71. 梶村語録(2)

「音楽CDの様に簡単な構造でも発明から産業まで7年ほどかかっている。ナノテクノロジーも一気に産業貢献を期待するのは無理がある。熱が冷めたとき時の取り組みが将来を決める。」
 この語録のメッセージを正しく理解していただくうえで、CDについて公表されている情報を整理しておく。

CDはオランダのフィリップス社とソニーが共同で提案し世の中に送り出された、光デイスクである。共同開発は1979年フィリップスのデモンストレーションをきっかけに始まり、3年後の10月にソニーから製品が投入された。
規格を決める舞台裏では、新しい市場のサイズを大きくするための協業と、ビジネスでは完全に競争相手になることを念頭に置いた駆け引きがあって、技術論議だけで進捗が決まるわけではないし、いつも出口まで道が繋がるとは限らない。後に8cmのCDも登場するが、デイスクの直径が比較的すんなり12cmに決まったのは最も説得性が有る、音楽の何%をカバーできるかであったということであったと公表されているが、すべてこんなにうまく運ぶものではない。時にはわずかな寸法差でも詰めきるのに大変な労力をさくことも起こったりするのである。
いずれにしても、音をデジタル化するなんてとんでもないといって、映像のデジタル化のほうが熱心に開発されていた時代であったから、おそらく、その前に商品デビューした家庭用のビデオテープレコーダーもそうであったというが、関係者といえどもCDが大市場へ成長すると確信していた人はいなかった商品デビューだったと思う。発売時のプレーヤーは今のCDプレーヤーの値段からは想像出来ない168,000(円)。デイスクはアナログレコードがあったからであろうが3500円から3800円の範囲の値付けで50タイトルが発売された。

ところがCDは予想以上(失礼!)に市場に評価され、1986年には音楽ソフトテープや、レコードを抑えて半数以上のマーケットを確保する快進撃となった。その後、幸運か推進者の深い読みがあってのことかは知らないが、16ビットを1単位とする記録方式を採用したことで、半分の8ビット基本のパソコンとの親和性がよく、パソコンソフトのデリバリーに使われ、CD−ROMとしてデスクトップパソコンにはすべて内蔵されるほどの展開がうまれたのである。
さらに、一回しか記録できないなんてと冷たくあしらわれたCD−Rも後に大ブレークし、CD−RW(これは繰り返し記録できる規格である)を含めCDファミリーとして発展を続け数兆円産業に成長したのである。


複雑な構造のデバイスが増えている今日の姿からすると、確かに音楽CDの構造、構成はシンプルである。構造がシンプルということは製作するプロセスがシンプルということで普及には極めて有利ではあるが、新製造大国が簡単にコピーできたり、追従できる不利をこうむるといった局面にさらされることもある。それでもシンプルイズベストは大量に需要をもくろむデバイスはもちろん、製造プロセスにとっても基本の要諦である。
CDの構造はデジタル信号を読み取るレーザーの波長を基準にして、光の干渉を利用して明暗を作り出すように凹凸を決めている。くぼみ(ピットと読んでいる)の幅は0.5ミクロンでピットの長さは0.83ミクロンから3.56ミクロンまでの9種類を用いている。このピットは内から外周部に向かって渦巻状に並べられている。凹凸は金型で作った原盤をポリカーボネートというプラスチック板の片面に成型技術を使って写して作る。その面に光を反射するアルミニュームや金を蒸着(またはスパッタ)して後は印刷できるような保護膜をつけるといった工程で仕上がっていく。
構造はさほど複雑ではないが、電気信号を扱う回路側が何もしないでノイズの無いデジタル音楽を楽しめるデイスクを作るのは至難の業である。

開発初期のCDは光にすかしてみると満天の星空だったと開発者が回顧しているように、ごみの影響などでピンホールが発生していた。もちろんピンホールを減らす工夫はするにしてもそれを大量生産する際にゼロには出来ない。仮にピンホールの無い(再生したときにノイズの出ない)デイスクをゴールにしたらCDは世の中に出ていなかったということになったろうがシステムサイドが、信号が欠落しノイズになる箇所は、識別してきちんと誤りを、人間が聞いても気がつかないように訂正するいわゆるエラー訂正機能を開発し、CDデビューを可能にした。


ナノテクノロジーは多くの国が重点投資している分野のため、研究発表はとてもフォローしきれない大変な量である。さらにそれはドリームテクノロジーでもあるから期待が高まるのも無理は無い。
しかし、
多くの新聞や雑誌にのる記事に常套的に使われるコメントは「・・・の開発に成功。得られた特性は・・・分野において注目されており、・・・・への応用が期待できそうだ。」「量子ドットで・・・を確認。3年後の光通信素子として集積化を目指す」といった調子であり、このように着飾った文言に惑わされるといった面もありそうである。
ナノテクノロジーの基礎研究から生まれる成果のかなりのものは、CDの例で言えば、一枚のデイスク面で一周の一部にピット列を加工して再生信号パルスが観測できたようなレベルであり、満天の星空であってもノイズだらけでも音楽を聞かせて見せたといった世界との間には大きな壁が存在していると認識したほうがよい(産業貢献の議論はこの壁を越えた先の議論になるということである)。このことを理解したうえで産業貢献につなげていく支援をしたいものである。

ナノテクノロジーは一過性のブームで終わるとは思えないが、幅広い貢献がイメージされているだけにカテゴリーによっては熱が冷めてしまうことも起こりえる。そのとき大勢に従ってしまえば、ナンバーワンもオンリーワンも泡のように消えていく。
何でも続ければ良い訳ではないが、IBMが熱心だからうちもやってみようとか、IBMがもうあきらめたらしいからやめようとかいった主体性の無い判断だけは避けたいものである。



                              篠原 紘一(2005.4.8)

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