50. 200億円の衝撃(パート2)

マイノリティーは、無意識のうちに流されている日常に触発をもたらしてくれることがあって惹かれるところがある。カリフォルニア大学サンタバーバラ校、中村修二教授が、元勤務先日亜化学工業を相手取っての「404特許」に関しての控訴審が4月に始まった。

『青色発光ダイオード 日亜化学と若い技術者達が創った』(テーミス編集部著、テーミス刊、2004年3月30日刊)を読んだ。
日亜化学を取材して書かれた本であるが著者の感情移入が激しいことはおいといても暴露本のようなトーンである。確かにこれまで積極的にマスコミに露出してきたのは中村氏のほうで、日亜化学は沈黙を守ってきた形であるから、民間企業で、かつ中村氏に言わせれば、恵まれた環境であっても、デバイス開発、その事業化に長年悪戦苦闘してきた技術屋にしてみれば「いったいこれはどういうことなんだ!?」といった別世界を覗いた気がしたのである。事実を言葉で伝えきることが難しいということは歴史が証明している。中村色一色といってよかったこれまでの状況に楔を打つようなこの本が伝えようとした事実を、事実とした前提でいくつか触れたいと思う。


日亜化学が青色LEDを世界最高性能で量産化に結びつけた。そのことをきっかけに業績を伸ばしてきた。そのトリガーとなった特許が「404特許」と呼ばれるものでガスを真空容器の中に2箇所から流して窒化ガリウムの結晶を成長させる「ツーフローMOCVD」という製造方法の特許である。
ここから先が始めてこの本で明かされたことである。
この特許は実施特許でないのだという。自社でも、競争相手の会社でもこの特許を使っていない。それが世紀の発明といわれると、技術屋の頭は「????????」であろう。特許は実施されることで富を生んでこそ、相当の対価の議論になるはずである。もちろん今回のケースは戦略的に競合他社に実施許諾をしないことで日亜化学が事業を進めてきたからという点は十分考慮されてしかるべきではあるが、自社での実施がないという発明に対してビジネス創製の50%の貢献を認めた判断根拠があるとすると特許権そのものがいったい何を意味しているのかがぼけてしまうし、科学技術の発見と一線を隠した価値が極めて不明瞭になってしまうことに正直驚いている。

次は日本の技術者の待遇(評価)改善のために戦っているとのスタンスについて疑問が生じる主張についてである。それは世界に先駆けての日亜化学の青色発光ダイオードの実用化へのブレークスルーは中村氏の『怒りのブレークスルー』一発ではなく、日亜化学のエンジニアたちの成し遂げた「アニーリング」「p型窒化ガリウム」「InGaN」「ダブルへテロ構造」などの発明の寄与あってこそと考える。ところがこれらの発明は404の改良特許に過ぎず、その価値は比べるべきもないものとしている。
その上日亜化学には半導体の専門家は中村氏以外にはいないと中村氏自らがが断じた仲間のはずのエンジニア達の出す先鋭的なデータを矢継ぎ早に、中村氏の論文として投稿を続け、ノーベル賞に最も近い男と称されるまで上り詰めたとなると、自らを天才といってはばからない人の感覚はやはり筆者のような普通の技術屋にとっては理解を超えたものであると言わざるを得ない。確かに筆者もGaN は結晶として素性が余りよくないという意見を複数の専門家から聞いたことがある。この分野では名城大学教授の赤碕勇氏の先駆的な仕事がある。
しかし青色発光強度は実用レベルにまだ遠いと言われていた時代に果敢に挑戦したからこそブレークスルーが生まれた。そのこと自体は誰もが賞賛してやまないことである。
しかしその成功物語がひとりの主役とその他通行人によってなっているような見せ方では合点がいかないのは筆者だけではないと思う。

いずれにしても、筆者が直接日亜化学の技術屋の目を見、息づかいを感じながらインタビューしたわけではないから、ここで述べたことは前提が違えば大変失礼なことを言ったことになる。しかし、今まで語られなかったことが語られたとすれば、これまで中村色一色であったマスコミも含め、裁判が解釈ベースの論争でなく、事実関係に軸足を移して見直すべきは見直して正しい姿に近づけていって欲しいと願うことに無理はないと感じている。
特許法の改正の議論も、この事例が例外的なこととして扱われたままになってしまうのは決して好ましくない。

                                    篠原 紘一(2004.5.7)

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