科学コミュニケーションについて知りたい

インタビューシリーズ「科学と社会の関係進化のために」

Vol.04
科学と社会の関係深化のために
異分野と共に目に見えない課題を探る

江間 有沙
東京大学教養学部附属 科学技術インタープリター養成部門 特任講師

「意識されないうちに少しずつ我々の生活や考え方は変わっている」。そこが面白いと着目する江間有沙さん。理工系、人文・社会科学系など多様な分野の人と対話の場を持つ江間さんは、自らの活動を「地味だけれど贅沢」だと言う。自分自身の「当たり前」に気づく場に身を置くことで、「科学技術とは何か」「科学と社会の関係とはどのようなものか」を根本から問い直そうとしている。


函館で開催された人工知能学会で発表する江間さん

「科学と社会の関係深化」という言葉から思うこと

 「科学と社会の関係深化」と言われると、まず、「科学」と「社会」が何を意味するのかが気になります。私たちはいま日本にいて、科学技術で話題となるニュースは最先端のものが多いですが、それ以外の科学技術もあります。例えば発展途上国などで必要とされているのは、汚れた水を浄化する安価なシステムだったりします。このように、現場レベルで求められて導入されているのは最先端ではなく「枯れた技術」であることも多い。それにもかかわらず、日本にいる現在の私たちは、「科学と社会の関係深化」と言うときに、人工知能や生命科学などの「最先端」の科学と社会をイメージしがちのような気がします。

江間有沙さん。京都大学の吉田泉殿にて。提供:京都大学白眉センター

 次に、その多様な「科学」と「社会」がどのような関係にあるのかというと、これもまたいろいろあります。「関係を深化させなければならない」と言われるときには、萌芽段階にある科学技術、あるいはリスクがあるような科学技術が想定されているように思います。しかし一方で、私たちが意識しないで使っている科学技術もあります。

 あるとき技術屋さんと話をする中で、製品を作るのに「我々は技術が意識されたら負けだと思っています」と言われて、「なるほど!」と思ったことがありました。彼らにとっては、息をするように自然に技術が使われることが目的であり、科学技術に対して「いかに社会との関係を深化させるか」というお題を立てられたらもう失敗なのだなと。

顕在している課題と潜在している課題

 私たちは科学技術に囲まれて生活しています。その意味で、とっくに「科学と社会の関係は深化している」とも言えます。しかも科学と社会の関係は、多くの場合、意識されずに少しずつ変わっていきます。

 例えば、情報技術の進展によって、記憶、判断、計画、コミュニケーションの仕方が変わります。インターネットや携帯電話といった目に見える「モノ」が普及しただけではなく、私たちの「考え方」も影響を受けます。一例を挙げると、気象庁の歴史を紐解くと降水確率予報の開始は1980年だそうです。当時「降水確率は20%」と報道すると、20%雨が降るということはどういうことなのか?つまり傘を持っていけばよいのかどうか?という問い合わせが気象庁にあったという話を聞いたことがあります。しかし今ではそのようなことはなく、確率で状況を捉える考え方は一般に浸透しています。

 急激な変化は摩擦や軋轢を引き起こすため、「リスク」として顕在化しやすい。しかし時間をかけてゆっくりと浸透していくこと、あるいは変化することで特段生活に差しさわりがないこと、便利に安全になっていることは、議論の俎上に載らない。むしろ議論の前提となります。そして、いつの間にか、その科学技術がない生活が想像できないほどになっていく。

 それは、人間が科学技術に適応していると見ることもできれば、社会が科学技術を欲し、飼いならし、使いこなしているのだとも言えます。科学と社会の関係では、顕在化されているリスクのほかに、こうした「意識されないところに忍び寄り、人知れず生活や考え方、倫理観が変わってしまうような小さな変化の積み重ね」があり、むしろそこに私は興味があります。それは科学と社会の関係に限らず、政治経済や教育の変化にも当てはまります。

課題を発見・再定義するための創造性

 まだ見えていない変化や課題を指摘するのは、社会科学や人文学の役割であるとよく言われます。特に近年、倫理的、法的、社会的な問題(ELSI:Ethical, Legal, Social Implications)など、科学技術のリスクや課題を解決するために、人文・社会科学者の視点が必要と言われます。しかし、科学と社会の関係においては、実際に技術が投入されて使われてみなければ、どのような問題が起こるのか、あるいはどのような社会集団が現れるのか、事前に予想するのが難しいこともあります。

