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::: 目的・計画 :::


1 研究の概要

生命システムの普遍的性質を定量的レベルで理解するための新しい学問分野を確立することが目標である。



この学問においては、生命システムの普遍的性質を抽出し、理解していく。例えば、以下のような普遍原理の探求をおこなう。
  *生物が機械とは異なって柔軟にかつ安定した振舞いを示すための原理
  *「内部自由度を持ち増殖する」システムが持つ普遍的特性の抽出。それをもとに生物の柔軟性、可塑性を定量的に測定、表現する方法論の提示。特に「ゆらぎ」に着目して「細胞状態」を記述する統計力学を構築する。
  *生物が一方で同じようなものをつくり(再帰的増殖)、他方、分化、多様化するという両面を持つ。この普遍的性質の理解。
*発生がなぜ安定して進行するか、細胞分化にみられるようなもとに戻せなくなる不可逆性、一方で操作による再生可能性を理解できるか。
*進化のしやすさを表現型、発生の可塑性と関係づける論理の完成。
理論、実験が協力してこの学問を創出していくにあたり、我々は、
(1) 個々の要素と全体の間のダイナミックな相互関係として生命システムを理解する「複雑系生命科学」
(2) 今ある生物にとらわれずに、こちら側から基本性質を設定してその普遍的性質を抽出するという「構成的生物学」
という2つの立場をとる。以下、簡単に、これらの学問に至った経緯を説明する。

この50年、分子生物学は数々の成果をもたらし、生命の各要素過程の詳細が次々と明らかにされてきた。重要な機能と関係する遺伝子を見出し、さらにはゲノム、プロテオームなど膨大なデータベースが作成され、その結果各要素を組合せた「機械的な」生命観が形成されてきた。しかし、実際の生物はかなりコントロールされた条件のもとでも機械的振る舞いからのずれを示す。分子生物学は、しばしば、ある条件ではある応答が出るという「条件文」(論理式)の考え方を用いるけれども、実際は(i)分子(遺伝子)の役割は多様であり、原因結果は一対一ではなく、その働きも状況に依存し(ii)細胞内の過程は分子の反応であり、計算機と違って大きなゆらぎがある。このように、揺らぎの多い素過程がたくさん絡みあっているにもかかわらずその総体として生命はうまく働いている(揺らぎ、ネットワーク、安定性問題)。ただ、ゆらぎの中で柔軟に全体としてうまく働くという印象を漠然としたままにしていては自然科学にはなりえない。(一見曖昧な問題こそ厳密に扱わねばならない)。そのために(1)の複雑系生命科学を構想、理論、実験研究を進めて来た。そこにおいては「分子」生命観とは相補的な立場をとり、「生命が、各要素のやわらかさによって、部分と全体の間にダイナミックな相互関係を作って安定化する」しくみをあきらかにしようとしている。1つ1つの分子過程を枚挙するのではなくて、システムを「薄目で」みて一般的性質をとらえていく。

一方(2)の構成的生物学では、進化によって与えられた現在の生命を調べるのでなく、我々の側から条件を設定して、生命の基本的複製過程や発生過程がいかにあらわれるかを調べる。従来の研究のように、取り除くとシステムが働かなくなる分子を探る、つまり、生物機能の「必要条件」を探求する、のではなく、こちら側で決めた条件でシステムを構成し、それによってどのレベルの生物機能があらわれるかという十分条件を探求する。いいかえると、進化を通してチューンアップされた「非常によく出来た機械」という面に着目するのでなく、最低限生命システムがみたす普遍性質を探る。

具体的例を以下の表に掲げた。(各項目個別の詳細は2の計画に譲る)。例えば、内部でタンパクやDNAを合成しつつ自律的に増殖するリポソーム系を構築しながら、いかに多くの反応のゆらぎが制御され、それにより細胞の再帰性(くりかえしほぼ同じものが再生産されること)があらわれるかの論理を明らかにする。このように構成的生物学は一方では「生命を作る」という人類古来の夢を目指すものであるが、それを通して生命システムのみたすべき基本的論理を求めるのが肝要である。それゆえ、対応して理論モデルを考え、その結果から普遍的論理を探っていく。実験−モデル−理論の協同作業は必須である。

構成する対象実験課題論理
複製人工細胞膜、タンパクDNAの自律的複製増殖系揺らぎの制御
遺伝情報の起源
ネットワーク進化条件
普遍統計則および少数分子制御によるそれからのずれ
適応細胞系人工遺伝子ネットワークを埋め込んだ大腸菌揺らぎの利用;応答、恒常性揺動応答関係
ルシャトリエ原理
アトラクター選択
多細胞システム大腸菌等の相互作用による役割分化揺らぎの選択的増幅と集団としての安定化内部ダイナミクスと相互作用による分化
進化・大腸菌の人工進化系
・粘菌でのマクロパタンの進化
揺らぎと可塑性の関係;可塑性の減少ダイナミクスの遺伝情報への固定化
共生系異種生物間での共生可塑性の回復とそのダイナミクス可塑性のネットワーク構造への固定化





