JST > 戦略的創造研究推進事業 > ERATO
ERATO
Exploratory Research for Advanced Technology 
戦略的創造研究推進事業(総括実施型研究)
創造科学犠実推進事業
TOP お問い合わせ サイトマップ English
HOME ERATOとは 研究プロジェクト 中間・事後評価 募集について
HOME > 評価 > 創造科学技術推進事業における研究プロジェクトの事後評価について > 川人学習動態脳プロジェクト事後評価報告書
川人学習動態脳プロジェクト事後評価報告書
過去のお知らせはこちら
総括責任者 川人光男(ATR人間情報科学研究所 第3研究室長)
研究体制: 計算神経生理グループ 研究員 銅谷賢明 他4名
計算心理グループ 研究員 今水 寛 他4名
計算学習グループ 研究員 Stefan Schaal 他4名
評価委員 浅田 稔  大阪大学大学院工学研究科 教授
甘利俊一  理化学研究所脳科学総合研究センター 領域ディレクター
丹治 順  東北大学大学院医学系 教授

 

1. 研究の内容
 脳は10の11乗個ともいわれる数の神経細胞(ニューロン)が結合してできた大規模で複雑なシステムである.しかも1個のニューロン自体が生体高分子の働きにより、きわめて巧妙で複雑な機能を持っている。脳は、こうした生物学的な装置を用いて、個体が環境の情報を認識し、記憶し、さらに行動を通じて外界に働きかける情報処理のための装置である。そればかりか、それは個体間のコミュニケーションを可能にし、人間にあっては言語を発展させ、心を生み出し、社会を作るなど、高次の精神活動の源となっている。
 脳の研究は古くから行われてきた.解剖学や生理学が発展し、その部分の働きは比較的良く理解されてきたものの、脳のシステムとしての総体的な働きと仕組み、とくにその情報処理の基本となる原理については、いまだに我々の理解が及んでいない.近年、分子生物学の発展によって、脳の要素である生体高分子の引き起こす巧妙な働きの理解が進んできたが、システムとしての脳の秘密を攻略するには、さらにこれとは異なる方法が必要になる。
 従来、脳のシステムの研究は、巧みな実験パラダイムと微小電極や染色法などの技術を用いた実験的な手法が主導してきた。近年になって新しい脳活動の測定技術が発達し、研究はさらに活発になってはいるが、脳の情報処理の仕組みと原理を解明するには、いままでの伝統的な神経生理学、神経解剖学、分子生物学など、ハードウエアに主体を置く研究と並んで理論的ソフト的な研究が必要である。David Marrは計算論を唱え、脳の理論研究において、計算論のレベル、アルゴリズムのレベル、ハードウエアによる実現のレベルの三つを区別して研究を進めることを主張した。これが計算論的神経科学と呼ばれるものである。
 本プロジェクト研究は、Marrの考えを継承しつつその至らなかった点を全面的に克服し、総括研究者がこれまでに成し遂げた感覚運動変換理論を基礎として、さらに一歩進めて運動制御、学習・記憶などの脳機能に挑もうというものである。また、これをヒューマノイドロボットによって実証し、さらにはコミュニケ-ション、思考、意識などの高次脳機能にも挑もうと言うきわめて野心的なものである。このために、本研究では対象を個別領野や機能に分断することをせず、脳の入力から出力までを首尾一貫して理解すると言う方針をとる。このために、生理学データの解析、心理・行動実験、計算理論研究、計算機シミュレーションによる実証、ヒューマノイドロボットを用いた実装実験を有機的に組み合わせ、三つのレベルの計算論を分断することなく研究する.これを実行する組織として、(1)計算神経生理グループ、(2)計算心理グループ、(3)計算学習グループの3班を編成した。
 計算神経グループは、大脳基底核を中心にその学習機能に着目して強化学習モデルを提案し、これを生理学実験、心理・行動実験、非侵襲脳活動計測よって検証することを目指した。さらに運動学習だけに限定せず、高次認知機能の計算論的モデルをここでの強化学習および系列学習の延長上に捉える広い内容を含んでいる。
 計算心理グループは、視覚運動変換にかかわる計算理論とモデルを検証するために、心理行動実験の新しいパラダイムを構築し、これをfMRIなどの脳活動非侵襲計測法を用いて実証すると言う方法を取る。これはさらに脳における内部モデルの存在、小脳における内部モデルの学習による獲得、大脳小脳の機能的な結合についての研究につながっていく。
 計算学習グループは、脳神経系の学習能力を理論的に明らかにする学習計算理論の確立を目指すと共に、ヒューマノイドロボットをテストベッドとする脳の研究を目指した.とくに、視覚運動学習の表現、そのアルゴリズム、またそのためのハードウエアを研究し、入力から出力への並列重層的階層処理をロボット上に実現する研究を行う。これは、ロボット工学における新しい方向をも示唆する。