 私は情報系の研究者と哲学・倫理学の研究者、科学技術社会論の研究者からなるAIR※1sup>というグループで協同研究をしています。人工知能そのものが、哲学、認知科学、情報学などから形成された異分野連携の学問なので、共通の古典があったりします。そのためか、何回も議論をしていると、最初はつながらなかった話がなんとなく分かってくるようになる。同時に、自分の分野の常識がほかの分野では常識ではないのだな、ということにも気が付きます。それが、今まで見えていなかった課題の発見や再定義へのきっかけとなります。

 ※1 AIR /Acceptable Intelligence with Responsibility。人工知能が浸透する社会を考える研究会。人と機械の共生の在り方について考えるため、SF作家などを含む多様なステイクホルダーへのアンケート調査や、第二次AIブームの時期を含む80年代、90年代の状況のオーラルヒストリー調査を異分野協同で行っている。

 人工知能に仕事が奪われるのではないかとの話も、現在我々が「仕事」と意味するものを再定義していくプロセスと捉えなおすことができます。例えば「お掃除ロボット」が家に入ってくると、掃除のために必要な人間の仕事が意識的あるいは無意識的に変わります(ロボットが動きやすいように部屋を片付ける、掃除する時間帯が変わる等)。ロボットが動きやすいように人間の仕事や環境を変える、あるいは人間が動きやすいようにロボットを配置するなど、機械と人間にできること、できないことを踏まえて仕事や環境を組み替えていく創造力が求められます。そして、実はそれは人工知能だから特別というわけでもなく、例えば掃除機が入ってきたときも変化はあったはずです。現在、人工知能の発展によって「人間には創造力が必要になる」と言われますが、このような身近なところで仕事や環境の組み換え作業をするためにも創造力は必要になってきます。

 人は慣れてしまうと、自分たちの思考や行動を意識することはなくなります。人文・社会科学者の役割は、科学と社会の相互作用を見つめることによって、そこで生じている変化や課題を発見、再定義しそれを言語化することだと思います。再定義するためには、どのような社会を作っていきたいのかなど価値観に係る議論もする必要があります。そのために、研究者は現場に出ていって、いろいろな人と対話をする必要があります。自分の分野から一歩外に出ることによって、他分野・他者へ気づきなどの刺激を与えるだけではなく、自分の分野の「当たり前」に気づき、新しい風を取り入れることができる。そういう異分野対話の場はいかにして形成できるのか、そのようなことを考えています。

AIR夏の合宿(軽井沢)での議論のようす

対話を積み重ね深めていくための工夫

 異分野の人たちとコミュニケーションするときには、場所や仕掛けが必要です。現職の東京大学の科学技術インタープリタープログラム※2はいろいろな分野の学生が受講しているのですが、学生に開放されている部屋があり、教室以外でも議論する場があります。前職の京都大学の白眉センター※3でも、1カ月に2回セミナーがあったほか、合宿や研究会などを通して分野の異なる研究者たちが集い、積極的に異分野間で話をしていました。

※2 東京大学 科学技術インタープリター養成プログラム/東京大学が大学院生を対象に、1年半の期間で行う大学院副専攻プログラム。学生各々が専門分野をベースに科学と社会の関係を探り、かつ両者のコミュニケーションを活性化していく力をつけるために、全学から講師を招き、講義や演習、ディスカッションなどが実践されている。

※3 京都大学白眉センター/京都大学が次世代研究者の育成を目的に立ち上げたセンター。白眉プロジェクトでは、人文学、社会科学、自然科学の全ての分野を対象に白眉研究者を国際公募し、毎年、最大20名の教員を採用。分野を超えた知の交流や対話を促し、学際的研究を支援する活動を行っている。

白眉センターでの対話風景。「シリーズ白眉対談⑧ アカデミズムと社会」より。
一見実用的でない学問の価値や研究成果の社会還元をめぐり、意見を交わした。
提供:京都大学白眉センター

 コミュニケーションのきっかけを一度きりにしないで継続していくには、遊びというか、「自分の専門や興味関心と重なるけれど少しずれる」ところに矛盾や面白さを感じられることが重要です。

 例えば、京都大学の学際融合教育研究推進センター※4が開催する学際研究着想コンテストをきっかけとして立ち上がった「生循環」※5という研究会があります。この研究会は、再生医療などの最先端の研究の説明を聞いた文系の研究者が、「命の終わりが果てしなく遠くなってしまったら...。ちゃんと死なせてほしいなあ」とコメントしたことが端緒となり始まりました。その言葉の背景には、現代の「生き長らえさせる」科学技術とは違う価値観があります。そこから現代の我々の生命観も、時代とともに作られた一例でしかないということに気付かされます。

※4 京都大学学際融合教育研究推進センター/複数の学問領域を横断する学際的な教育研究を機動的かつ柔軟に推進する実施体制の整備、および学際融合教育研究活動の支援を行うことを目的とするセンター。江間さんは平成27-28年学融合フェローを務めた。

