メッセージ
21世紀の医療として再生医療が注目されているものの、現在の再生医療が目指しているのは細胞療法であり、多くの患者が苦しんでいる臓器不全症の治療には対応できていない。しかもin vitroで分化させてできた細胞の多くは実際の臨床に役立つレベルのところまで完全に機能分化できておらずGeron社の臨床治験中止の例を持ち出すまでもなく、本当に社会の期待に答えられるような再生医療を実現できるか非常に疑問である。
これに対して私はできるだけ発生のプロセスに忠実に多能性幹細胞を分化させることが必要と考え、胚盤胞補完の原理を応用してin vivoで臓器を創ることを考えた。しかし、本研究プロジェクトのコンセプトを思いついたとき、私の周囲にいる人は誰もが実現可能性に否定的であった。ところがこプロジェクトの期間中に我々は「マウス個体内でラット膵臓を作出すること」に成功し、本プロジェクトの基本原理を実証的に示すことができた。我々の研究成果はNature、Nature Biotechnology誌等の科学雑誌のResearch highlightsのみならず、The Telegraphといった新聞等の海外のメディアにも紹介されるようになり、サイエンスの流れを少しずつ変えつつある。さらに膵臓欠損ブタを用いた膵臓再生の成功を知れば、動物体内でのヒト臓器の再生という夢が実現可能なのでは、という実感を誰もが感じることが出来るところまで来たと確信する。異種間における臓器再生の成果は動物個体や臓器の大きさがどのように決まるのかという、生物学の根源的な疑問に対して予想外の興味深いデータを提供することができ、影響は再生医療等の医学研究の領域に留まらない。
今後も目標とするところに変わりはなく、ヒト臓器を動物体内で再生させるという夢の実現に向かって努力を続けてゆくつもりである。この夢の実現のために行われる様々な試みが、結果的に臓器形成の時空間的な動作原理を解明することにつながり、そこから新たな科学のパラダイムが開けるものと確信している。新しい科学技術の流れは、誰もが不可能と考えることを「思い切ってやってみる」ところから生まれる。科学にも流行があり、その波に乗ろうと多くの研究者が右往左往する世の中にあって、自分の興味と運を信じて自分の道を進む勇気が必要である。そしてこういった一見流行からは取り残されたような研究を行なっている研究者を支えるシステムも新しい科学技術の流れを生み出すためにはぜひとも必要である。私にとって、この「思い切ってやってみる」環境を与えてくれたのがERATOプロジェクトである。
プロジェクトには期間、期限というものはつきものであるが、研究には切れ目はない。このプロジェクトで示すことのできたコンセプトはコロンブスの卵のようなものである。ひとたび海路が開けると、あとは大競争の時代となるのは科学の世界、さらには産業の世界においてもしかりである。幹細胞を用いた再生医学研究はいまや大競争時代を迎え、私たちが開拓した海路をつたって新たな新大陸を発見する(つまり新しい医療として実現する)競争者が出てくることは間違いない。またその時期も、本技術に関連する周辺の科学技術の進歩(例えばiPS細胞技術の進展や、細胞バンクの整備、新たな免疫抑制剤の開発、マイクロサージェリーの進歩、体内微細環境のモニタリング技術開発など)により以外と早く(おそらく10年程度)来るであろう。そのような事態を想定し、基本コンセプトに関連する知的財産の確保、さらには活用に向けて特許管理会社を設立し特許の維持・補強を行っている。私たちが開拓した新しい分野を、自らの手で人類の福祉の向上に役立たすことができるか、本当の勝負はこれからと言える。