 以上を要約すると、本研究の目指す内容は脳の情報処理の仕組みに理論主導のもとで直接に挑むというきわめて野心的なものであり、その広がりと展望は従来の脳研究の殻を破る画期的なものである。これは多くの新手法の導出やロボットを含む装置の開発を含んでいる。特筆すべきことは、本来総合的に機能する脳を総合的に捉えるという、困難ではあるがきわめて大切な視点で眺んで成果を挙げたことである。
2. 研究成果の状況
 本研究プロジェクトは、発足直後から着実に成果を挙げ、後半は当初の予想を上回る新しい着想を得てそれによるきわめて興味深く重要な成果を導いている。研究の幅はきわめて広いものであるが、それらは相互に有機的に関連していて、全体として今後の神経科学の行くべき方向を示したものと言える。これらの成果は、Natureを始めとする一流の国際学術誌に発表された92編の論文、3件の特許出願、国際学会における数々の招待講演の依頼などからも明らかである。
 以下に、主な成果の概略を研究グループ別テーマ別に記す。

1) 計算神経生理グループ
1-1. 小脳・大脳基底核・大脳皮質の学習原理
行動学習の枠組として「強化学習」が知られているが、その具体的な計算法はきわめて複雑であった。運動の内部モデルと組み合わせた新しい計算法を導出し、強化学習により効率の良い学習と制御が可能なことを実証した.これは大脳皮質と大脳基底核の機能連関モデル及び大脳皮質と小脳を結ぶモデルであり、これを手がかりに、さらに小脳、基底核、大脳の学習様式がそれぞれ「教師付き学習」「強化学習」、「教師なし学習」であるという興味ある仮説を立てるに至っている。
1-2. 小脳の学習を支えるメカニズム
小脳における学習の過程を、細胞内の化学反応系のシミュレーションにより力学系の特性として明らかにする研究、小脳での符号化とその効率の研究などが行われた。また、小脳の下オリーブ核からの登上繊維でのスパースな発火が脳内情報の確率表現であること、確率的表現を生成するメカニズムとしてカオスダイナミックスが利用されていること示した.これは、脳におけるカオスの利用の具体的な例として興味深い。
1-3. 大脳皮質の双方向ダイナミックスによる情報表現と推定
視覚野は、物体の各小領域で提示される運動情報(オプティカルフロー)を総合し、全体の運動を推定している。これはアパーチャー問題と呼ばれる不良設定問題である.脳内での双方向ダイナミックスを用いてこの問題を解く神経回路モデルを構成し、視覚心理実験と照合してこのモデルの妥当性を示した.この他、眼球運動にかかわる神経場のダイナミックスの研究もある。
1-4. 系列運動の脳内表現
大脳基底核における系列運動学習のモデルを提唱し、指の系列運動の行動実験を行って、この仮説を検証した。
1-5. 並列的、階層的学習のメカニズム
起立運動学習ロボットを設計試作し、階層的な強化学習方式を考案して、並列、階層的な学習が効率よく行えることを実証した.これはさらに、MOSAICと呼ぶアーキテクチャーに一般化される。ここでは、制御器と予測器の対を多数用意し、行動の中で現在の状況を最も良く捉える対に対して大きな重みを与え、これをもとに学習を行う。この考えは、さらに見真似学習の理論付けに、また高次の認知機構やコミュニケーションの形成のモデルに発展していくであろうことが示唆されている。

