65. 世界物理年

 今年は、アインシュタインが立て続けにその後の物理学に大きな影響を与える論文を書いた1905年から100年になることを記念して、国連が定めた世界物理年である。
世界規模で、物理に理解と興味を持ってもらうための行事が工夫される。それらの取り組みの中から一過性ではない、継続した活動が生まれることを期待したい。これを決めた国連も今年は60年だという。

60年の節目といえば、還暦である。最近でこそ長寿化トレンドから還暦もひとつの通過点に過ぎなくなってきているが、子、丑、の順にめぐる動物12種と、木、火、土、水、金など10の自然の要素10種の最小公倍数が60になることから、干支が一巡、生まれた年の干支に還るめでたい節目であった。還暦に当たる節目を迎える国連も壁にぶつかっている。

日本も国際社会においてもっと明確なメッセージを発信していくこと、クリアな貢献が期待されているはずである。何かというとお金だけの支援しか出来ないように受け取られているのが実態で、このような状況から早く脱出したいものである。
この印象だけでは、日本の良い点を知ってくれている人達以外からは尊敬されることは無く、結果的に日本のリーダシップはグローバルに発揮されているとは言いがたいからである。さびしい限りである。

最近の日本の子供たちは、何を勉強しているのか把握できていないが、たとえば国連について聞いてもほとんど???であろう。しかしアインシュタインは?と聞けばおそらく国連より認知度は高いような気がする。子供たちに限らず筆者でも実はアインシュタインのほうに親しみを感じ、持っている情報も多いが、世界物理年に入ったということなので少し整理をしてみる。

1905年、彼はスイスの特許局で働いていた。26歳のときである。
その年にドイツの物理学誌に4編の論文を投稿している。「光の発生と変換に関するひとつの発見的観点について」では、光が波でもあるが、粒子でもあるとの理解につながる道を開いた。「熱の分子から要求される静止流体中の懸濁粒子の運動について」では植物学者であったブラウンが発見したブラウン運動について統計力学的に発展させた。「運動する物体の電気力学について」は相対性理論がニュートンの世界では当てはまるのに、マックスウエルの電磁気学ではあてはまらないという矛盾を解きほぐし、光の速度が一定で、時間や空間は変化する次元であることを示した。「物体の慣性はそのエネルギーに依存するのか?」は、先の論文である特殊相対論に加えて、エネルギーと質量は置き換え可能な概念であることを説いた。
加えて、チューリッヒ大学に提出した学位論文「分子の大きさの新しい決定法」があり、このいずれもが1905年に公にされたことからこの年を奇跡の年と呼んできたというのがいきさつのようである。

しかし、なんと言ってもアインシュタイン最大の業績は1916年に発表された「一般相対性理論」であるが、特殊相対論がチューリッヒ大学の学位論文審査に通らなかったように、理解できる学者は極めて少ない天才の発想であったということのようである。ノーベル賞をいくつもとるような業績を残した彼に1921年与えられたノーベル物理学賞は、小柴東大名誉教授が物理学賞を受賞した功績につながる重要な実験データを生んだ、カミオカンデの光電子増倍管の基本原理に使われている、奇跡の年の最初の論文に対してだけであることが不思議な気さえする。

業績が群を抜いたものであることは、ノーベル賞の複数回受賞者になっていないからといってなんら割り引かれるものではないのは言うまでも無い。彼の業績が科学を志す多くの若者を驚かし、勇気付けてきたことは世界物理年以降も続くであろう。田中さんのノーベル化学賞も質的には似た驚きがあったが、アインシュタインは別格である。学位も持たない、特許局の職員が物理学の常識を正し続けた1905年と類似の奇跡はまだその後の科学史には刻まれていない。
しかしアインシュタインが取り組めばいかなる物理の難題でも見えてくるわけではなかったのも事実であるし、自然科学の奥行きはそれだけ広いのだろう。

量子の世界から宇宙までを統一的に理解することは、アインシュタインも追い求めたが、今も天才物理学者たちが追い求めている究極のテーマである。
基礎科学は物理学に限らず、人類に総じて豊かさを提供してきた。といえ地球が時折暴れることに対してはまだ力不足である。

昨年末スマトラ沖地震で発生した津波による大惨事は日を追うごとに被災の状況は拡大し、いまだに実態が把握できない。実は筆者も神戸の住まいで直下型地震を経験した。あの阪神淡路大震災から、この1月17日で丸10年がたつ。中越地震も神戸と同じ直下型であった。阪神淡路が生かされた部分もあるようであるが、そうでないこともまだ多いようである。震源地と地震のエネルギーを想定したシミュレーションはコンピュータの進歩でよい精度でできるようになってきているのだろうが、スマトラ沖地震のエネルギーは阪神淡路の解放エネルギーの1000倍を超えていたと観測結果の解析があるように、シミュレーションの条件設定自体が意味を持たないケースもあるということの様で厄介なことである。

確かに地震や、台風や、異常気象などは被害者にとっては深刻な問題であるが、そうでない人達にとってはどちらかといえば対岸の火事である。こういった問題は受益者負担の対応策というわけにはいかない質のものである。だから、ほうっておけば進まない類の課題なのである。
分野によって基礎科学の進歩の速度は違っているのは明らかである。その理由はいろいろあろうがざっくり言えば、研究者の質と量(それは投入資金に非線形的に関係しそうである)に依存しているのと、単純化して理論化できる事象であるかないかの差も大きいように思う。
災害のつど、学べることは学び、手出しできることは手出ししていくとしても、それだけでは不安は解消されない。国際協力が必要なのはまずは被災地の復興であるのは間違いない。一方気が遠くなるくらい時間のかかることだとしても基礎科学のアプローチ強化を国連が音頭を取り(望むらくは、日本が熱意を持って働きかける)、成果につなげていくのも国連の今世紀の役割なのかもしれない。
世界物理年は一つの試金石なのかもしれない。



                              篠原 紘一(2005.1.7)

                     HOME     2005年コラム一覧          <<<>>>