58. 記録相次ぐ夏

甲子園もアテネオリンピックも終わって日本列島記録尽くめの暑い夏も勢いを失い秋に向かいつつある。
それにしても台風、火山の噴火、地震と不安を増長するような自然現象が増えている。世界中が驚愕したあの、SEP.11からもう3年がたつが、ロシアでの学校占拠テロの異常、悲惨さには言葉を失う。

暗いニュースが多い中で、オリンピックでの日本チームの記録的メダルラッシュと高校野球では深紅の大優勝旗が、白河の関越えどころか、一気に津軽海峡を越えて北海道に渡ったのは明るい気持ちにさせられたサプライズ。台風18号の上陸で上陸台風の数が記録更新。台風といえば五輪の年は台風も多かったような記憶がある。「天気図に5つの台風が並んだ年は、五輪の年(開催地は記憶にないが)であった。」この話はトリビアの泉で、「何へえ」になるだろうか?

海の向こうでは、相変わらずマリナーズのイチローが好調である。
残り試合数と、ヒット率から最多安打の大リーグ記録を塗り替えるのは確実と見られている。80年以上破られなかった記録も破られるときはあっさりと破られてしまう。
多くの大リーガーの夢は、ワールドシリーズの勝者になることであり、チームに貢献することであっても、長丁場のリーグ戦であり、そこで勝利者になるための戦略、戦術が多数あり、それらの相対的な競い合いであるから個人の記録達成の追い風は、まれにしか吹かないに違いない。

今年のマリナーズはチームの勝率のほうがイチローの打率を下回るくらい不調である。こうなれば、イチローとしてもフォアザチームを忘れてのびのびと打席に立って、ヒットを打つことを楽しめる環境にあるし、日本の野球だと、記録阻止とばかりに敬遠しまくるのであろうが、大リーグの選手の誇りは真っ向勝負であろうから夏の間の達成ではないが、記録達成のニュースが待たれる。チームの状況からヤンキースの松井も記録とは無縁でも存在感を示し活躍を続けている。
松井に絡む記録ですぐ思い出すのは甲子園での5打席、5敬遠である。高校球児の憧れの場、甲子園で、大ブーイングを押して今も監督として明徳義塾高校を率いている、馬渕監督が指示して生まれた記録である。

今年の夏は、アメリカから高校野球の取材にTVクルーが乗り込んできた。アメリカで活躍しているイチロー、松井の原点である高校野球とはいったい何なのかを探って帰っていった(朝日新聞、7月9日の記事をご記憶の方も多いのでは)。来年になってしまうようであるが、PBSを通じて全米に放映されるという。彼らが捉えてきた日本の高校野球とは何であったろうか?

大リーグに道を拓いたのは、高校野球では活躍して名を残すことはできなかった、野茂である。野茂選手の原点は社会人野球である。サッカーに比べて勢いを失っている社会人野球を憂えて、野茂は自分のチームを今日本に持っている。野茂の社会人野球に当たるのが、イチロー、松井にとっては高校野球とりわけ甲子園なのである。日本の高校野球の歴史はアメリカにないもので、高校野球の文化はアメリカ人にはにわかには信じ難いものをたくさん含んでいるのだという。

彼らが捉らえた高校野球すべてが共感できるものかどうか見てみたい。朝日放送でも、NHKでもどこでも良いから放映権を買って日本の電波にも乗せて欲しいものである。7月9日の朝日の記事は取材途中の話に過ぎないが、大きなポイントの一つは負けることから何を学ぶかが大事という点であった。

人生において求める、求めないは別にして、人はいろいろな競争にさらされる。そこでは勝ちたくても負けることが起こる。これまでを振り返ってみても、筆者も勝ちより負けから学べたことが結果的に多かった気がする。戦うのは生物の本能である。負けから学べるように進化してきたことは人間にとってすばらしいことだと思う。今年の甲子園で負けて学べる幸運(?)を手にできなった唯一のチームは、北海道に初めて優勝旗を持ち帰った、駒大苫小牧高校である。

このチームは昨年の夏甲子園で信じたくない負けを経験して(リードしていた試合を雨天ノーゲームで流し、翌日大敗した)これまでの甲子園球児とは違う何かを学んでいたのであろう。今年の雨は、彼らに気兼ねしたかのように、彼らに味方をしたようにも見える(本命視されていた東北高校があっけなく甲子園を去った日も雨であった)。どちらが勝っても記録となる、決勝戦は勝てば春夏連続しての初出場初優勝の離れ業になる愛媛県の済美高校が、北海道勢初の優勝となる駒大苫小牧高校の前に10対13で敗れて終わった。
優勝戦を含め打ちまくった、駒大苫小牧の上げたチーム打率は記録で(4割5分に迫る)あるが、済美の3割9分も高打率、打高投低の大会であった。

甲子園に幕が下りても、アテネでは日本選手が活躍を続けた。競技によって、リーグ戦型とトーナメント型、そのミックスとあって、戦略が必要だと感じた。期待(勝手にこちらが期待しているだけだったというのもあろうが)と違った結果に終わった競技すべてが戦略に帰着するというのでもないが、
長嶋さんを襲った不運を跳ね返せなかった野球は、甲子園のスーパースターであった松坂がシドニーの負けを返す、対キューバ戦の快投まではよかったのだが、なぜか予選(リーグ戦形式)も高校野球のような戦い方になってしまって、銅メダルに終わったのは残念な結果であった。

研究開発も国際競争である。時代が変わって参加することに意義があったオリンピックもロスアンゼルス大会以降、完全にビジネスになった。ナノテクノロジーに対する各国の力の入れ方を見ていると、オリンピックと様相が似ていると感じる。集中投資に応える戦略で、金メダルを取りに行って取る気概で望みたいものである。

                            篠原 紘一(2004.9.10)


                     HOME     2004年コラム一覧          <<<>>>