2.計画

東京、大阪にそれぞれ理論、実験のグループ(計4グループ)をおく。理論は駒場が主、実験は大阪が主ではあるが、これまでも参加予定の中心メンバーは緊密な連携をして研究し続けてきたのでそれをうけついで理論と実験が一体となって研究を進める。より具体的テーマは以下。

(A) 人工複製細胞系の構築――揺らぎの制御の法則――論理化
これまでに共同実験グループとともにリポソームの分裂増殖系、リポソーム内でのタンパク合成、RNA翻訳、試験管内でのタンパクーDNA自律増殖系を構築してきた。これらを組み合わせて、内部の反応を通して自律的に増殖する細胞を構築するのが目標である。ここで問題となるのは各過程の干渉である。時に、細胞は多くの化学反応が同時に進行している並列コンピュータと対比されるが、コンピュータとは違って、その素子たとえば、たんぱく質など、の量は大きく揺らぐ。(実際われわれは、同じ遺伝子を持った細胞を同じ環境で培養しても、それぞれのたんぱく質の量は細胞間で1桁以上ばらつき、対数正規分布という普遍分布をみたすことを実験、理論の両面で明らかにした。)このように大きく揺らぐ素過程が干渉すると、安定した増殖は簡単ではないであろう。それが複製系構築の困難をもたらしている。そこで化学反応から徐々に複製系の階層を構築しながら各段階で現れる反応系の揺らぎを測定し、細胞内反応ネットワークがいかに揺らぎを制御しているかについての基礎的知見を得る。対応して、増殖可能な反応ネットワーク系の理論により、各段階について、成分のゆらぎの統計則と反応ネットワークのトポロジーの変化を明らかにする。それを通して、反応系の中からいかに「柔軟なプログラム」としての振る舞いが生じるかを解明する。つまり、揺らぎの大きな素反応の集合である生物がどのようにして全体の動的秩序を作り出しているかを明らかにする。





(B) 適応、応答系の構築――揺らぎの利用――可塑性、恒常性の論理
細胞(大腸菌)内に人工的な遺伝子ネットワーク系をうめこみ、その細胞が環境の変化に適応して応答できるかを探る。定量的には各遺伝子の発現をGFPで可視化し、その発現量(表現型)の揺らぎを精密に測定し、統計理論、力学系理論の立場で解析する。一方で、昨年、遺伝子変化に対する表現型の変化率が表現型揺らぎと比例するという理論と実験を発表したが、これを発展させて、環境が少しだけ変化したときの細胞の応答と揺らぎを結びつけ、環境変動に対する細胞の恒常性のしくみを定量的に明らかにする。一方で、ある栄養成分を除くなどの大きな環境変動に対しては、この細胞の状態はスイッチ的に変化することを見出した。これは「直接的なシグナル伝達系なしで」細胞が適応したものであり、これを「ノイズによるアトラクター選択」という理論で説明しようとしている。この理論、実験を発展させ、ゆらぎの中で適応的な応答がいかに可能かを示すとともに、細胞内の反応経路がゆらぎの中で干渉しながら機能するための論理を明らかにする。つまり、細胞のもつ基本的な性質――環境適応能、恒常性と揺らぎの関係を、実験と理論の両面から統計的に理解する。





(C)多細胞システムの構築――揺らぎの選択的増幅――分化、多様化の論理の解明
細胞集団はその相互作用を通して分化しうる。これまでに細胞がゆらぎを増幅させて状態が多様化し、相互作用を通していくつかの安定した状態に分化することを理論的に示してきた。そこで、前述の人工遺伝子ネットワークを組み込んだ細胞の集団系を用い、分化する人工多細胞系のプロトタイプを構成する。さらに表現型の変化を遺伝子発現の変化として追跡し、生物システムの持つ「可塑性」を定量化し、力学系理論の立場で解析する。これにより細胞間相互作用が作り出す高次生命現象、細胞分化、進化、共生などが大きな揺らぎの中でなぜ可能かを明らかにする。





(D)進化の構築―-遺伝子型・表現型のマップの可塑性―
(B)(C)で述べたように、同じ遺伝子を持った個体でも表現型はゆらぎ、また分化しうる。そこで一般的には遺伝子と表現型の間の対応は固く決まらない。では、この表現型可塑性と進化はいかに関係するのであろうか。実験的にはまず大腸菌に変異と選択を加えて、実験進化を行う。そのことによって、環境揺らぎのなかで、遺伝的多様性がいかに生じるかを明らかにする。一方、既に表現型可塑性の遺伝子への固定化の理論を発表しているが、この実験的検証、理論の一般化を行って遺伝的進化と表現型可塑性の関係を完成させる。
一方で、粘菌のcAMPの波のパタンを用いて、細胞揺らぎが多細胞のマクロなパタンの揺らぎへいかに影響するかを解析する。この波のパタンを表現型にとり、遺伝子型―表現型の対応の可塑性および進化を調べ、マクロレベルでのゆらぎと可塑性、進化的安定性との関係を明らかにする。





