7. 「現場に道あり」


 これは定年の1ヶ月前に急逝した私の上司であった先輩の遺作のタイトルである。あれから10年がたつ。

先輩(彼)は技術の持つ可能性にロマンを抱き続けた。定年が近づくにつれ気がかりなことがあって、メモ(原稿)を作っていた。
それは自らの開発人生と照らし、コンピュータの進歩で開発技術者の現場に占めるパソコンに向かうオフィスの割合がどんどんと増えてきたことだった。彼の懸念は日本の製造業の大幅な国際競争力の低下につながってしまったともとれる。コンピュータは無くてはならない大発明であるし、ナノテクノロジーは日本の製造業が最重点で取り組みを始めた分野であるし、量子コンピューティングもナノテクノロジーの大きなターゲットであることに異を唱えようということではない。ただ残念なのは10年たった今、彼の懸念が払拭されて無いこと。


彼の腹積もりは、最後に手がけたビッグテーマの蒸着テープ(真空中でフィルムを巻き取りながら磁石になる金属を蒸発させて製造される)が事業化され、利益をもたらしたときに、長期の開発テーマになった蒸着テープの挑戦と失敗の歴史をコアに後輩の技術者に送るメッセージ集として“現場に道あり”を私費出版するということであった。

突然襲った悲劇からしばらくして、私は彼の奥様の訪問を受けた。言葉が無かった。任された蒸着テープの状況を説明するのがやっとだった。そのとき、メモの一部を見せて、彼の思いを奥様は語った。整理して気がついたことは、肝心の蒸着テープの開発物語が前半で、絶筆になっているという。反射的に後半は私が書きますと答えた。幸い多くの方の支援が得られ時間はかかったが、彼の技術にかけた熱い思いは十分とはいえなくても形として残せた。


その後蒸着テープは利益をもたらす事業になった。長丁場の開発で多くの技術屋も育った。

あの悲劇に襲われなければ、商品の製造が始まった、シェアーがダントツだ、利益が出た、生産累計何千万巻達成だ、といっては酒を酌み交わせたのに。
ナノテクノロジーにかかわった今、こんな会話が交わされただろうなと思う。

  「蒸着テープは究極のテープといわれたけど、究極のナノテクノロジーは?」
  「ナノテクノロジーが究極の工業技術ですからね」
  「サイズでいえばオングロームテクノロジーのほうが究極では?」
  「するどい!そういえばÅ(オングストローム)をもじったオーディオの蒸着テープの商標も評判良かった
   ですよね」

  「自己組織化という技術も1秒間で1ミクロン積もらせるような蒸着テープみたいな
生産性が備われば
  究極の究極でっしゃろ」


てな、わかったような、わからんような会話を肴に・・・・・・



                                                篠原 紘一  2002.7.26)

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