2) 計算心理グループ
2-1. スティフネスの適応制御
運動学習など、新しい動作を学ぶときに、始めのうちは運動器官である筋肉のスティッフネス(硬さ)をまして安定性を保ち、習熟するにしたがってこれを減らして円滑効果的な運動を行うことが考えられる。本研究は筋電位からスティッフネスを推定する新しい方法を考案して、筋肉制御による学習の機構を明らかにすると共に、運動学習に関して「拡散力場」というパラダイムを提唱して、身体運動およびその学習の一つの原理を明らかにした。
2-2. 道具の内部モデル
学習によって小脳にシステムの内部モデルが獲得されるとする「フィードバック誤差学習スキーマ」を実証するため、人の回転マウスを用いた学習過程における小脳の活動をfMRIを用いて計測した。これにより、学習初期における学習用誤差信号の発生、学習後における獲得された内部モデルの活動の観測を行い、学習のスキーマの実証に初めて成功した。
2-3. 大脳−小脳連関と道具の使用
小脳の学習は、大脳の活動にガイドされていると考えられる。回転マウスを用いた実験において、学習の初期と習熟後における脳活動を脳全体にわたって調べ、学習により大脳領域と小脳領域の結合が機能的に上昇することを示した。
2-4. 運動機能から認知機能へ
ランダムな点の動きに埋め込まれた像から我々は人の運動を検出できる。このときに活動する大脳の部位をfMRI計測で特定することにより、見真似学習につながる他人の運動の理解にかかわる神経機構の解明のための手がかりを得た。ここからさらに小脳のモジュール性、その選択と階層構造など、高次脳機能にかかわる重要な理論が生み出される。