(E)共生の構築―-gifワーク進化の論理―-可塑性の制御とゆらぎの構造への固着化
既に構築した2種生物の人工的な共生系(大腸菌と粘菌、またシアノバクテリアと繊毛虫)を用いて、その共生の過程でそれぞれの生物の状態がどの程度変化するかを測定し、揺らぎの中で、安定した生物間ネットワークが出来上がる機構を明らかにする。この実験をふまえて遺伝子発現分布の変化とネットワークトポロジーの変化の関係を理論的にあきらかにし、生物が持つ「困ったら変化して適応していく」仕組みを理論的に求める。

      





なお、この計画には、以下の特徴がある。
*理論と実験の緊密な相互作用
これまでの複雑系研究所やグループと異なり、金子と四方(阪大)たちは理論と生物実験の緊密な連携を行って研究を進めてきた。おおよその実験方向が理論との議論から生まれ、おこなわれた構成的生物実験から、当初の理論以上の発見が生まれる。それをもとに理論をより拡張し、新しい予言が行われ、…。このキャッチボールによる螺旋的発展を当プロジェクトではさらに進める。この共同作業が進むようになったのは、一つには生物実験がセルソーター、マイクロアレイ、蛍光タンパクなどの技術によって、定量的次元になったためであり、もう一つは、この20年ほどの非線形物理、統計力学、確率過程論などの進歩により、生命システムへの実質的理論が可能になってきたためである。これらを完全に連携させた点が当計画の特徴である。
*枚挙型生物学および枚挙型モデル化(システム生物学)ではなく、生命への理解を与える学問
近年、片端からデータを集め、それをすべて組み込んだモデルを作ろうという試みが盛んである。しかし、それだけでは生命の性質はわからない。それに対して相補的なアプローチとして、当プロジェクトでは統計力学、複雑系研究が培ってきた「普遍的性質を抽出する」という方法論にたち、それを拡大して「生命とは何か」に答える方法論を提示し、それにのっとって理論、実験研究を進める。




3.研究事項

(1)構成的生物学実験グループ(大阪実験グループ:阪大・四方哲也グループリーダー)
・生化学的な材料を用いた人工細胞構築 連続複製するリポソーム内で並行して転写、タンパク合成を完成する。(A)
・人工遺伝子ネットワークをくみこんだ大腸菌を用いて、その適応特性を求める。特に高速で環境を変化させる実験装置をたちあげ、細胞の示す遺伝子発現揺らぎと環境変化の関係を求める。(B)
・相互作用を制御した環境下で上記細胞の分化の測定、多細胞生物の構築(C)
・大腸菌を用いた人工進化実験、特に表現型ゆらぎの変化。さらに表現型分化が遺伝子への固定をマイクロアレイで測定(D)
・人工共生体が共生に至る過程をマイクロアレイ、蛍光タンパクによる表現型測定(E)
(2)構成的生物学理論グループ―ネットワーク進化―(大阪理論グループ、阪大・古澤力グループリーダー)
・マイクロアレイのデータ解析のよりよい手法を開発。それにより共生系形成過程におけるゲノムネットワーク中の遺伝子発現の変化の解析し、その力学系の構造を明らかにする。それを基に、細胞状態の可塑性の変化、発生過程の不可逆性、細胞の履歴(記憶)現象を捉える理論を構築する。そして、細胞が困ったら変化して、集団としての秩序を生み出す仕組みを明らかにする。(E)
・化学反応ネットワークからなる細胞モデルを計算機の中で進化させ、成分量の普遍統計則を検証、さらにそれがネットワーク構造へと埋め込まれていくかを明らかにする。(A、D)
(3)複雑系ダイナミクス解析実験グループ(駒場実験グループ:澤井哲グループリーダー)
・粘菌を用いてcAMPの濃度の波のマクロなパタン、特に細胞レベルのゆらぎの影響を解析する。これをふまえて遺伝子型とマクロな表現型の対応を追跡し、表現型可塑性と進化の関係の定量的研究を進める。(C,D)。
(4)複雑系ダイナミクス解析理論グループ  ――階層的ゆらぎの理論、生命システムの可塑性の理論――(駒場理論グループ:藤本仰一グループリーダー)
揺動応答関係の一般化、少数分子のゆらぎ特性、ゆらぎのマクロレベルへの選択的増幅、遺伝情報への固定化、可塑性表現のダイナミクス等、計画全分野にわたる理論研究(A-E)を推進。これによりダイナミクスの中からのプログラム的振る舞いの生成の理論、細胞の状態論、生物の可塑性を定量的に記述する理論を提出する。

(申請書類に基づく/2006.8.17)

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