60. 技術と経営

今週の個人的な関心事は、担当する研究領域のシンポジュームと、ノーベル賞ウイークやいかに?であった。残念ながら、今年もつくば研究学園都市の研究機関にノーベル賞の朗報はもたらされなかった。自分で自分をほめたり、身近の関係者でほめるのは簡単であっても、スエーデンの王立科学アカデミーからほめていただくのはかくも難しいものか・・・

一方領域のシンポジュームは、初めて11の研究チームが一堂に会して、研究成果を基に議論したのであるが、その質の高さに圧倒された。これらの中にノーベル賞につながる道を進みつつある研究もあるかもしれないと期待をもつ反面、このような研究者集団が世界中にいることを思うと、ノーベル賞が与えられるかどうかは、時代の変遷を含め多くの幸運が重なるかどうかに強く依存するのだろうなと思う。

候補として話題に上がったりすると身の処し方が大変だが、話題に上がるくらいの仕事はしたいと研究者なら研究者人生のどこかの場面で思うことであろうし、ぜひそうであって欲しいと思う。今年は、医学生理学、物理、化学の3賞で6人が米国、2人がイスラエルであった。確かに期待が高かったから、その反動なのかもしれないが、日本のマスコミのノーベル賞に対する扱いはアメリカと比べると極端であると感じる。数年前アメリカ西海岸に出張したとき、USA TODAY、サンノゼマーキュリーでみたノーベル賞の記事は他のニュースとのバランスが良いなという感じを持った。
それは日本とアメリカでは受賞者の数が違うということもあるであろうが、それよりも文化的成熟度の違いが大きいように感じる。今年のノーベル賞の記事のコンパクトさには、やはりこれって何といった感じを抱いたのは筆者だけであろうか。

話は変わるがこの出張のときの仕事がいまだに事業の出口に届かないでいる。もちろん技術としては、他者がお金を払うくらいの優れた技術に後輩たちが進化させたことで高く評価ができる。しかし、筆者の経験からも自信を持って言えることであるが、如何に技術がすばらしくても、ノーベル賞と同じで他人にほめてもらわないと自己満足の域を出ない。基礎研究と違い、技術をほめてもらうということは、他社が特許やノウハウを買ってくれることもそうではあるが、メーカーでの開発は、誇れる技術を核に市場に打って出てお金をいただけるかがもっとも尊いこと。技術は市場で鍛えられることでしか完成度が高まらないからである。
いくら時間と人をかけても外で鍛えられない限り安心してユーザーがその技術の提供する付加価値を享受できるレベルには到達し得ない。優れた新技術に市場で鍛えられる機会を与えられるのは経営側の勇気ある挑戦的姿勢だけである。
経営者は何を創り出したいか鮮明に技術者に伝えることが最強のエンカレッジであり、後は技術者が主体的、かつ元気いっぱい戦う姿を見守っていればすむはずである。

                            篠原 紘一(2004.10.7)

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