※5 生循環/生命科学と人文・社会科学の研究者が融合し、自然や世界の中で「循環する存在」としての生命のあり方を問う研究会。2014年第2回京都大学学際研究着想コンテストで優秀賞を受賞したことをきっかけに結成された。

 生命科学者でなくても生命についてあれこれ議論してもよいはずだ。そんな考えから研究会ではいろいろな分野の研究者が、「生命って何だろう?」ということを自分の分野に引き付けて何時間も議論をしています。それは居酒屋での雑談のように、「お金にならない対話」と見えるかもしれません。そこでは「正しい答え」や「自分の研究を分かりやすく話す」ことが求められているわけではないため、「研究のアウトリーチ活動」とも違います。強いて言うなら、自分の専門ではないことでも間違っているのではないかと気にすることなく安心して議論ができる場所です。

 科学と社会の関係が複雑になっているからこそ、「正しい答え、一つの答え」が出せないものはたくさんあります。でもだからこそ議論をしていくことが必要になる。そんな考えから、NPO法人市民科学研究室のメンバーで、生活習慣病対策ゲーム、ネゴシエート・バトル(ネゴバト)※6を作りました。「健康に良いと分かってはいるけれど、できない」などのジレンマを議論するためのツールです。

 生活習慣病のリスクを減らすためには、医療関係者でない人でも自分の健康を考え意思決定していかなければなりません。普段、自分の生活習慣や健康への意識について、友達や同僚と話すことはあまりないかもしれません。ゲームを通して、対話のきっかけや自分の生活態度への理解となればと思っています。

 ゲームというツールは面白くて、京都大学物質-細胞統合システム拠点(iCeMS)のボードゲームTATEWARI※7の開発にも関わらせていただいたほか、最近では、所属している教養教育高度化機構の同僚とコミュニケーション型推理ゲームnocobon※8を作りました。自分ひとりでは絶対作れなかったので、これも異分野協同研究の産物です。

※6 ネゴバトHPNPO法人 市民科学研究室の科学コミュニケーションツール研究会が作成した、生活習慣のジレンマ(板挟み)について話し合うための対面型交渉型ゲーム。

ネゴバト

※7 TATEWARI/京都大学物質-細胞統合システム拠点の研究者らが開発した、「縦割り組織を前提とした組織内での協力や対話」についての学習を行うためのゲーム型教材。学際融合研究を進める上で重要なスキルを、子供のときから高められることを目指して企画・制作された。

TATEWARI

※8 nocobon/東京大学教養学部附属教養教育高度化機構の研究者らが開発した、科学と社会の問題、あるいは科学的なものの見方や統計リテラシーについて学ぶためのコミュニケーション型推理ゲーム。一枚のカードに記された科学や社会に関わる不思議なストーリーの謎を、質問することによって解き明かしていく。

nocobon

地味で贅沢なコミュニケーション活動

 冒頭で「科学と社会とはそもそも何か、どのような関係があるのかが気になる」という話をしました。完全に科学と社会の関係が深化すると、科学や社会の話はしなくなるのではないでしょうか。

 しかし昔のことを調べたり、異分野や他国の人、環境や視点の違う人たちと対話したりすることによって、自分の「当たり前」な状況を意識的に見つめなおすことができるようになります。それは、直接的には社会課題や科学技術のリスクを解決することにはつながらないかもしれません。あるいはそのようなことばかり考えていたら足場がぐらぐらして何も発言できなくなるかもしれません。しかし時々自分の立ち位置を見つめなおす機会があることで、行くべき方向性も見えやすくなるのではないかなと思います。

 科学の楽しさなどを分かりやすく伝える科学コミュニケーションや、科学と社会に関するリスクコミュニケーションと比べれば、自分の立ち位置や「当たり前」を疑うための異分野コミュニケーションは地味です。かつ、何か目に見える指標で効果が測定できるわけでもないため、近年、ますます忙しくなる大学や、成果主義になっていく研究環境の中で、そのようなコミュニケーションのための時間を確保できるというのは贅沢なことなのかもしれません。

 自分の立ち位置や前提を見つめなおすことは、自分の研究に示唆を与えるだけでなく、もう少し大きなテーマ、すなわち科学とは何か、社会とは何か、そして科学と社会の関係性とは何かを考えることにつながるのではないか。そのように思えるので、私は今、いろいろな人を巻き込み、巻き込まれながら、地味で贅沢なコミュニケーション活動をしています。

江間有沙(えま・ありさ)

2012年東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。12年4月〜15年3月まで京都大学白眉センター特定助教。15年4月より東京大学教養学部附属教養教育高度化機構科学技術インタープリター養成部門特任講師。NPO法人市民科学研究室理事。