3) 計算学習グループ
 理論を実証するためには、ロボットを用いてその実現可能性を検証することが不可欠であると言う考えのもと、全身型ヒューマノイドロボットを開発し、これを用いて認知および運動にかかわる計算論を実装し、ロボットの学習制御を行った。
3-1. 統計学習アルゴリズムの開発
非線形多自由度のロボットの逆ダイナミックスや逆キネマティックスを内部モデルとして獲得する際に、大局的で複雑な関数をどう効率的に取り扱うかが大問題である。本研究では、局所線形学習アルゴリズムを提案すると共に、これにより複雑な非線形関数が大域的に学習可能であることを示し、ロボットに実装することでその効果を実証した。
3-2. 見まね学習
見まね学習は、人においてもロボットにおいてもきわめて直接的で重要な学習の方式である。ここでは、学習者は教師の動作から自己の運動の指令を生成しなければならない。これは、身振りから人の動作の意図を理解することにも通ずる基本的な問題である。本研究では、画像生成のモデル、統計的最尤推定、ロバスト推定などの手法を組み合わせ、多様な動作に関してロボットの見真似学習を成功させた。
3-3. 運動プリミティブ
人の行う複雑な運動は、原始的な運動パターンであるプリミティブの組み合わせとして実現できる。ロボットの行動研究により、動学的協調運動的プリミティブを構成し、これを用いて、ロボットの運動制御を行うと共に、ロボットに人間の動作に同期したドラムたたきなどを行わせることに成功した。
3-4. 眼球運動の学習制御
眼球運動の学習制御については、多くの脳研究がある.前庭動眼反射に関して、脳の計算原理、解剖学的構造、さらにフィードバック誤差学習の原理から出発して、ロボットに適用可能な工学的モデルを提案し、これをロボットに実装してその性能を実証した.これはさらに人間やサルの脳の神経機構に対して示唆を与える。
3. 研究成果の科学技術への貢献
 脳は従来、生物系の科学として実験により事実を発見しそれを積み上げて全体の理解にいたる方法が主流であった。しかし、脳は情報を処理する器官であること、しかもそれはきわめて複雑で精緻なシステムであることを考えると、脳の研究における理論的な方法とくに情報科学・技術や数理科学からのアプローチが不可欠であることがわかる.計算論的方法は、このために提唱され、計算論的神経科学として認められつつある。日本が提唱した、「脳を創る領域」を脳科学の重要領域の一つとする戦略もこの流れに沿ったものであった。
 しかし、従来の研究は、脳の個別領野に限った研究であったり、特定の機能に限った研究が主で、脳全体のシステムとして捉え、さらに認知から行動に至る機能を一貫したものとして捉えるまでには至っていなかった。これは一個人、一研究室の手に余ることと考えられていたともいえる。本研究は総括責任者の優れた発想、構想力、指導力を十分に発揮して、脳の研究に一つの新しい流れを創り出したものである。すなわち、計算論的神経科学のあるべき姿を具体的な研究とその成果によって示したもので、世界の「脳を創る領域」のあり方を先導するものである。
 本研究は、先に述べたように広い範囲にわたる研究テーマで世界の最先端を行く優れた成果を挙げたが、重要なことはそれが個別の研究として優れているだけではなくて互いに関連しており、脳の領野、機能、研究方法のすべてが一つの思想の基に統合されていることである.その成果は、次の三点に要約できよう。
1) 計算論的神経科学のパラダイムを革新することにより、将来の脳科学のあり方に関する新しい方向を示した。
2) 言語を含む人のコミュニケーション、さらに思考や推論などを含む高次の脳機能に迫る新しいパラダイムを提案した。
3) ロボット研究と脳研究とを融合して、双方に関連するあたらしい研究領域を創造した.これは人工知能研究にもつながり、将来の脳・生物科学と情報科学・技術との融合領域のひとつのあり方を示すものである。
4. 波及効果
 脳の科学は、人間とその社会を理解するための最も基本的な総合科学である.本研究は新しい脳科学のあり方を示し、脳科学の重要性と社会に対するその理解へ大きく貢献するものである.本研究にかかわるこれまでの数々の報道は、人々の理解を大きく促進した。また、本研究はこれからの人工知能の研究、ロボット工学の研究、学習の研究など、情報科学・技術の新しい方向を示し、情報の分野が生物科学と融合して新しい研究領域を作る先駆けともなるものでもある。  問題となるのは人材の不足である.日本における大学の今までの硬直したあり方が、このような新しい科学に通ずる人材、とくに生物と情報の双方に通ずる人材の育成を阻んできた。しかし、本研究を見るに、指導者の優れた個性と、指導力、構想が、これを開花させる優れた制度と出会えば、このような壁を破り有為な人材を生み出せる.この研究から育った人材は世界各国に拡がり、また日本でも民間国立を問わずいろいろな場所で活躍を開始している。

5. 結語
 本研究は、生物科学と情報科学を融合した新しい脳科学のパラダイムを示し、それにより数々の具体的な成果を挙げた。個人の創造性を十分に発揮させるというERATOの制度に合致した一番の成功例のように思える。本研究は5年間で終了したが、科学におけるパラダイムの創出と言う点でも、人材の育成と言う意味でも、日本のみならず世界の研究を先導するものとして、今後永くにわたって影響を与えるものと思われる。

This page updated on November 5, 2002
Copyright© 2002 Japan Science and Technology Corporation.
www-admin@tokyo.jst.go.jp

前へ戻る

 
独立行政法人
科学技術振興機構 過去のお知らせはこちら ERATO
Exploratory Research for Advanced Technology 
戦略的創造研究推進事業(総括実施型研究)
創造科学技術推進事業 ERATO