66. 水に流す

 日本人はどちらかというと水に流すことが得意な国民のようである。水は流れるというのは万国共通で、科学的な言葉であるが、水に流すとなると何を流すのかということが問題になる。工場の排水は何もせずに水に流すことで公害問題を引き起こした。

いつごろにこの言葉が使われるようになったか、その意味合いはどういう場面で使われだし定着して行ったのかはわからないが、松下幸之助の水道哲学から推察するに(今では水はただ同然、で大量にあるものとの認識はグローバルにはまったく通用しないが)水の中に溶けてしまうようなものを流し込んでも、しばらくすると水は何事も無かったように見えることから、何も無かったことにしましょう、お互いに忘れましょうといったような場面でつかわれるようになっていったのではなかろうかと思う。

水に流す柔軟性も大事になることは暮らしていく上でいろいろあると思う。しかしあまりにもあっさりとことが翻ってしまうようなことはいかがなものかと思う。


文部科学省の方針を軸に科学技術のサポートをする立場の一人として内部批判のようで心苦しいのであるが、早くもゆとり教育が見直しを迫られるような状況には、我慢があまりにも無さ過ぎはしないかという気がする。この背景は国際的に見て学力低下に歯止めがかからないからだという。
日本が目指す科学創造立国実現と継続的進化には個性尊重や創造性をさまざまな方面で発揮していける、いわゆる長所をとことん伸ばす教育とゆとり教育は密接に関係していると認識している筆者にはなんか変だなあとしか映らない。


確かに、休みが増えてその休みが狙った効果を生み出すまでには、メニューの工夫や親たちの意識改革も待たれるに違いないが、ゆり戻しが激しい。筆者は松下電器が先駆けて週休2日制を敷いた後に入社したため、松下幸之助がどんな思いから週休2日制を打ち出したかを現場で確かめることはできていないが、大人ですら、「一日休養、一日教養」のキャッチフレーズはわかりやすかったものの、本当に週休2日のメリットが会社にとっても、働くものにとっても明確になるまでには時間がかかっているのである。まして基礎教育ともなれば子供たちの持てる力の広がりは、会社のように、一通りの選抜のフィルターを通したケースよりははるかに広く分布している。
スタートさせるまでに想定できなかったことが起こることもあろうが今回の判断がそれにあたるようには感じられないことから国民の一人として、あと3年もすると孫が小学校に入る爺さんとしても、見直すことを見直して欲しいと感じている。


会社生活を振り返って、水に流した例に近いことが繰り返される場面に幾度と無く出会ったことを思い出す。これは、水に流すということと同義といえる「総括することをしない」といった例である。
全社規模、あるいは事業部門ごとに、従業員を巻き込んでさまざまなアクションプランが提案され、多くの場合小集団活動的に小さなグループで活動した。しかし、どのケースも、そのアクションプランが計画に対してどうであったかが総括され、次のアクションプランに活かされたといった例にはお目にかかれなかった。


始まるときは笛、太鼓でといったムーブメントがいつの間にか終わったようだといったことが繰り返された。これもやはり「水に流す」のが得意の裏返しの「総括するのが下手」ということなのだろうか。極論すると、あいつが悪いと責任を押し付けられるようなことが起きない限り総括はインパクトを持たないのかもしれない。良かった点、反省すべき点を分析、整理して仮に提言をまとめても受けて断つべき責任者が変われば、ほとんどのことは継続性をそこで断たれるからなのだろうか。正直言っていまだにわからないことである。


水に流すことでトータル的に前進につながることもいくらでもあろうが、結論も出ていないのに、あたかも結論が出たように行動することが後に正しかったとわかることがあるとすれば、それはもともとの方向性が間違いだったということであろう。
常に信念が実を結ぶわけではないだろうが、水に流すばかりでは当然立ち行かないことは誰でも理解できるはずである。しかし具体的にどこに水に流して良いかどうかの線を引くかは簡単なようでそうでもないのは、判断の基礎にしようとする情報が真実かどうか、これまた不明な点が多いからである。


青色LED裁判の和解劇での双方の言い分も、NHK,朝日新聞、政界が登場する報道の自由問題(これは、こっそりやると思われている内部告発を記者会見の形でやってしまったことにも驚くが、2者でなく3者になるとさらに闇の部分が増長されるようである)を何が真相かは当事者以外には見えてこないといった例には事欠かない。

今日のコラムでとげがあったとすればそれは水に流してもらいたい・・??筆者も日本人のステレオタイプなのかも。



                              篠原 紘一(2005.1.25)

                     HOME     2005年コラム一覧          <<<>>>