44. 外来語

 国立国語研究所が、なじみの薄い外来語を日本語に置き換える検討をしては、ある間隔でまとまったものを発表している。
昨年の11月13日の発表では「ユビキタス」は先送りされ、「ナノテクノロジー」「マニフェスト」などは、3月に発表を予定しているとのことである。
それぞれの国がその国の言葉を大事にするのは当然であろうが、世界市場相手に商品を売ろうとすると、簡単な商品説明も、英語以外にも何カ国かの言葉を並べるケースが普通である。
しかし世の中を、一面支配しているとさえ思えるインターネットは英語がベースであるし、英語のみの表記が増えていくことに対して抵抗してみても始まらない。
たとえばナノテクノロジーを日本語に置き換えるためにどれほどの議論が繰り返されるのかはわからないが、「極微細科学技術」のような置き換えであればどれほどのメリットがもたらされるのだろうかといった感じがする。
「ユビキタス」も「いつでもどこでも」では軽いのかもしれないが、廉価なICタグが開発されて、もの同士がすすんで情報のやり取りをするようになり、こういった技術をどう使っていったら生活により大きな便宜がもたらされるかの確認実験も始まって、置き換える言葉の適正化についての議論のペースは、ますます高度化していく情報化社会の動き(一般的に情報関連技術の進歩は、ドッグイヤーといわれ、他の分野の5〜7倍くらいの変化の早さであるとされている)とマッチングが取れそうにない。

確かに、ナノテクノロジーをどう伝えたらいいのかは、正直答えが見出せていない。ナノはサイズの単位であり、1ナノメートルが10億分の1メートルである。これではわからないだろうからといって、ナノについてイメージを持ってもらおうと、地球の大きさと、ピンポン球の関係にたとえたりされるとなんとなく小さいのだなという気はしても、そもそも地球の大きさに対して実感がわかないのだから所詮無理なたとえになっているのでわかるというほうがおかしい。最近はむしろナノテクノロジーはどういった世界を実現できる期待がある技術なのかをわかりやすく説くほうが大事で、既存技術でもあるし、未来技術でもあるのだから、たとえば現在ナノテクノロジーによって生み出されている材料は、化粧品、テニスラケット、ボーリングの玉、スキーのワックスなどなど身近に使われ始めていて、こんなご利益があるのですよといったことを理解してもらうほうが意義があるのではなかろうか。
未来技術としてのナノテクノロジーは、これまでの単一テクノロジーとは異なって融合が生み出す飛躍が期待されるものであり、研究者も夢を語れば言いし、聞いた側もそこから又イメージを膨らませればいい。

ナノテクノロジーが日本語に置き換えられてより広いイメージがわくなら歓迎であるが、そうでないなら「ナノテクノロジー」としてフレキシブルに受け止めていけばいいのではなかろうか。日米は、ナノテクノロジーを推進するために大型の予算を投入しリーダーの地位を目指しているし、他の国も必死である。
見事な日本語が提案されたら脱帽であるが、可能性を狭める理解が国民に与えられるような置き換えなら、ユビキタスのように先送りしていただいたほうがいいなと思っている。


                                    篠原 紘一(2004.1.30)

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