53. 目利きが不足

最近、産学官連携(この用語が一般的だと思うが、関連するワークショップ、シンポジューム、セミナーなどが開催される場所、主催者がどの機関かによって、学産になったり、学産官になったりする。いかにも日本的なのであるが、こんな配列に気を使っている間は実効は上がらないといつもいやな気分になるのは私だけであろうか)などの会合で目利きが不足しているという声がよく聞こえる。

不足している目利きとはいったいどんな能力が期待されているのであろうか。
広辞苑を見ても目利きは
@器物・刀剣・書画などの良否・真贋をみわけること。鑑定。また、その人。
A人の才能・善悪などを見分けること。また、その人。
とある。産学官連携では、研究成果が事業にまで到達しうるか、それに関連して生まれた特許の貢献度合いはいかなるレベルかなどに答えを言える人を目利きとするなら、不足している状況は変わらないような気がする。目利きに近いイメージは、有識者なのかもしれない。

有識者は『物事の本質を見通す、優れた判断力を有する人。またある物事についてしっかりした考え、見方のできる人』を指すからである。目利きが足らないから、育成しようとの話があるし、それをあえて否定しなくてもよいが、ハーバードをはじめとするビジネススクールであっても目利き育成プログラムを創れる気がしない。
人の役割とそのレベルについて考える時に思い起こすことがある。
いわゆる格付けということであるが、会社に入って数年経った時に、労働組合の委員として、製造職、事務職、技術職の格付けを個人個人にどう当てはめるかを、会社と労働組合でヒアリングしたり、現場で説明を聞いたりして検討していたわけであるが、照合しながら検討する格付けの基準として書かれたガイドラインは、実に輝かしい能力とその発揮レベルを示す美辞麗句が並んでおり、たとえば、大学院の修士課程終了後4年程度の実務経験を踏むと、ノーベル賞級(こういう言い方そのものも曖昧であるのでつらいのだが)の仕事が期待されているといったことなのである。

キーワードをつないだだけの定義ではよくあることで、具体例に置き換えての説明が必要なケースが多い。よく言われるように、自ら制限を加えて本来発揮できる潜在能力を押さえ込んでしまうような謙虚さ(?)を持つより、美辞麗句ゆえに概念的な理想の姿から自らの言葉で具体的な目標を引き出して挑戦していくある種の野蛮さは持っていたほうが良いと思う。

結局抽象化された部分が占める割合が増えるにつれて解釈が生まれて理解の幅が広がっていき実態がつかみにくくなってしまうのはよくあることで、目利きとは何かが具体的にイメージされない限り、目利きを選べる目利きが必要だという笑えない話で落ちになってしまう。
技術に対する目利きとはどんなものなのかと絞った話にしてもたやすい話ではない。ひとつの可能性としては戦略的思考の達人であれば目利きとして認められる率は高いと感じる。
それは戦略的思考の重要な側面が現時点からの外挿(延長)で物事を捉えるのではなく将来の姿を洞察して描き出すことだと思っているからである。

しかしこれとて社会に与えるインパクトが大きなケースは、当事者の夢としては存在していたかもしれないが、変革を言い当てた例は極めて少ない。今は、ハードディスクが家庭用の録画機器はもちろんのこと、記録機能をつけたら楽しくなると期待されるデジタル家電の多くの機器に入ってきているが、5年前に今日の状況を確信を持って予測していたといえる人はいないだろう。

しかしこのようなケースで結果的に言い当てることができないかといえばできるといえる。それは自らがそうなるように技術を創り、仕掛けをし、関係者を動かし、巻き込み、執念を持って有言実行を成し遂げればいい。しかし、基礎研究のロングスパンでの社会還元になるとそうは行かない。

レーザー、もトランジスタも研究発表がなされてから時間がたっても、今日の状況は予測で来ていなかったといった話はいろんな場面で登場する。どのくらい予測が当たれば良しと考えるかにもよるだろうが、他人のやることを有識者とはいえ、蓄積された経験をベースに言い当てることができるかといえば別の話と考えざるを得ないであろう。

ナノテクノロジーで新産業をなどといった話は、これまでなかったことを創り出す技術がまずありきなのであろうから、技術者として最もわくわくすることなのであるが、このことは、まさに非線形のことであり、さらに予測しにくいことであろう。
技術ができあがるということはビジネスを成功に導く上で必要なことであるが十分条件ではなく、錯そうした要因が絡む競争世界の出来事は、まだまだ目利きを期待する世界に入ってこないのではないかといった気がする。目利きの不足感をどう払拭していけるかは別にして、結局研究者、技術者が夢に向かってどれだけ執念を燃やして、どれだけの人、時間、お金を当てるかが、競争に勝つベースであることは変わらない。

                                  篠原 紘一(2004.6.25)

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