞も影も形もありませんでしたから。
元の指針は5年での見直しを規定されていましたが、昨年、1年前倒しで早くも改正されたわけです。厚生労働省も幹細胞研究に関して以前とは姿勢が変わり、早く進める体制ができてきているように感じます。これもiPS細胞の力かもしれません。iPS細胞のおかげで自動ドアのように道が開いて行く感じです。

聞き手:
2011年度からは文部科学省、厚生労働省、経済産業省の連携のもとで研究開発を連続的に支援し、実現化までの橋渡しをする「再生医療の実現化ハイウェイ」が動き出すなど、再生医療の実現をめざして支援体制はさらに充実するようです。それでも治験に進むにはまだかなり道のりがありますか。

髙橋:
臨床研究は医師法に基づいて行われ、医師との信頼関係のもとに、少数の患者さんに対して安全性の検証などを行うものです。ここまではスムーズに進みそうですが、その次の段階である治験は薬事法の対象で、こちらはなかなか一筋縄では行かないでしょう。データを揃えるために時間はあまりかからないと思いますが、治験には多額の費用がかかります。
市場規模は米国が日本の5倍、それに対して日本における治験のコストは米国の1.5倍と聞きました。費用対効果を考えると、どこで治験を行うべきか考え始めているところです。

写真:髙橋 政代 氏

髙橋 政代 氏

聞き手:
最近、自家培養表皮の作製などに実績のあるジャパン・ティッシュ・エンジニアリング(J-TEC)社と開発提携しましたが、これは治験をにらんでのことではないのですか。

髙橋:
まだそこまでの協力体制には至っていなくて、今の段階ではJ-TEC社には臨床研究のために採算を考えないで協力していただいている形です。このJ-TEC社は皮膚移植についての治験を膨大なコストを費やして実施しました。ところが、最後の保険収載の段になって対象患者がぐっと絞られ、得られる利益がかなり縮小されてしまいました。このような状況では日本に再生医療は根付かないと思います。
J-TEC社は、「iPS細胞の臨床研究はF1レースみたいなもの。最初にすごいものを作るのだから、採算は度外視です」と言ってくれます。治験にかかるコストを考えると、企業としては治験には参入しないという選択肢もあり得るでしょう。治験を進めるには資金力のある大企業に早い段階から加わってもらう必要があります。当面の課題はそこですが、機運としては企業も徐々に興味をもってくれる傾向にあります。

聞き手:
まだ大衆車を製造する段階ではないけれども、いずれはそうなることを考えて?

髙橋:
ここ数年は臨床研究で5例を実施するというような段階では、私たちが主体でJ-TEC社の協力のもと行います。患者さんの皮膚細胞を採取し、iPS細胞を作製して網膜色素上皮細胞に分化させ、移植するまですべてです。しかし、皮膚を採取してから移植までに、現状ではどうしても半年ほどかかります。治療の対象になりうる加齢黄斑変性症の患者さんは全国で数十万人いますから、この治療法を本当に広めるには企業が参入して製品化する必要があります。眼科の再生医療では角膜から始まって事業化が視野に入りつつありますから、網膜についても事業化を見据えています。
幸い、私のいる理化学研究所発生・再生科学総合研究センターが建っている神戸のポートアイランドは大変恵まれた環境で、私たちの建物と線路を挟んで臨床に使う細胞を作るセルプロセシングセンター、すぐ隣に日本唯一の先端医療専門の先端医療センター病院、その向こうに市民病院があり、さらに医療関係の企業も200社以上誘致しています。医療産業都市構想のもとに、とても楽しみな地域になっています。

聞き手:
何年か後には患者さんが神戸に集まることになるでしょうか。

髙橋:
医療産業都市構想のなかには、アジアからの患者さんを受け入れる構想もあります。私たちの網膜色素上皮細胞は、細胞シートとして最も質のよいものが出来ていると自負しています。日本だけでなく世界に広めたいと思っています。

聞き手:
作製する技術が成熟し、「工程」と言ってよいレベルになっているようですが、その工程のうちで一番ノウハウのつまっているところはどこですか。

髙橋:
それは細胞をシートにするところです。ここは特許の問題にも関わるところでもあります。私たちには幸い幹細胞特許の専門家からなる専属のチームがついています。幹細胞については、分化過程をわずかに変えただけ、あるいはできた細胞のほんの一部が異なると別の特許として申請できる、というデリケートな面があります。
最近、米国のアドバンスト・セル・テクノロジー(ACT)社がES細胞から作った網膜色素上皮細胞について特許を申請しました。恐らくこれはiPS細胞から作った細胞にも適応されます。ヒトES細胞から網膜色素上皮細胞を作ることは私たちが世界で初めて報告しましたが、ACT社が申請した内容は私たちの方法と同様の部分が多かったので、特許は認められないだろうと、サポートしてくれている特許の専門家も予想していました。ところが、米国で特許が成立してしまいました。今後、どう対応すべきか、特許チームが方針を考えているところです。日本でも特許が承認されて、私たちが最初に発明したにも関わらず特許料を支払うというような事態は避けたいと考えています。
特許の専門チームのサポートがなく、研究者だけではこのような競争の世界では厳しい状況です。先に大きく網をかけてしまったほうが勝ちという世界です。治験も同じことで、いかに早く進めて市場を押さえるかが重要になってきます。


インタビュアー:古郡 悦子
取材日:2011年2月18日

髙橋 政代(たかはし まさよ)氏の略歴

理化学研究所発生・再生科学総合研究センター 網膜再生医療研究チーム チームリーダー、医学博士、医師

1986年京都大学医学部卒業、京都大学医学部眼科研修医、1987年関西電力病院眼科、1988年京都大学大学院医学研究科博士課程(視覚病態学)、1992年京都大学医学部眼科助手、1995年アメリカ ソーク研究所研究員、1997年京都大学眼科助手復職、2001年京都大学付属病院探索医療センター開発部助教授(網膜再生プロジェクトリーダー)、2006年神戸理化学研究所チームリーダー、2006年10月理化学研究所 発生再生科学総合研究センター 網膜再生医療研究チームリーダー、神戸市立医療センター中央市民病院 眼科非常勤医師、2008年先端医療センター病院 眼科客員副部長(兼任)、先端医療センター研究所 視覚再生研究グループリーダー、2009年京都大学大学院医学研究科 先端・国際医学講座 客員准教授、2010年1月京都大学iPS細胞研究センター客員教授(兼任)

参考

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