造血幹細胞の「冬眠」に神経細胞が関与することを発見
(白血病再発などの原因解明につながる可能性)
研究の背景と経緯
血液は人の体重の約8%を占め、全身に酸素を運ぶ赤血球、感染防御に働く白血球など、さまざまな血液細胞が存在します。しかし、どの血液細胞も寿命が短いため、常に供給し続けなければなりません。このような数種類の細胞を作り出す源(種)になる細胞が「造血幹細胞」と呼ばれる細胞です。造血幹細胞は自分自身を複製する能力と、さまざまな血液細胞を作り出すことができる能力を兼ね備えていて、生涯にわたって血液細胞を供給し続けます。臨床の現場で白血病の治療方法として行われる骨髄移植は、造血幹細胞の再生能力の高い性質を利用した、造血幹細胞の移植による造血系の再生です。このように、生涯にわたり造血幹細胞はさまざまな血液細胞を供給し続けますが、その種となる造血幹細胞のゲノムが突然変異を起こさないための工夫や、細胞が尽きないようにするための工夫が必要となります。その工夫の1つが造血幹細胞の冬眠で、冬眠状態で骨髄ニッチと呼ばれる隠れ家でひそかに生き続けていると考えられています。しかし、骨髄のどの場所(ニッチ)に造血幹細胞が存在しているか、そのニッチがどのようなメカニズムで造血幹細胞を冬眠状態にしているのか、ほとんど分かってはいませんでした。本研究では、骨髄中に存在する造血幹細胞の冬眠の維持に関わるシグナルを手がかりに、ニッチを構成する細胞を明らかにすることを目指して研究を進めました。
研究の内容
1)TGF-βによる造血幹細胞の冬眠状態の維持
本研究では造血幹細胞の冬眠状態に着目し、「骨髄ニッチには造血幹細胞を冬眠させる働きがある」という仮説をたて、造血幹細胞の細胞分裂を抑制する分子をスクリーニングしました。その結果、サイトカインというたんぱく質の一種である「TGF-β」が造血幹細胞の分裂を抑制することを発見しました。さらに、TGF-βの受容体を欠損させたマウス(TGF-βが結合できず、TGF-βが機能しないマウス)を使い造血幹細胞の機能を解析したところ、通常のマウスと比較してTGF-β受容体欠損マウスの造血幹細胞は冬眠状態の造血幹細胞が少なく、その機能などが著しく低下していることが分かり、造血幹細胞におけるTGF-βの重要性が確認できました。
2)TGF-βの活性化がニッチの機能である
TGF-βが造血幹細胞の冬眠状態の維持に関与しているとすると、骨髄中でTGF-βを産生している場所が骨髄ニッチと考えられます。ところが、調べてみると造血幹細胞自身を含む非常に多くの細胞が、骨髄中でTGF-βを産生していることが明らかとなりました。しかし、これらのTGF-βのほとんどは不活性型TGF-βであること、活性型のTGF-βを発現している細胞は極めてわずかにしか存在しないこと、が明らかとなりました。そこで、本研究ではこのTGF-β活性化のメカニズムに注目しました。
3)活性型TGF-βは神経系の細胞に存在する
造血幹細胞の働きに重要な活性型TGF-βが骨髄の中のどこに存在しているのでしょう。マウスの骨髄を、活性型TGF-βと特異的に反応する抗体を用いて免疫染色法で解析したところてみると、わずかに、血管に似た構造をとる細胞が特異的に染色されることが分かりました。そこで、さらにその血管に似た細胞がどのような細胞なのか詳しく解析を進めていったところ、驚くことに活性型TGF-βが貯まる場所は血管細胞ではなく、血管と並行して存在する神経系の細胞であることが確認されました。 さらに詳しい解析から、この神経細胞はグリア細胞の一種である「非ミエリン髄鞘(ずいしょう)シュワン細胞(non-myelinating Schwann細胞)注6)」であることが明らかとなりました。
4)神経系細胞の近くに造血幹細胞は存在する
骨髄中に存在する造血幹細胞が非常に少ないこと(3万個に一個程度の頻度で存在)が骨髄ニッチの研究を非常に難しくしていました。そこで本研究グループは臓器の組織切片画像を、最新鋭の画像解析装置の一種である「ArrayScan(アレイスキャン)」という機器を導入し、造血幹細胞が組織中のどの場所に存在するかを高速かつ客観的に解析してみました。その結果、多くの造血幹細胞が、活性型TGF-?を発現しているグリア細胞に寄り添っている存在していることが確認できました。
5)神経を遮断すると造血幹細胞が分裂する
造血幹細胞と神経系細胞が同じ場所にいたからといって、偶然近くにいるだけの可能性もあるため、造血幹細胞と神経細胞とが何らかの相互作用をしていることを確かめるために、骨髄に入り込む神経を切断してみました。その結果、神経を遮断した骨髄では、造血幹細胞の数が大きく減少するという現象がみられました。さらに興味深いことに、切断後は造血幹細胞が冬眠から目覚めて分裂をしていることを確認しました。 以上より、造血幹細胞の冬眠状態を維持する骨髄中のニッチを構成する細胞として、神経系細胞の一種であるグリア細胞が関与していることを明らかにしました。
今後の展開
近年、白血病幹細胞注7)も骨髄中の造血幹細胞ニッチで冬眠状態にあることが、放射線治療や化学療法に対する抵抗性との関係から指摘されており、これが白血病再発の原因である可能性が高いと考えられています。このように造血幹細胞ニッチに関する研究は、造血の仕組みを理解する上でのみならず、医学的にも極めて重要な研究課題と言えます。今回の研究から、骨髄中のニッチに神経細胞が関与していることが初めて明らかとなり、将来、白血病再発を抑える全く新しい治療方法が見つかる可能性が考えられます。 また、造血幹細胞以外にも生体内にはさまざまな幹細胞が存在しますが、今回発見した神経系による幹細胞制御の機構はほかの幹細胞にも当てはまる可能性もあり、今後の展開が期待されます。さらに、神経系細胞が造血を制御することの生理的な意味や、病気との関連性を明らかにすることも大切であると考えます。