62. 捨てよ!先端技術

 大学発ベンチャーも含めて、ナノテクノロジー関連のビジネスは、規模は現産業規模に比べれば地を這うようなレベルであるが立ち上がりつつある。
ナノテクノロジーは多くの国が国を挙げて推進している先端の技術であり、これまでできなかったことができるようになりそれが新しい産業、雇用を生み出すエンジンになればいいと誰しもが思い、期待を寄せている。だから、世間は日本が製造力をもう一度高めて世界と競争していくうえで先端技術が鍵を握るというイメージを等しく持っているといえよう。

そんなイメージを切り捨てる(?)かのような「捨てよ!先端技術」(森谷正規著、祥伝社、平成16年、6月初版)という本があったので早速目を通した。
ビジネス書でよく見られる事例研究の部類に入る本であるが、切り口が新鮮である。その視点は日本に(あるいはそれぞれの会社に)「合う技術」「合わない技術」という見方である。あう、あわないはビジネスの環境変化や競争相手の戦略の変化など、事業成果に及ぼす影響がかなりの速さで変化していることに由来している。

16の会社を取り上げて、それぞれの会社が、経営の軸と技術の軸で切った4つの象限のどこに位置づけられるかと、その根拠となる分析について詳しい解説を加えたものである。但し、この分析は会社トータルの経営分析ではなく、代表的な商品を例に取ったものであるから必ずしも会社トータルの格付けにリンクしたものではないとはいえ、俎上に載せられた企業はドキッとしたところも少なくないだろう。
あう技術と良い経営のゾーンにはトヨタ、キャノンなどが並ぶ。合わない技術であっても良い経営で健闘している企業としては液晶に賭けるシャープ、一度は地獄を見たにもかかわらず敢然とD−RAMの復活にかけるエルビーダメモリー、あわない技術で苦しむ富士通、ソニー、中村社長の「破壊と創造」を標榜しての改革で再浮上を目指す松下などの事例から、日本人がもの作りへの情熱をもう一度たぎらせて背筋を伸ばして前進するための道筋が、明示的に述べられている。


最先端技術の申し子のような「ナノテクノロジー」といったキーワード派この本では、たったひとつの段落において取り上げられているだけである。「ナノテクは超微細の分野であり、日本の得意とするところである。ただ留意すべきは、先端分野でも後発国に追い上げられやすいものがあるということだ」とあり、決して先端技術を攻めるなといっているわけでもないし、ナノテクの有望性に疑問を呈しているわけでもない。
要は以前から言われ続けてきているのに、なかなか組織内の権利の構図などに阻まれ実効を挙げにくい面があった、「選択と集中」に二つの軸での分析が有効なヒントを与えることを示すものといえる。

ナノテクノロジーは、日本が得意という表現で、日本にあっていると即断して安心することにはならないだろうが、ナノテクノロジーも韓国、中国に足元をすくわれる分野が必ずあると身構え、見落としのないように推進して欲しいということである。なんといっても厄介なのは、企業は今を生きるとともに、未来においても生きていることが望まれる集団であるのに、未来社会に大きなインパクトを与えるに違いないと期待されるナノテクノロジーは多くはパラダイムシフトを潜在的にもつ(時として大きな投資を必要とすることなど)ことから、片時も技術と経営の関係をあいまいに放置できない緊張をもたらすであろう。

ナノテクは進化すればするほど企業の舵取りを難しくし、企業の栄枯盛衰の振幅を大きくするように思う。5年後、10年後にこの本の改訂版が出るとしたら「合う、合わないの技術」の軸と、「良い、悪いの経営」の軸と異なる軸でマッピングされるということが起こるのではなく、あう、あわない、良い、悪いの質的な変化が生じているように感じている。


ナノテクノロジーはそれだけ魅力と魔力を背中合わせに持っている革新技術としてこれまでと違ったロードマップを突っ走っていくプレーヤを後押しするに違いない。
できる限り変化を小さくして規模の経営でしのごうという古い経営スタイルは通用しない。予想もしない時期に、予想もしない方向から強力な競争相手が出現するのをビジネス力学以外のフィールドの力では押さえ込むことなんてできない。挑戦者が報われる時代に入っている。


 
                              篠原 紘一(2004.11.12)

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